時雨と紅葉。

二十三話 アイスコーヒーと家族のかたち

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 秋はいつやってくるんだと悪態をつきたくなるような、夏空の快晴が続く。室内にはしっかりと冷房が効いているというのに心なしか溶けるのが早い氷が、また、カランと小さくなって音を立てた。今度は時雨のものではなく、茉優のそれである。

 帰宅部に所属する中学生の帰宅時間は、ちょうど夕刻のカフェを楽しむ大学生やひと休みする主婦たちでごった返している。なかにはスーツでパソコンのキーをせわしなく叩くひとも。

 

 奥まった場所で偶然開いていた四名掛けの席に座ってから、ちょうどひと息ついたところ。時雨と茉優はあたりまえのようにアイスコーヒーを頼んだが、カフェに来ることなどめったにないのだろう、目の前の少年は入り口付近で小鳥のようにおしゃべりをしている女子高校生と同じ、デザートのような名前の飲み物を頼んでいた。すこし恥ずかしそうに、しかし好奇心が抑えきれないといったようである。

 

「溶ける前に飲めば?」
「あ、はい。じゃあ、イタダキマス」

 

 しびれを切らしたように茉優がそういうと、少年は遠慮がちに時雨と茉優とを交互に眺めてから、ストローに口をつけた。あきより少し背があるとはいうものの世の中の中学生よりは小柄で肉付きも悪く、何度も見ていないと忘れてしまいそうなほど凡庸な顔立ちである。時雨はホスト時代や顔採用のレストラン勤務ということから、周囲の顔立ちに慣れきっているから、ますますそう感じるのだろう。

 

 そんな失礼なことを思われていることは知らないだろうが、見られていることに気づいた少年はあからさまに目を伏せる。

 

「ほおら。あんたがガンつけるから緊張しちゃってるじゃん」

 

 茉優は呆れたようにため息をついた。

 

「……ていうか、なんでおまえ来てんの」

「今さらじゃない。あんたがあの子以外の子ども手懐けるイメージが全然なかったからよお。円滑に話進められるはずないと思って」

 

 本人目の前にして、堂々と『手懐ける』発言はいかがなものかと思ったが、ストローを加えていた少年にとってもそれは同じだったらしい。さっきから疑り深い表情だったのが、さらに険しくなる。

 

(まあ……普段かかわらない年齢の男女が急に校門外で待ってたら、こうなるわな)

 

「さっきもちらっと自己紹介したけど、このひと藤野時雨っての。怪しいやつじゃないよ、こんななりだけど、ちゃんとした定職について汗水垂らして働いてるサラリーマン。あなたはシロタくんよね? ごめん、下の名前は知らないんだけど」
「はあ……城田です」

「あ、イントネーション違うのね。……あなたのお友達の谷口くんはしゃべらないから、私たち勝手にシロタくんだと思っていたんだけど」
「……はあ、そうですか」

 

 茉優を持ってしても手強いとは、――類は友を呼ぶというほどうまくは行かないらしい。

 

 あきから何度か聞いていた城田の存在が、気にはなっていたが、それはことばにも出来ないほどにひどく稚拙な理由からだった。しかし、どうしてこう警戒されているのだろう。警戒というより、この視線は明らかな敵意である。

 

 睨みつけるような、観察するような視線。と思えば、目を背けられる。

 元来、時雨は短期である。こういうのは性に合わない。

 

「コーヒー飲んでる間にちんたらする話でもないんだわ。単刀直入にいうけど、あきは夏休み明けすぐ経ってから登校してない、で合ってる? 原因はわかる?」

「あき? ……谷口は、たしかに学校来ていませんよ。理由は、おれもわかってないです」

「ほんとうに?」
「ほんとうに、おれだって知りたいくらいです。……いきなり連れて来られても困りますから」

 

 棘のある言い方である。しかし飲み物は美味しいのか、どんどんなくなっていった。茉優が仕方なさそうに肩をすくめている。

 

 通報を覚悟で茉優とふたり、校門前で城田を待ち伏せたのがは30分前。リョウタも「俺も行きたいっす! あきが心配っすから!」といっていたが、時雨に加えてあの風貌が校門をうろついていたらあまりにも目立ちすぎるため却下したのである。

 

 自分の名前を告げた後話があるといった際に、警戒心を全開に出しながらもここまでついてきたということであれば、あきは城田に時雨の存在を話しているのだろう。おそらく知り合いといった程度であろうが。

