それからの嘘についてのお話。

04

 しばらくして、理人も横になったのが、ベッドの沈み方でわかった。ほっと肩を撫で下ろそうとした刹那、おもむろに伸びてきた大きな両手がおれを捕まえて、ずるずると引き寄せてくる。やさしいけれど、なんだかいつもと違う、知らないひとみたいな手つき。背中が、お風呂上がりでまだあったかい理人のからだにくっついて、落ち着きかけていた心臓が早鐘を打っていく。


 状況についていけなくて、からだがまた、一気に硬直していく。

 

(ど、ど、……どうしよう。とりあえず、おれは、寝てる!)

 

 なるべく眠っているとわかってもらえるように、からだから力を抜いて、目をきつく瞑る。だけどおれのからだを引っ張って腕の中に閉じ込めた手がまた動いて、髪の毛を撫でた。

 

「ゆき」
「……」

「今日も、夕食作っておいてくれてありがとうね」

 

 ささやくような低い声が、耳にかかる。くすぐったかったけれど、身をよじったらおしまいだ。まるでおれが起きていると知っているみたいな自然さに、(違う、おれは寝ている!)と無視を決め込む。

 

 起きてるって知られたら、色々とやばいもん。

 

「でも、今日は食べなかった。ごめん、明日の朝食べます」

 

 後ろから回ってきた手が、壁際に向けてからだを向けて交差していたおれの両手を掴んで、やさしく絡めてくる。
 心臓が、いたい。

 

「……っ」

「だってせっかくおまえが、朝のことを意識して待っててくれてるから、我慢できなくて。……違った? ゆき」

 

 おれの指を弄んでいたのとはもう一方の大きな手のひらが首元とシーツとの間に入ってきて、ぐい、と持ち上げるみたいに引っ張る。無理やり理人の方をむかされて、きつく閉じていた目を恐る恐る開けた。

 

 天井を遮っておれを見下ろす理人の髪の毛は、まだ湿っていた。ろくに乾かしてもいない髪の毛と、スーツを脱いだせいでおれだけが知っているスウェットと、おれを振り向かせた力強い手に、全身が熱くなって今すぐ逃げ出したくなる。

 

「やっぱり」理人の浮かべる笑みは、いつもよりもいたずらっぽい。「起きてた、たぬき寝入りさん」

「う、うそつきっ」

 

 捕まえられたまま脚をばたつかせて、今度は水原でなく理人に八つ当たりをする。全部へんなこと考えていたおれが悪いのに、火を噴くほどの恥ずかしさが憎まれ口をこぼしていく。

 

「さっきは普通だった……っ」
「いきなり豹変したらおまえ逃げるでしょ」
「知らない!」

 

 まるで、今日一日へんなことを想像しながらもんもんしていたのを、すべて見透かすような深い瞳。それがいつもよりもいたずらっぽく意地悪なのに、どこかうれしさみたいなものも含んでいるのはどうしてだろう。

 

 どっちにしろこの大勢はいやだ、へんだ。そう思って理人のそばから離れようとするのに、普通じゃ思春期の男の方がおっさんより力あるはずなのに、上からのしかかってこられたら太刀打ちできない。びくともしない。

 

「ゆき、かわいい。真っ赤」
「男にかわいいとかいうな!」
「ゆでタコみたい」
「う……やだ、離せばかー」
「それはできないお願いだなあ」
「今日の理人、意地悪」

 

 だいたいおれをかわいいと思うとか、理人の目はちょっとおかしいと思う。おれは確かに日本男児の平均身長は満たしていないけれど、そのへんの女の子よりも大きいと思うし、体重もちょっとずつ増えているし、顔だって……たぶんもうちょっとしたら凛々しくなる。はず。

 

 からだもムキムキになる予定だし。

 

(男前さは、理人に比べたらまだ負けているかもしれないけど)

 

 首元をさらっていた手が抜かれて、かわりにぴたりとほっぺたにくっついた。頬に熱が集中しているせいか、お風呂上がりの理人の手よりも、暑い。くっついてきた手のひらが、おれの頬を撫でたりつまんだりして弄ぶ。どんどん紅潮していくのが自分でもわかった。

 

「ゆき」
「な、なに……?」
「僕はねえ、基本的におまえに対しては気が長い方でね」
「うん?」

 

 気が長い? なんの?

