時雨と紅葉。

十四話 仲直りと嵐の予兆

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「おまえ……しつこすぎ」

 

 すきなひととしかしてはいけないことを、友達の城田にしてしまったこと――それがルール違反だったことを学んだあきは、次の日から早速謝罪を試みた。しかし状況はそれほど芳しく無く、当たり前のように城田は無視を決め込んだ。あきがどんなにスケッチブックを振っても、城田の前を陣取ってアピールしても、無視である。しかしここで時雨との出会いのなかで培った意地汚い諦めの悪さがすっかり染み付いていたあきは、是が非でももう一度話そうと休み時間・昼休み・放課後と城田に張り付く。

 

 そんな無言の合戦を繰り返し――事態はすっかり膠着状態となっていた。先に音を上げたのは城田のほうであるが、その理由はあきが不憫というよりも、自分たちを取り巻く好奇の視線に耐えきれなくなったらしい。やりとりをしているうちに、ふたりのへんてこな合戦はクラス中の知るところと鳴り、遠巻きに見られる数が圧倒的に増えたのだ。

 

 なおさら無視を決め込みたくなるが、当の本人は何を気にするふうでもなく、ひたすら城田をじっとりと見据え、『ごめんなさい』とだけ書いたスケッチブックを突きつけてくる。このままでは自分の平凡な学校生活が脅かされるということで仕方なく事件解決となったが、あきは話しかけてくれたことに対して手放しで喜んだ。

 

 慌てたようにスケッチブックに次の一言を書き、城田に見せた。

 

『二度とぜったいにしないよ』

 

 と。城田はため息をついて、「わかったよ」と不満げにいい放った。

 

『ありがとう。城田どこいくの?』
「もう放課後だから、帰るの」
『いっしょにかえろう』

 

 城田はげんなりしつつも他に選択肢がなかったのでうなずいた。あきはスケッチブックを仕舞って城田の横に並ぶ。そうして歩き出すと、あきは元々喋ることが出来ない上に、城田も口数が多い方ではないので、あっという間にふたりを沈黙が包んだ。城田は神妙な面持ちでいたが、やがて気まずさに耐えきれず口を開いた。

 

「おまえ、友達いたことあるの? どんなふうにいつも一緒にいたわけ」

 

 なにやら機嫌良さそうに歩いていたあきが、弾かれたように城田を見上げる。異国の血を感じさせるヘーゼルアイの双眸がすこし驚いたように丸みを帯びている。さきほどかばんに仕舞ったスケッチブックを再度取り出そうとしたので、城田は慌てたように制した。

 

「あ、やっぱりいい。そうか……うん、か、いいえの質問をすればよいのか。えっと、谷口は友達いたことあるの? ってこれ、失礼か」

 

 城田はばつが悪そうな顔をしたが、あきは表情を変えずに首を横に振った。友達がいたことはないから、それでいえば城田は初めての友達ということになる。

 

(へんなの、城田。さっきまですごくいやそうだったのに、もうケロッとしている。いやなことをすぐに忘れるのかな、すごいなあ)

 

 お人好し具合を“へん”と判断しながらも、あきはどんどん城田という人間に興味を持ち出していく。最初こそチャーハン職人だからという理由からだったが、今はそれ以上に城田というひとともっと話してみたい。これが友達ということなのだろうかと、ほとんどはじめての感情に戸惑う。

 

「そっか。じゃあどうやってコミュニケーションするのか、よくわからないな」

 

 友達がいなかったことについてさほど驚かれないことに、あきは特になんとも思わない。同情に顔を歪めることも、それに関してなにかコメントすることもないまま、ごく自然に会話を続けようとする。

 

「僕、あんまり喋るの得意じゃないんだけど……そうだな。なんでくらげのお土産買ったの? っと、これだとスケッチブックか……難しいな。えっと、谷口はお土産買ったの?」

 

 頷いて、ポケットから鍵を取り出した。最近時雨からもらったものであり、それにはビーズで出来たあのプラスチック製のキーホルダーである。おもちゃみたいにブラブラゆれるビーズの明日が、取り出した拍子にしゃりしゃりと音を立てた。城田に上げたのはピンクで、あきのは水色である。いかにも子どものお土産といったそれを、いつもよりもほんのわずかに得意げな様子で見せてくるあきに、城田は思わず笑いそうになる。

 

「おそろい? 女みたいなことするんだな、谷口って」

 