 

「で……あの、藤野さん……は、えーっと、一緒に暮らしてたってことはなんとなく聞いてるんですけど、なんであいつのこと聞きに来たんですか?」
「俺も会えてないから。あいつが城田くんのことをともだちだっていってたから、何か知っていると思ったんだよ」

 

 ともだち――その響きに、心なしか城田の表情がやわらいだ。どうやら城田という少年にとっても、あきのことは大切らしい。

 

「おれは、あんたが……すんません、藤野さんが知っていると思ってました。だって、急に来なくなるから。そんなに来なくなるようなこと、なにもなかったのに」

「ねえ、横からごめん。そういうのって、先生たちは不思議がったりしないもんなの?」
「あーあいつの場合はついこの間まで変則的な登校ばっかりだったから、そう思われてるのかもしれません。あと、一応先生に聞いてみたら、お父さんから休みの連絡があったともいわれているから、事件じゃないんだろうって」

 

 お父さんから休みの連絡。

 そのことばを心のうちで復唱したのは、同じタイミングでわずかに身を乗り出した茉優も同じだったようである

 

 城田はそんな様子に気づくことなく、「おれとしては、そこが一番心配だったんですけど……ほら、あいつあほじゃないですか」と続ける。

 

「知らないひとに話し掛けられるとスケッチブックで会話しようとするし、ぼやぼやして移動教室とかもロクにできないくらい管理能力ないし、何回伝えても道とか覚えられないし……もう手が掛かるっていうか」

 

 思い当たる節がありすぎて、思わず時雨は顔をしかめる。

 

「こりゃあ、学校ではだいぶお世話焼きなお守りがいたみたいねえ」と、小声で時雨に耳打ちしてにんまりと笑った。

 

(あいつはやっぱりどこでもあほなんだな)

 

「なんか、変わったこととか思い当たる?」

 

 茉優のことばに城田は一瞬考えて見せたが、すぐに首を横に振った。

 

「表情に出ないからわからないです。でも、いつもどおりぼうっとしているし、変わった様子なかたったです。特に二年の後半からは楽しそうにしてることもあったっていうか……」

 

 城田と目が合う。無意識のうちにそうしていたことに気づいたのか、城田が気に食わないというように目をそらした。

 

 時雨はそれまで(気のせいだろう。どうせ今どきの高校生は防犯対策もしっかりしているんだから、この状況に警戒しているだけだ)で片付けていたものを、やはり違うという結論に戻す。どうやら目の前の平凡な少年は、自分に敵意を持っているらしい、と。

 

 茉優とふたり、校門前で自分たちの素性を明らかにしたときから感じていた、自分に対する少々子どもじみていると思うほどわかりやすい態度。時雨の視線に気をつけながらも、注意深くこちらを観察してくるうるさい目つきや、不快感を隠しきれない口調。

 テーブルの下で茉優に膝を叩かれた。

 

「顔、こわいからやめて。相手は中学生よ? 冷静になりなさいよ」

 

 顔をやや近づけてきた茉優が小さく耳打ちする。なにかいおうとしたが、なにかを感じたらしい城田の表情がますます不快そうに歪む。

 アイスコーヒーを口に含むと、汗をかいた水っぽいそれが手に吸いついてきた。

 

「へえ、じゃあほんとうに知らないんだ。学校にも来なくなったのは、最近?」
「そうですよ。夏休み明けてすぐだったかな? 急にもう、ぱったりと。……藤野さんのほうが原因知ってると思ってましたけどね」

「あー……きみなにがいいたいの? さっきから」
「ちょっと時雨。大人になりなさいよ」

 

 茉優がなだめるのを無視して、挑むような視線と対峙する。臆したのだろうか、一瞬だけそらされた視線も、すぐに元通りこちらを真っ直ぐに見上げる。

 平凡で人畜無害そうな男だと思っていたが、意外と素直に感情を出すタイプらしい。

 

「なんか、俺にいいたいことがありそうだよね」
「別にないですけど、ただ」

 

 城田はそこでことばを切る。そしてたっぷり数秒言い淀んでから、心外そうにつぶやいた。

 

「彼女いたんだなって」

 

 それは、雑音の騒がしい店内にかき消されそうなほどにか細い声だったが、たしかにそう聞こえた。時雨に彼女がいるということを。

 

「そうなの?」
「いるわけないだろうが」

 