 ぽかんとして、理人を見上げる。一体、なんの話だろうか。

 

 ……相変わらず頬は遊ばれたまま。

 

「だからあの日恋人になったとしてもしばらくは、いつもどおりのほのぼのとした日が続いてもいいかなあと思っていてね。おまえはひとよりも、いろんなペースがゆっくりだからって、まあ気長に構えようと思ったんだけど、――ちょっともう待てない」

 

 それは、あの吹雪の夜、慣れないビジネスホテルのベッドで理人が見せた表情と酷似していた。いつもの陽気なやさしさがなりを潜めて、現れたのは妙に扇情的な色気と、ほんのちょっとの切なさをまとった表情。

 

 また、熱が上がる。同時に心臓が張り裂けそうになって、あの恥ずかしくておかしくなりそうだった夜を思い出した。

 

 あのときも理人は、おれが逆立ちしたって太刀打ちできないようなおとなになって、こうやって意地悪した。

 

「待てないって……」

「ことば通りの意味だよ。だから、朝教えたと思うんだけど」

 

 ――今日帰ったら、ちょっと長いキスをするから、覚悟しといて。

 

 両手がすくうようにおれの顔を持ち上げてくる。もうだいぶ前になってしまった冬の一件と重なって、理人がなにをするつもりなのかわかってしまう。

 

「ま、待って……、ストップ! タイム!」
「タイムなし」
「こ、心の準備……っ」
「一日あげたつもり」

 

 り、りひとお……っ。

 

 なんて、恥ずかしくてどうしようもなくなって、ぐしゃぐしゃになった声が零れる。切羽詰まったような声に、近づけていた顔を至近距離で止めた理人が苦笑した。

 

「どうして? いや?」
「そう、じゃ、なくて……っ」

 

 ちょっと長いキスって、どんなものなんだろう。理人は、どうやってそれをするのだろう。頭の中で、無意識に何度もシュミレートしていたというのに、完全に想像を超えたそれに、頭がショートして壊れてしまった。

 

 いやなんかじゃないのに、それはとても――。

 

「こ、こわい……っ」
「なにが怖い?」

「お、おれが、おかしくなる……。理人はおとななのに、おれはそんなことないから、これ以上されたら死ぬ……っ」

 

 まだ先生に淡い想いを抱いていたとき、すきになって、恋がかなって恋人同士になったら、もっとずっとやさしくて穏やかな世界になると思っていた。理人とのそれは、どうしようもなく恥ずかしくて、いやだ。

 

 おとなの理人に、どんどん知らないものを暴かれていくみたいで、それはこわい。

 

「ゆき、こっち向いて」
「んー……いや」
「なにそれ、ほんとうにかわいくて仕方ないよ」

 

 歯の浮くようなせりふをぬけぬけといいつつも、なだめるみたいにおれの髪を梳いていく。ちょっとだけ色っぽい理人が緩和されて、いつもの表情に戻っている。

 

「ゆき、聞きなさい。すきっていう気持ちには、恥ずかしいとか怖いとか、そういう気持ちが伴うのは当たり前なんだよ」
「違う……っ、だって理人はいつも普通だもん……っ」
「そんなことないよ。おじさんはおとなになっているから、嘘をつくのと、隠しごとがうまいだけ。ほんとうは――怖いよ。いろんなことが怖いし、今だって緊張してる」

 

 絡まっていた手のひらごと、理人の胸に当てられて、薄いスウェットをとおして早い鼓動が聞こえてきた。

 

「ほら、顔が嘘つきなだけだよ」
「え……、う、うう……」
「ゆき」
「んー……うう……」

 

