時雨と紅葉。

二十三話 アイスコーヒーと家族のかたち

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「あの子はいい男になるわよ。今んところちっちゃくて頼りなさそうだけど、こう、圧倒的におおらかね。心が広いのよ」
「なに、おまえ。俺は狭いってこと?」
「だれもんなこといってないのにそういう返答するから、心が狭いかもって思われるのよ」

 

 城田と別れてからすぐに、茉優はおかしさに耐えきれないというように笑い出した。

 

「家庭を知っていて、それに警戒心が強くて面倒見が良いのもポイント高いわねえ。あきがないものをいっぱい持ってる。あの子はきっと、あきと一生の友達付き合いをすることになる気がする」

 

 どうする? 取られちゃうかも。

 

 茉優のうるさい笑い声を無視しながら、時雨は先ほど――世の中のなにも知らずに育ったような少年の、時雨もあきも知らなかった答えを思い返していた。

 

 ――……そうなんですか? おれはてっきり、谷口にとって、藤野さんは家族で恋人だから特別だって、思っていたんですけど。だって、だから夫婦って特別なんじゃないですか。まあ、藤野さんとあいつを夫婦呼ばわりするのも変ですけど……男同士だし。

 

 お互いがお互いを変わっていくのは、このままでは自分たちの関係に名前がつかないと思っていたから。

 

 ほんとうの家族じゃない。家族になりたいわけではない。

 

 時雨にとってあきは、家族なんていう陳腐なことばでは言い表せない、もっと奥底にある唯一のものだと思っていた。そしてそれはあきもそうだった。だからほんとうの家族の元へと戻ったのだから。

 

 家族ではいけない。違う名前のものが欲しい。

 

 でも、家族のようにだれよりも近くにいる存在だから、あきは唯一なのかもしれない。そしてだからこそ、家族であり愛しいと思うのかもしれない。
 
 
 
     *
 
 
 
『それで、学校の友達も先生もほぼ知らないということですね』
「そうなる。夏入った頃から携帯にも電話掛かってこない」
『電話……そうですか』

 

 一方が声を出せないというのに何を話すのだといいたげな間があったが、追求されずに終わる。

 

『やっかいですね』すこしの沈黙のあとで、高村がいつもと同じように、感情の読めない冷静な声でそういった。まるで、やっかいごとのようには思えない声である。しかしやっかいだと考えていたのは、時雨のほうも同じだった。

 

 やっかいなのは、――まぎれもない、あきの声の話である。

 

 普通なら自分にとって困った環境にいるのであれば、声を出して誰かに助けを求めることで外部からの干渉が可能になる。たとえそれが、もっとも血の繋がりの濃い家族内のことであったとしても、である。

 

 しかし、あきの家から叫び声や泣き声、怒鳴り声が聞こえてくることなどまずない。たとえ何がなくとも、あってもである。だから、異常があったと判断する材料がないのである。学校での出席態度や友人関係が良好にも関わらず、急に登校しなくなったことを除けばの話ではあるが。

 

『クラスの先生には?』
「クラスメイトに仲良かったらしい城田っての、あんたが教えてくれた子、あの友人から話をしてみるということだったよ」
『こちらは谷口氏の会社へ当たってみましたが、特に休みなく出社されているようですね。また、出勤態度もいつもどおりのようです』

 

 城田といい男の職場といい、そんな情報をどこで仕入れているのか――不思議な職業の男である。

 

『藤野さん、これ以上お調べしてもおそらく状況はあまり変わりませんよ。息子さんは確実に家へおりますが、どのような状態かを外から判断するのは難しい。また、その判断のために踏み込むことも、失敗すればあなたにとってはリスクになります』
「じゃあ、やるなってこと?」

『……やるなとお伝えしたら、あなたは踏みとどまるんですか?』

「そのあんたのリスクってやつ、何十回も聞いてるからしつこいってこと」

 

 つまり、あきが何不自由なく暮らしていたとすれば、今度は時雨のほうが、あきにとっての何者なのかを問い詰められることになる。あちらは血の繋がりを持つ家族で、時雨は元ホストであり、あきを囲っていた空白の期間があった。もしもこの騒動がきっかけとなり深くまで探られれば、疑惑の目は一気にこちらへと注がれることになる。

 

 しかし、時雨はあきにとってただごとではない何かが起きていることを信じて疑わない。そして事情を知ったとき、茉優やリョウタ、城田もまた、同じことを考えた。

 

「あんたが協力するなら、あいつのことはちゃんと助ける」

 

 僅かな沈黙のあとで、わかりました、という義務的な声が届く。

 

 しかし、この協力は――高村にとっても望みのものではないのだろう。面倒だと思われているかもしれないが、今の時雨にはあらゆる意味でこの男が必要であった。

 

『あなたの印象は、ずいぶんと変わっていきますね』
「そう? もうそろそろ変わらなくなると思うけど」
『前に進んでいるのか、あの息子さんに染まっているのか』
「……染まるって、随分と、ブンガクっぽい言い方だな。頭の固そうな高村さんからはあんまり想像がつかない」
『大学での専門は法律でしたが、ほんとうは文学部に行きたかった。染まるは――息子さんとあなたによく当てはまる文学のお話ですから』

 

 電話の向こうで、あの何も楽しくなさそうな固い表情が、すこし笑みで歪んだような気がした。
 
 
 
 夏がゆっくりと時間を掛けて、終わっていく。

 

 カーテンから照りつける西日が紫色に暗くなると、そろそろ涼しくなってきた。うるさいほどに茂った夏の葉が赤や黄色へと変わる頃になれば、時雨とあきが出会った季節がやってくる。

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