 この問いかけはあきには難しかったらしい。首をかしげて、鍵をポケットに戻した。

 

「おまえ、中一の頃から全然学校来てなかったじゃん。僕たち一年生のときも同じクラスだったんだよ。谷口は学校来ないからどんなヤンキーかと思ってたけど、全然普通なんだな」

 

 というよりむしろ、あきの行動一つひとつが、世間一般の中学生とは色々な意味でズレすぎている。そういうことに気づいたからこそ、仮に自分のファーストキスが、このきれいな顔立ちとはいえど完全な男であるこいつに奪われても、まあいいかと許容できたのかもしれない。

 

 うんともいいえともいえない、独り言のようなことばに、あきはただ首をかしげている。

 

 上履きと靴を履き替えて、すでに野球部の掛け声がこだまする校庭を横切る。あきは水族館へ行く手前で時雨に買ってもらったマフラーが、風に揺られないように巻き直した。マフラーの巻き方はまだマスターしていなかったので、ぐちゃぐちゃである。

 あきは、自分よりもわずかに斜め上にある城田を見上げた。城田は次の話題を考えているらしく、あきの視線には気づかない。

 

(心が、ほかほかする)

 

 ストーブの焚かれた教室を出て、肌を刺すように冷たい外の空気に触れたというのに、あきは自分のからだに不思議な違和感を覚える。こうして一緒にいると、落ち着くのだ。それは、時雨にというよりも、茉優やリョウタに感じるそれと似ているような気がしたけれど、もうすこし“近い”気がする……ものだった。

 

 あきはそんな心に、まだ名前をつけることが出来ないでいる。

 

「谷口の帰り道はここから左?」

 

 首を横に振る。

 

「じゃ、右か。途中まで一緒だな」

 

 頷いた。
 そこでまた、会話が途切れる。そしてまた、城田がすこし考える素振りを見せる。と――そのときだった。

 

「あの、失礼。きみはもしかして、谷口くんかな。谷口若葉さんの息子さんの」

 

 集中して、城田から次に来る問いを待っていたから、反対方面の正門に背中をあずけていたそのひとに――あきはそれまで全く気づいていなかった。もちろん、必死にコミュニケーションへつなげるための質問を考えている城田も――である。

 

 谷口若葉。母親の名前だというのにイマイチピンとこなかったのは、久しくその名前を聞いていなかったから。
 反対方向を向くと、制服やジャージの生徒が行き違う校門には似合わない、スーツのおとなのひとが、柔らかくも硬くもない、なんの感情も読み取れない双眸で、たしかにあきを見下ろしていた。

 

 条件反射で、頷いた。そのひとも、ああ、と小さく頷いた。すこしも意識していなかったが、先ほど校門へ足を運んでいたときから、からっとした空気の包む冬枯れの景色のなかに、このひとはずっと待つようにここにいたような気がした。

 

 厚手のトレンチコートの裾からは、上品な紺色のスーツがちらりと顔を覗かせている。無機質な眼鏡の奥にあるニコリともギロリともしない目元は、ただあきの姿を観察するように注視している。平均の中学生男児よりも上背のないあきと城田の眼の前に立つと、そのひとは大人の象徴のようにすらりと細長く見える。

 

「きみを探していました。はじめまして――君のお母さんである谷口さんのことについて、すこしお話したいのだけど、お時間頂戴出来ますか」

 

 あ。このひと、はい、か、いいえかの質問をくれる。優しいと感じたけれど、その裏で、なぜかその質問にすぐに答えられない自分がいることに気づく。どちらとも反応しかねていると、ぽかんとしていた城田が、『こらこら』というようにあきの袖を引っ張ってそのひとから引き離した。

 

 無言で校門を右へ横切る。腕を掴まれて引きずられながら、あきはそのひとを振り返る。足に根っこが生えているみたいに動かない。すぐに視界から消えてしまった。

 

「念の為聞くけど、知り合いじゃないよな」

 

 頷いた。

 

「『知らないひとについていくな』、これ常識ね? わかった?」

 

 再び、頷いた。

 

「今後あのひとが来ても、ついていっちゃだめだからな」

 

 ダメ押しのように、頷いた。

 

 ――きみを探していた。

 

 城田と一緒にいたときの心のほかほかは冷たい氷でもぶつけられたかのように、あっという間に霧散していく。代わりになぜだか、心がひどく揺らいだ。

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