時雨と紅葉。

二十話 夏祭りの静かと涙

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「いやあ、たかちゃんが急に友達連れてくるっていうからどんな子かと思ったら、……ずいぶん可愛いお友達でびっくりしたわあ」
「可愛いってなんだよ。ただ地味なだけだろ」

 

 目の前であははっと豪快に笑いながら浴衣を着せてくれる女のひとと城田とのやりとりを、あきはスケッチブックが手元になかったため、聞く専門としてぼうっと耳を傾ける。

 たかちゃんってだれだろう……としばらく考えて、城田の下の名前を思い出した。

 

(家ではお姉ちゃんにたかちゃんって呼ばれてるんだ)

 

「なによーわかってないんだから。確かにちょっとおとなしそうなイメージだけど、ハーフだし目の色綺麗だしくりくりしてるし、あんたとは人種が全然違うわよお。……はい、谷口くんちょっと後ろ向いて」

 

 こくんと頷いて、後ろを向くときに、ついでに部屋をぐるりと見回す。

 

 なんとなく城田と馴染む雰囲気に思える、素朴な一軒家。城田に通されたリビングには、テレビやダイニングテーブルなど、やや年季の入ったような様子のそれらが飾られている。それはありふれた家庭の景色だったが、あきにとっては不思議と落ち着く空間のように映った。姉と紹介された目の前の女のひとと城田の打ち解けた様子は、なぜだかひどく心地よい。はじめて訪れた家だというのに、あきはこの場所がとても好きになった。

 

「てか、あんたは浴衣じゃなくていいの?」
「いーの。てか谷口とは途中までしか一緒に回らないし」
「……え、意味わかんない。どういうこと?」
「いろいろあんだよ。いーからねーちゃんはさっさと着付けしてよ」

 

 家族といる城田は、学校にいる城田とは違ってすこし新鮮だ。城田はどちらかというとおとなしくクラスメイトに合わせている(あきにはズバズバいうけれど)印象なのに、お姉さんにはこんな感じでいうのだろうか。

 

 どうして城田は、お姉さんにはこんな生意気な口調なのだろう。不思議だ。

 

(きょうだいって、こんな感じなのかな)

 

 お姉さんは、城田のことがきらいにならないのかな。
 屈託ない様子で話すふたりは、城田の様子もふくめてすこし新鮮だ。

 

 まだ家族のかたちを知らないあきは、心のうちで首を傾げた。それでもなんとなく、家族を前にした城田は自然体で、リラックスしているような気がする。お姉さんも特別気を悪くした様子はなく、「はいはい」とぶっきらぼうに返事をしてあきの帯を締めてくれた。喧嘩にはならないような、ほんの小さな言い合い。

 

 帯はちょっときつい。

 

「大丈夫? 浴衣、はじめてなんだってねえ。きついと思うけど、気持ち悪くはない?」

 

 気持ち悪くは、ない。

 

 ――クラスの子とお祭りに行きたい。

 

 勝手にうそをついて城田を巻き込んだ以上、事情を離さないわけにはいかなくなってしまった。そもそも自然と取り繕ったりうそを何重にも固めることができたりするほど器用ではなかったあきは、しばらく悩んだもののおおまかな事情を城田へ伝えておくことにした。城田が協力してくれるかについては、あまり疑うこともなく。

 

 これまではお父さんでないひとと暮らしていたこと。お父さんはそのひとと会うと心配してしまうこと。そのひととお祭りへ行く約束をしたため、お父さんには心配を掛けずにお祭りへ行きたいということ。といった具合にである。

 

 説明は上手ではないので、どこまでどんな様子で伝わったのかは定かではなかったが、「つまりシンデレラみたいなイメージ?」と難しい顔でいわれたので、とりあえずよくわからなかったが頷いておいた。城田は城田なりに理解をしてくれて、「ふうん、それは大変だね。ていうか、それ、おれがもし協力しないっていったらどうするつもりだったの。いじわるなお姉さん側だったら」とややへんな顔をしながらも、協力を約束してくれたのだった。いじわるなお姉さんってなんだろう。

 

 城田なら協力してくれるってわかっていたから打ち明けたのだが、それをいう機会はついに訪れないままだった(城田はその後、図書館から自分で借りてきたらしいシンデレラの本をあきに渡した)。

 

 また、「どうせお祭りに行くなら」と家に招待してくれることになったのは、ほんの数日前。浴衣を着たことのないあきを連れ添って、着付けができるというお姉さんを紹介されたのが、数時間前。そして今に至るということである。あきははじめ、浴衣や着付けというキーワードにピンと来なかったのだが、実際に紺色のシンプルな浴衣を着せられて気づいた。これはお祭りで着るものである。

 

(お祭りの浴衣、ピンクとか赤とかたくさんなのに、ぼくのは派手じゃないんだあ)

 

 あとで城田にそのことを伝えたら「ばかそれはおまえ、女のひと用だろう」と笑っていた。

 

「いいわねえ。顔立ちが整っているから、このくらいシンプルな浴衣がぴったり似合うわねえ。……たかちゃんにはちょっと地味に思えたんだけど、これが顔面の差ね」

「ほっとけよ」
「サイズがちょっと大きいのはしょうがないとして、これ以上小さいと女の子用になっちゃうから、我慢ね」

 

