うちなびく、

11

「どうして泣くの」
「わからない。だけど、このままお別れなのは絶対にいやだ」
「どうしておまえはそんなに、へんなところで、わがままなんだろうね」
「……ごめんなさい」
「いいよ。いつだって、私はおまえのそういうところに振り回されているんだ」

 

 こぼれた涙を親指でそっと拭われて、これ以上落ちないようにといわんばかりに、つめたい指のはらが僕のまぶたをやさしく押す。目を閉じた拍子に、『甘えていいんだよ』というように、先生の胸のなかに強引に引き寄せられる。

 

「一緒にいたい。僕も先生も、ひとりはいやだ」
「それはもう、わかったよ」

 

 降参――というように、先生が僕の頭を撫でながらやさしくおどけて見せる。

 

「でも、私たちが一緒にいたら、おまえは元の世界に段々と戻れなくなるよ。一緒にいれば魂が共鳴する、私と共鳴しはじめたら、おまえも私に引きずられる」

「僕が?」
「そう、人間じゃなくなる」

 

 ――いずれ潮時になると思っていたから、今ならちょうどよい。

 

 あれは、僕を遠ざけるためにいったというだけじゃなかったということなのだろうか。

 さっきの先生の姿が頭をよぎる。

 

「僕も、黒い影になるの?」
「というよりも、魂を繋げればひととしての輪廻の輪から外れる」
「難しい……長生きするってこと?」
「そうだよ。まあ、もうすこし時間は残っているけどね。いつか別れる運命になるかもしれない、それは覚えておいで。その片鱗が見えはじめたら、私はおまえが泣こうが喚こうが二度と元の日常へ返せなくなる」

 

 これまで通っていた高校にいけなくなり、なんとなく考えていた大学やその向こうにある将来がなくなるということだろうか。ひととしての人生を歩くのか、先生と一緒に添い遂げるのか。

 

「わからない――でも、今は先生と一緒にいたい。ひとりになるのはいやなんだ」

 

 僕も、先生も。
 両手を背中に回して、ぎゅう、と、ひとのようなそのからだを抱きしめる。

 そばにいられるのなら、なんだって良い。

 

「身代わりでもいい、先生のそばにいる」
「身代わり? だれのだい?」
「それは――……六の君」

 

 おどろいた、と、先生がひとりごとのようにつぶやきながら、僕の髪の毛をさらさらと梳くように撫でる。

 

「身代わりなんかじゃないよ」
「どうして? だって、先生はそのひとを愛していたって」

 

 撫でていた大きな手が僕の頭を胸から離させて、ぐいっと上へ向かせるように動く。緊張を緩めていたからか、かんたんにされるがままになった僕の顔近くに、先生の顔が重なる。そのまま、くちびるをなにかがかすめた。

 

 一瞬――何が起こったのかわからずに、ピントがずれるほどに近くにいる先生をただ眺める。あやかしと呼ぶにふさわしい、きれいな顔立ちがすこし歪んで、薄い笑みが浮かんだ。

 

 キスをされた、と理解するまで、たっぷり数秒。しかし、まばたきをするのも忘れて、先生の意図が読み取れずにただ思考が停止して、また数秒。

 

「え、あの……なんで?」
「葉月がおかしなことをいうから。私はずっとおまえがすきだと伝えてきたつもりだったけど、よもや身代わりで、なんてことをいうから」

 

 じわじわと時間を掛けて緊張しはじめ、やがて俯いた僕に、先生が追い打ちをかける。

 

「昔のことだよ、今はおまえを同じように愛しいと思ってる」
「それは……知らなかった、です」
「伝えていたつもりだけど」

 

 先生がもう一度僕の顎に手をかけてキスを仕掛けようとするから、慌てて顔をそむけてそれを避ける。先生は首を傾げる。

 

「葉月は、私がすきじゃないのかい?」

 

 こともなげにそういう。ほんとうに意外だ、というように。

 

 そらした顔を覗き込まれて、ますます顔に熱が集まるのが自分でもわかる。こんな顔をしておいて、否定をするほうがかっこ悪いと思うのに、先生はするすると口にする恥ずかしいことばを、同じように返すことが出来ない。降参するように、両手で顔を覆ってガードした。

 

「……えっと、それはどういうポーズ?」
「ちょっと、ついていけなくて……」
「ごめん。私は人間じゃないからね、気持ちをどういうふうに表現すればよいかわからないんだ。でも、うん、だから葉月みたいに恥ずかしがっているのを見ると、こう、なぜか胸がむずむずするね」

 

 むずむずって、なんだ。

 

 心がついていかない。それに先生は、僕も自分と同じだってわかっているみたいに、当たり前のように僕にキスをするから。どう反応してよいかわからなくて困ってしまうんだ。

 

「葉月、顔を見せてほしい」
「……」
「えーっと、実は私のことすきじゃなかったとか? 葉月の気持ちは汲んでいたつもりなんだけど」

 

 隠していたつもりだったのは僕だけという滑稽さも、じわじわと頬を熱くする。

 

「それは……ちがう、けど」

 

 頑なに顔を覆う僕の両腕を先生のそれが捕らえて、手つきはやさしいのに有無をいわせない力で、ゆっくりと僕のガードを説いていく。力ではかなわないとくちびるを噛んで、先生を見上げた。

