時雨と紅葉。

九話 たまごやきと半分こ

28

「うざい」

 

 そういや最近、あきは元気にやってます?
 休憩時間にそう聞かれるもんだから、来店していた客へのイライラと、一言も喋りたくない休憩時間に軽率に話しかけられたことへのイライラと、家で爆睡中であろう子どもへのイライラが重なって、にべもなくそう答えた。

 

 問いかけた張本人はぎょっとして。「ちょ、まじ暴力とか俺はだめだと思うっす!」といい放つ。

 

「暴力どころか触んのもいやがってっから。つーかあいつ意外と俊敏だし平気」
「で……暴力とかは……」
「ねーよ」
「よかったあ。俺、それだけは無理っす。あんなちっちゃなインコとかハムスターみたいな系統のやつ、拳を向けるのも無理っすよお。まあ苦手っすけど」

 

 客の前でもよく回る口は、だれに気をつかう必要のない休憩室でも健在のようだ。……休憩中くらい口を休めてやったらどうなんだ。リョウタに会いに来る女は、このよく鳴るタンバリンみたいな耳障りな声の、どこが魅力に感じるのだろう。店の中では決して見劣りするほうではないさっぱりした容姿か、それとも夜の街には不釣り合いなほどあけすけで表裏のない喋り方か。

 

 夜の街には似合わない陽の雰囲気を持つこいつに惹かれる女は多いのだろうが、俺が女なら喚くな黙って色と二、三発は殴っているだろう。と思いつつ、肩を回した。時雨とリョウタの勤める店はきらびやかな衣装にとことんこだわったゴテゴテのホストというより、やや落ち着きのある店内の装いとダークスーツが持ち味であり、特におかしな衣装をまとわされることはないが、どうしたって肩は凝る。

 

「……その動きおっさんくさいっす。女の子の前でやらないでくださいね」
「わかってるよ」
「時雨さんって、今いくつでしたっけ」
「にじゅうはち」

 

 ホストの寿命的にはかなりギリギリであるものの、時雨の店では高めの年齢が売りになるため、店では三十を貫き通している。しかし去年から三十と言い続けているので、太客の中にはすでに訝しんでいる連中も多いだろう。

 

「ていうか、時雨さん? ……触んのもいやがってるって」
「あーソウソウ。逃げんだよ」
「なんかしたんすか?」
「なにも」

 

 そう、ほんとうになにもしていない。

 

 なにもしていないものの、時雨の手からはその時々に応じて忍者のごとくすり抜けたり、かと思えば石のように固まったりする。本人は懸命にさりげなくやっているつもりだが、その実かなり露骨である。

 

(熱んときの我が儘でも気にしてんのか?)

 

 そんなこと考えられるほど脳が発達しているとは思えない。ここ数日は同じような思考回路のサイクルがあって、それをグルグル回っては、結局やつみたいな宇宙人のことはよくわからないという結論が終点になる。

 

 あー、思い出しただけでイライラするガキだ。
 いっそ捕まえてみたくなる。

 

「なんか、あきと一緒にいる時雨さんは普通じゃないっすね」

 

 ぎしぎししているからだのあちこちを緩和しようと首を回すと、苦笑するリョウタが視界の端に映った。

 

「なにがおかしいんだよ。殴るぞ」
「いやあ、でも、案外あいつといるときの時雨さんの方が、ほんとうなのかもしれないなあ。んなこと考えてたら、なんか、俺もあきに会いたくなってきました」

 

 そのあとは妙にニヤニヤされて気分が悪かったので、なにやらひとり上機嫌なリョウタを置いて、足早に休憩室を出た。

 

 ――俺もあきに会いたくなってきました。

 

 リョウタの来訪に、いつも玄関まで迎えにあがるほどの喜びを見せる子どもを思い起こしながら、(あいつも会いたがってるか)と考える。らしくないことを打ち消しながら、再び喧しいフロアへと歩みを進めた。

 

(ばかばかしい。……なんで俺があいつの機嫌を取らなきゃならない)

 

 男で、子どもで、空気の読めないばかを。
 なんで、放っておけないのか。放置しておけば、またどこかへフラフラと消えるからか、俺が触るのをいやがるからか――そのすべては、いったいどんな感情から枝分かれしてきているのだろうか。

 

「時雨、遅い。休憩長くない?」
「早めに戻ったよ」

 

 備えつけのソファに座ると、そばにいた客が身を寄せてきた。テーブルに用意されていた酒を煽りながら、あきがソファに寄りつかなくなったのを思い出す。思考回路のいたるところにあきがいることに、また苛立つ。

 

 俺が、あいつに、いったいどんな感情を抱くというのだろう。

 

 喉を潤す高価でまずい酒を味わいながらゆっくりと目をつむると、抵抗のないからだをベッドに引き倒したとき目の当たりにした、湯上がりのせいでやや上気した頬と、きょとんとしながらも親を頼る雛鳥みたいな目でこちらを見上げる双眸。まがいものでない澄んだヘーゼルアイに射すくめられたとき、妙なその感覚は訪れた。

 

 かつて一度も味わったことのないものだった。
 まるで毒牙にかかったかのように、喉が乾いた。

 

 露わになった首元にくちびるを埋めて、噛みついて、おかしな家庭環境にいたにもかかわらず真っ直ぐすぎるほど直球な瞳を涙ぐませて、からだを引き裂いてしまいたいような、暴力的な感情が、ハリケーンのように全身を通過した。

 

 目をそらせ、と、脳が警告していた。

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