 おなかが苦しいけれど、いつもと違う格好になんだかドキドキする。ひらひらとした袖の隙間から夕方の生温かい空気が入ってきて、涼しい格好だ。お姉さんの、城田と同じ真っ黒い肩下までの髪を無造作にまとめあげているところや、露出の少ないシンプルな服装は、茉優みたいですきだ。うん、可愛い。といわれて、なんとなく褒められているようなくすぐったい気持ちになって、ぺこりと頭を下げる。

 

「どういたしまして、お人形みたいねえ。お姉さんと回ってもいいのよお」
「違うって。こいつは兄貴と回るの」
「ああ、そうなんだ。家族水入らずなのね、それは邪魔出来ないね」

 

 兄ちゃん、家族。

 

 そんなイメージと時雨とはすこしも上手く重ならなかったけれど、“お兄ちゃん”という響きはなんだかとても温かい気がした。もしも時雨と家族だったら、お兄ちゃんみたいな存在かもしれない。と、あきは考える。

 

(お兄ちゃんじゃ、しないことも、あるけど)

 

「谷口、……なんで顔赤いの?」

 

 ぶんぶんと首を横に振って否定した。

 

 浴衣のせいでいつもよりも歩みが小さくなるのを感じつつも、もと来た玄関まで戻ると、下駄と呼ばれる履いたことのないものが用意されていた。浴衣のひとは、ビーチサンダルみたいなこれを履くらしい。ただ、ビーチサンダルよりも……痛い。

 

「大丈夫? 靴ずれになるかもしれないけど、巾着に絆創膏入れておくからね」
「おまえいつも歩くときよろよろする癖あるけど、今日は更にだな。兄貴に手でもつないでもらえよ」

 

 城田のからかい口調には、またぶんぶんと首を横に振った。

 

『ありがとう』

 

 小さな巾着には入り切らないだろうと、お姉さんが貸してくれた小さなメモ帳にそう書く。そのあとに、戻る時間を告げた。お父さんが近くまで迎えに来る時間には、すっかりいつもの服装に戻っていなければならない。

 

 あきはどうしても履き慣れそうもない下駄に足を通して、とんとんとその場で足踏みしてみる。

 

「どういたしまして。楽しんできなよ」
「……たかちゃん、やさしいじゃない? どうしたの?」
「うん、だっておれ、いじわるなお姉さんにはならないもん」
「は?」

 

 お姉さんは城田のへんてこな物言いに首をかしげる。
 シンデレラを読み終えていたあきは、城田はいじわるなお姉さんじゃない!といわんばかりに、ぶんぶんと横に振った。

 
 

 
 *
 
 
 
 待ち合わせの時間を大幅に遅刻して時雨のアパート前までついたとき、あきは(塵も積もれば山となるとはこのことか……)と思った。どういうことかといえば、歩幅がやや狭くなったことに対しては歩きにくいなくらいしか感じていなかったが、何千歩と歩くうちにこんなにも大きな時間のロスとなり、遅刻に至ってしまうということである。

 

 マイペースなあきが時間に遅れることはいつものことだけど、悪気がないわけではないので、不機嫌そうな嫌味に身構えるようにして、インターフォンを押す。以前のマンションと比べるとだいぶグレードダウンした「ピーンポーン」という電子音が鳴り終わるか終わらないかのうちに、ドアが開いた。

 

「おまえなんなの? 毎日毎日遅刻しなきゃ気がすまないわけ? ……って、なんだその格好」

 

 二週間ぶりだというのに、案の定不機嫌さを隠そうともしない――が、予想外のあきの格好にすこし驚いた様子になって、目をしばたかせる。それからインターフォン前で身構えていたあきの格好を、上から下まで軽く一瞥した。

 

 一方のあきは時雨の刮目には気づかずごめん、と、浴衣、のどちらを先にいうべきか迷った後、ドアノブを持っていなかったほうの手を捕まえてもじもじしながらも『ごめんなさい』と謝る。

 

「いや、まー……おまえが遅刻するのなんざいつもなんだからいいんだけど。それよりもなんでそんな格好してるの」
『浴衣』
「知ってるよ。まさか自分でやった……わけないよなあ」
『城田とお姉さん』
「姉さんってのは、そのシロタってやらの?」

 

 時雨が口にするシロタはいつも、イントネーションがへんである。しかしあきは気にすることなく頷いた。時雨は深く気に留める様子もなく、コンビニへ行くときと同じような身軽な様子で玄関を出た。こういう場合にはたいがい、携帯とポケットはジーンズの尻ポケットに突っ込まれている。

 

 ノースリーブのシャツから、ホストだった時代よりもすこし逞しくなった二の腕が覗く。それにすこし、日に焼けただろうか。前の時雨は白かったけれど、今は健康的な肌色になっている。あきはそうして、二週間ぶりの時雨を無意識のうちにくまなく観察した。

 

「おまえ、髪色も目の色も派手だから和服似合わなそうだったけど、こうして見ると意外と大丈夫だね」

 

 鍵を閉めた時雨を追って、からんからんと音を立てながらその背中を追う。振り返った時雨が音をたどるようにしてあきの足元を覗き込み「なるほど。これがおまえの遅刻理由ね」と顔をしかめる。それに続けて、靴擦れひどくするなよとも言っていた。

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