 

「真っ赤だ、どうして」

 

 赤い瞳が、不思議そうに揺れる。

 

「せんせいが、……キス、するからでしょ。ずるい」
「うん、いやだった?」

 

 いやじゃない。も、いやだった。も、いわせないというように、再び先生の美しい顔立ちがすっと近づく、反射的に目を瞑って、僕はたしかに先生と三度目のキスをした。今度は確かめるようなくちづけで、一度すこしだけ距離が離れては、またくっつく。何度めか数えるのは途中でやめてしまった。

 

(い、息……できない)

 

 先生の姿ばかりを慕ってきた僕に、これまで彼女ができた試しもなく――我ながら情けないがはじめてのキスは上手い方法すらわからない。

 

 なんで、こんなことになっているんだろう。

 

 離れたくないとはいった。そばにいたい、一緒にいたいと、駄々をこねただけだ。

 

「ずっと、葉月がほしかった」
「……それは、どういう、意味」
「昔から、愛しくて仕方がないということ。おまえは身代わりなんかじゃないよ」

 

 そんなはずはない、先生が愛しているのはあのひとだ。

 

「僕のことは、昔のひとに重ねているだけだよ」

 

 何度も想像した、それに勝手に脳裏に流れていた。今とすこしも変わらない和装の先生と、長く髪を垂らした細身の女性の姿。

 

「身代わりなんかじゃない」
「いいよ。身代わりでも、なんでもいい」

 

 痛む胸とともに落ちた涙を先生がくちびるで吸い取って、そのまましょっぱいキスを落としてくる。先生の細くてしなやかな腕が僕の背中を覆うようにきつく抱きしめなおす。角度を変えては何度も重なる先生のくちびるに、からだじゅうが沸騰したように熱くなって、どろどろと溶けそうになる。

 

「身代わりじゃない、葉月。おまえがすきなんだ、ほんとうだよ」

 

 先生のことばがこだまする。

 

 やがて息を上げはじめたくちびるの隙間から、先生の長い舌が探るように入ってきた。気づいて顔を引っ込めようとしたけれど、先回りしていた先生の片手が僕の後頭部に回ってきて、逃げられない。

 

「……っ……せん、……っ」

 

 脳がしびれる。からだが自分のものじゃないみたいにふわふわしてきて、緊張して心拍数が上がっていくというのに、どんどん力が抜けていく。

 

「葉月が、ほしい」

「……そ、それって、どういう……ひぁっ、え……ちょ」

 

 へんな声が出た!

 

 それもそのはず。いつの間にか背中から腰のあたりまで下りてきた腕が、僕のシャツをズボンから抜き取るようにして、直接肌に当たったからだ。それはたしかな意図を持って、熱っぽく僕の背中を撫でる。

 

「せんせい……えっと、僕、男だよ……っ。せんせいも……」
「おまえがお望みなら、私は女の姿になってもいいよ」
「やだ……、先生は、今の姿が先生だから……知らないひとに、なる……んう」
「じゃあ、関係ない。これまでは我慢してたけど、今日は葉月のせいだよ」

 

 器用な指先がシャツのボタンをいとも容易く外して、僕の貧相なからだをさらす。シャツを敷いたまま、僕のからだを一度抱き上げて、それからゆっくりと横に倒す。暗闇に慣れた目に、先生の姿が浮かぶ。こちらを見下ろす赤い瞳が、いつもよりも性急に僕を見下ろしていた。

 

「私と先に進むのは……こわい?」
「こわく、ない」

 

 うそだ、こわい。

 

 だけど先生が僕を求めてくれるなら、身代わりでも良いっていってくれるなら、僕も先生を愛してみたい。これからなにが起こるのか、それはぼんやりしているけれど。

 

「やさしくしたい……、だから、葉月は私に身を委ねてくれればいいよ」
「わかった。何をするの?」
「終わったらわかるよ」

 

 覆いかぶさるように今日何度めか分からないキスが降ってきて、わけもわからずに先生の動きに合わせているうちに、先生は僕の片腕を自分の背中に回させて、もう片手は自分の大きな手と安心させるように繋いでくれる。

 

 先生のくちびるが、はだけたシャツの隙間から、僕の素肌を滑る。くすぐったくて、へんな感じ。それに、ふれられたところが、どんどん熱を持っていく。

 

「……っあ、……せん、せい……っぅん」
「大丈夫、葉月……」

 

 先生は僕のからだのそこかしこをいつくしみながら、一晩中愛のことばを刷り込むみたいに繰り返した。与えられる甘美な刺激があまりにも強すぎて、僕はあまり多くのことを覚えていない。

 

 まるで普通の恋人同士のように、じらすようにたっぷりと時間をかけて先生は僕と繋がった。そのときにはもうからだのそこかしこが先生に支配されていて、まるで自分のものじゃないみたいに言うことを聞かなくて。僕がどんなあられのない姿で、耳を塞ぎたくなるような声を出したのか、よく覚えていない。

 

 けれど、繋がった大きな手はいつまでも僕の指を確かめるように握りしめていた。

 

 やがて溺れるような快感が訪れて、僕の意識はプッツリと途切れる。

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