時雨と紅葉。

九話 たまごやきと半分こ

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 変化は突然訪れる。なにかというと、あんだけ色々と思うところがあるらしく渋っていたあきが、学校へ行きはじめたことだ。とはいってもその登校の仕方はなんともマイペースで、三日連続で行ったと思ったら休んだり、かと思ったら一日行ってまた休んだり。


 元インテリのリョウタ曰く、中学校なんざ義務教育なんだから不登校でも卒業できるし、マイペースに行かせてやればいいとのことなので、口出しするのはやめた。

 

(ま、頑固なところあるし、なにいっても聞かないんだろうけど)

 

 基本的に夜型の時雨と常人の生活をするあきとは、ますます時間が合わなくなっていった。どちらかが休んでいる日を除けば、顔を合わせるのは朝と夕方のひとときくらいだ。

 そして、学校へ向かうあきが必ずルーティンにしていることが、

 

「……」
「はいはいへんじゃねーよ」

 

 仕事終わり、ふとんへ倒れている時雨の前に立って、自分がへんじゃないかを確認することである。出かける前に必ず時雨の元にきて、アホみたいに突っ立って背筋を伸ばしてから、『へんじゃない?』と聞いてくるものだから、てのひらを使わなくったってわかるようになってしまった。

 

 おざなりに返事をすると、怒られる。ちゃんと見ろと。仕方なく三秒くらいじーっと凝視してから返事をすると、文句をいわなくなった。

 

「目も、へんじゃない」

 

 あきは満足したようにこくりとうなずいて、寝室へ入ってきたときのままリュックを背負いなおす。……あきが特に目の色を気にしていることに気づいてからは、気が向けばこういってやっている。

 

(普通に、きれいだけどな)

 

 親からの刷り込みってのは、なかなか抜けないらしい。
 頷いたまま、じ、と見つめ、それから踵を返そうとしたあきに、手を伸ばした。

 

 ――変化は突然訪れる。

 

 あきに訪れたもうひとつの変化がなにかというと、これだ。

 

「……っ」

 

 風邪を引いてからというものなぜかべったりになっていたあきが、時雨の手が自分に触れることを避けるようになった。

 

(避けるというよりは、怖がってんな。本気で)

 

 手を伸ばした時雨に対する最近のあきの反応は、状況によってニパターンに分かれる。まず、自分が逃げられるところにいるのに手を伸ばされた場合は、逃げる。次に、どうあがいても自分が逃げられない位置で手を伸ばされた場合、硬直する。

 今は時雨がベッドに突っ伏したまま手を伸ばしたから、逃げられたけれど、いらつくのは硬直されたときだ。

 

(この世の終わりみたいな顔しやがる)

 

 自分のなにがこいつをこんなに怯えさせているのか、皆目検討もつかないけれど、そんな反応をされてまで触る趣味もないので、手を下げてやる。そうするとあからさまにホッとされるから、なんとなく、むっとする。

 なにおまえ、この間までベタベタくっついてきたくせに、と。

 

(ただ、いらつく)

 

 いってしまえば、拾った秋の入口頃に戻っただけだというのに、どうにも自分勝手すぎるあきの行動がいらだって仕方ない。怒るとまたへんに怯える可能性があるから、平然を装っているけれど。

 

 振り回されている自分にも、意味の分からない感情の渦巻く自分にも、いらだちが募るばかりだ。おまけにあきが学校へ行く日が増えるもんだから、へんに暇になる。

 

 そんな感情に気づいてはじめて、時雨は自分の生活がちいさなあの子どもによって塗り替えられていることを知った。

 

(めんどくせえ)

 

 時雨の手から逃げたあきが、寝室のドア前で振り返って、おそるおそる左手を左右に振った。いつも茉優が帰り際にしていた動作を見よう見まねで覚えたらしい。時雨も雑にひらひら手を振った。今度こそ満足したように、あきがドアの向こうへ消えていく。当然、部屋の鍵はひとつしかないため、開けっ放しにして。

 