 それでも、こわいし、今されたら死ぬかもしれない。
 どうしようどうしようと心の中で考え続けていると、ふいに目の前で妖艶な笑みを浮かべていた理人の表情が、崩れた。くす、という笑み。それは、まるでいつもみたいな――。

 

「ねえもう。……ゆき、それはどういう声なの?」

 

 ギブアップ、といわんばかりにたまりかねた理人が吹き出した。
こらえきれないといわんばかりに、あはは、と子どもみたいな笑われて「笑うな!」と肩を叩く。寝室を漂っていた濃密な雰囲気が、理人のいつもの笑い声とともにふわりとどこかへ吹き飛んでいく。

 

 力が抜けたように、理人がおれの拘束を解いて、どさっと仰向けに倒れた。また、となりのスペースが沈んで、おれの視界がいつものそれに戻る。

 

「あーなんか、力抜けちゃったよ」
「り、理人が笑うから……」
「かわいいかわいい」
「かわいくない!」

 

 あ、今、理人の中のスイッチが切れた。

 それまでのやさしくない理人から、いつものやさしい理人に戻った。

 

 もう焦らないし怖くならないはずなのに、どこか物足りない気持ちになって、一抹のさみしさが急におれを襲う。

 

(おれは、なんでこんなにあまのじゃくで我が儘なんだろう)

 

 しないとわかったら、それはそれで、さみしいなんて。

 

「あー、おなかいたい」
「理人」
「ん?」
「し、しないの? ……朝、いってたやつ」
「んー。今日はいいよ。おまえが一日僕のことでもんもんしてくれたって、帰ってきたときによくわかったからね。さっきは我慢の限界、なんていっちゃったけど、おまえのこと待つつもりだから」
「ん」
「ゆっくりおとなになりなさい」
「うん」

 

 よしよし、いい子。それと同時に、伸びてきた理人の手のひらが、おれの髪の毛をさらさらと撫でた。

 

 なんだ。しないんだ。
 なんだあ。

 

「……ゆき?」

 

 このまま目を瞑れば、やさしい理人と一緒に眠れるのに。そうしていつもみたいに穏やかな朝がやってくるというのに。おれ、へんだ。やっぱり。

 

 ばさ、という、ふとんが暴れる音。

 

「……りひと」

 

 勢いよく抱きついた体温はあったかくて、頬を擦りつけた理人の胸からは早い心臓の音。それがおれと同じで、ドキドキしているのに安堵するような感覚。

 

「し、ようよ……ちょっとだけ、長いの。おれ、いいよ」

 

 恥ずかしいけれど、こわいけれど、理人とならできる。それにしてみたい。それにはきっと、今のタイミングしかない――。

 

 だけど、ほんのすこしの期待とは裏腹に、沈黙があたりを支配した。あれ? ……あれ?

 

(抱きつき損?)

 

 勢いよく理人を捕まえたのはいいけれど、なんの反応も示さないからだに不安になって、おそるおそる顔を上げた。

 暗がりに目慣れたおれの双眸に映った理人は、なんだかひどく――。

 

「ゆき」
「……理人、真っ赤」
「やりやがったなー」
「え? え? うわあ……っ!」

 

 まるでプロレス技をかけるみたいに速いスピードで、おれを押しつぶすみたいにぎゅーぎゅー抱きついてくる。く、苦しいしちょっと首締まってる。

 

(理人のからだ、あつい)

 

「……照れた?」
「せっかくなけなしの理性ギリギリで我慢したのに」
「…………照れた?」
「うるさい」

 

 そのあとは、理人の独壇場になった。おれが勝っていたのはそれまでで、そこからはおとなの雰囲気を濃くした理人に、朝の宣告どおり“ちょっと長いキス”をしかけられて、あっという間に溺れていく。

 

 それは、あの冷たい冬の夜にしたキスよりもずっとずっと長くて。
 正直ちょっとどころじゃなかったのは、理人いわく、おれのせい、みたい。全然よくわからない。

 

それからの嘘についてのお話。
Fin.

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