 間髪入れずに横から不思議そうに身を乗り出してきた茉優を一蹴する。そうして、周囲の席よりも確実に口数の少なかったその席に、さらなる沈黙が訪れた。城田のストローをすする音がピタリと止まり、それから眉を寄せて時雨と茉優とを交互に見る。

 

 そこでようやく、茉優は合点がいったようだった。

 

「もしかして、その彼女っていうのは私のことだったりするのかな?」
「……違うんですか?」
「いやいや、ないわよお。今はまあ、職場仲間ってところ」

 

 さらっとつけたされていた“今は”ということばは、どうやら城田を刺激しなかったらしい。時雨と茉優との誤解に気づいたのか、城田は曖昧な表情で「はあ」と頷きなのか疑問なのかよくわからない声を出した。

 

「なんだ、そっか。……それならそれで、いいんですけど」
「そうそう職場仲間、あなたの小さなお友達のこともよおく知ってるわよ。……それは別にいいんだけど、あなた、どうしてそんなところが気になっていたの?」

 

 時雨はその問の意味することに気づいてはじめて、やはり女の勘はこわいと心の中でひとりごちる。どうしてそんなところが気になっていたのか――つまり、そんな誤解があったとしても時雨と茉優が恋人同士であるのなら、なにが気に食わないのか。つまり茉優はそう言いたいというわけである。

 

 どんなに度胸がありそうななりでも、やはりしょせん中学生である。すきをつかれたことに狼狽えたのか、城田はわかりやすく下を向いてストローに口をつけた。しかし、中身はもうなくなっている。

 

「あいつがなにかいったの?」
「……あいつはそういうこと言うやつじゃないです、藤野さんも……付き合い長いなら知っていると思いますけど」
「じゃ、なんで? なにを知ってるの?」

「谷口が、藤野さんをすきなんだろうなってことだけ。だから、さっきは、ふたりを見て、あいつは彼女持ちにポヤポヤ恋愛してるって思ったら、なんかあほらしくなって……」

 

 なんでこんなこといってんだおれ……と、弱々しい声が続いた。

 

「なるほど。ってことは、別にあの子から何かを聞いたってことではないのね」
「だから、あいつはそういうのいわないですって。……あいつから藤野さんの話を聞いてたら、なんとなく。最初は信じられなかったけど、あいつ顔は無表情だけど、感情はわかりやすかったりもするし」

 

 茉優がふうん、と、いたずらっぽい視線を時雨へと流しながら、頷く。心なしか、すこし楽しげに口角が上がっているように見えた。

 

「それがまさか、彼女持ちって……て思ったら、あいつやっぱりあほだあほだとは思ってたけど、ほんともうあほだ……」

 

 最後は半ばひとりごとのようなボソボソとしたつぶやきが続いた。

 

「誤解させて悪いわねえ。元ホスト時代からの腐れ縁みたいなものだから、まあ大目に見てやってよ」

 

 どうやら少年にとっては、そのことばも爆弾だったらしい。

 ホスト!? ――カフェには似合わない声が一瞬店内に響き、時雨は眉を寄せ、茉優は楽しそうに笑い、遠慮がちだったりあからさまだったりする周囲の人々の視線が城田へと注がれる。城田は恥ずかしそうに、もう中身はないというのに、ストローを噛んだ。

 

 わざとだろう、というように茉優を睨むけれど、茉優は謝る様子もなくニヤニヤと笑う。

 

「元ホストを好き……全然意味がわからない……もう、あいつやっぱりおかしい……頭どうなってんだよお……」

 

 おかしい……その部分には同調する。が、やはり気に食わない。それは最初に捕まえたときから、この男が自分に敵意をむき出しにしていたからということだろうか。

 

「あの子が学校で暮らせているのは、100%この子のおかげねえ」
「うるさい」

 

 こんな子どもにしたって、しょうがない。嫉妬だなんて。
 時雨は(あほらしい)と波立つ胸中を沈めるように、息を吐いた。

 

「あ、すみません。……人の仕事にどうこういうつもりはないんですけど、つい……あいつそんな不思議な人と家族やってんだなというか……まあ、あいつはわかってないんだろうけど、びっくりして」

 

「ま、そうだよね」時雨は気に入らないことばを見つけて、放っておけば良いというのに、むきになった。「家族じゃないよ、あいつは本物の家族んところいるんだから」

 

 しかし、城田はキョトンとした顔になって、言葉を続けた。
 それは自分にとって、ずっとつけられなかったあきとの関係を示す答えのような気がした。

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