(あからさまに気まずそうな顔しやがって)

 

 すこしずつあきの表情には違いが出てきていて、それを確実に汲み取るようになっている自分には気づかず、時雨はひとり悪態をついた。

 

 

 

     *

 

 

 

「なあ。聞くけどほんとうに最近おまえなにしにきてんの?」
「なにってあんたとセックス」

 

 嘘つけ。じゃあなんでおまえは休日に部屋にきて、一番にあきを構いながら家主である俺への挨拶もなくキッチンに直行してんだよ。

 といおうと思ったのだけど、久しぶりに部屋を訪れた茉優に対するうれしさを隠そうともせず、「新しいりょうり、おしえて」というスケッチブックを片手にぐいぐい茉優につきまとっているあきを見て、やめた。

 

(うれしそうにしてやがる)

 

 正直最近あきとの間に妙な空気が流れることがあるから、自分じゃないやつに純粋なうれしさを爆発させるあきを見ていると、これまた苛立つ。なんだおまえ、俺にはあんなよそよそしいときがあるのに、と。

 

 むきになっている自分に気づいて、やってられんとソファへ戻った。こうなると、料理ができない時雨は完全に邪魔者扱いなのである。適当にテレビをつけるが、これといっておもしろいもんがやっているはずもない。

 

「時雨、テレビ見るんだ」
「見ねえよ。あいつがたまに見てんの」

 

 なんでまたテレビを買うということになったのかは知らないが、あきがくるまでは確実に置物と化していたそれをいつの間にか小さな子どもが興味を持ちはじめ、ひとりでにチャンネルを操作するようになっていたのだ。
 あきはそんな時雨なんて素知らぬ顔をして、茉優のとなりに立って新料理を教えてもらっているらしい。カチャカチャと一定な心地よい音と、ガッチャンと不自然な不協和音が交互に聞こえる。おかしいくらい、どっちが出した音なのかが分かってしまう。

 

 こういうとき、時雨の仕事は味見役なので、黙って待っているしかない。

 

(ていうか、まだ三時間しか寝てないし)

 

 朝方まで仕事をして、帰ってきてあきが眠っている寝室のとなりに飛び込んで、やっと深い眠りについた午前中に茉優の襲撃である。寝足りない時雨とは裏腹に、昨夜遅くとも十時には寝ていただろうあきはすっかり目を覚まし暇を持て余していたので、急な来訪にそれはそれは喜んでいた。

 

 決して笑ったり、キャッキャと騒いだりしているわけではないのに、ご満悦な様子がひしひしと伝わってくる。
 発熱していた十月下旬以来ここには来ていなかったので、二週間ぶりになるか。

 

 あきはどうやら、茉優とリョウタにはかなり懐いているらしい。全面的に信頼をおいているみたいで、その様子はまるで猫のようにわかりやすい。

 

 料理教室を開く茉優の声と、素直にいうことを聞いているというのに不器用なあきの出す音を聞きながら、時雨は寝不足で重たい目を閉じた。

 

「はい、完成! ほら時雨、あきが起きろって」

 

 で、やっぱり味見に関しては厳しいあきに、容赦なく叩き起こされる。茉優の代弁によって叩き起こされて、目を開くと目の前にホカホカの黄色い物体をぐいぐいと出された。ご丁寧に、箸つきだ。

 できたてなのだろう。ほくほくとした湯気を出している、ところどころ薄い茶色と白がまじった、まあ全体的には黄色いそれを見下ろす。

 

「たまごやき?」

 

 あきが頷いた。

 

 たまごやきというにはやや不格好だし、色もあれだけど、あきに関していえばはじめてにしては上出来だろう。押しつけられた皿を受け取ると、しょっぱい香りがした。甘いもんがだめな時雨に、茉優が気をつかってか、しょっぱいものにさせたのだろう。

 

(てか、これ絶対二個くらい使ってんだろ……)

 

 時雨の記憶では、たしか帰宅後も朝ごはんと称してあきにたまごかけごはんを食わされている。今日は三個食わされる日か。まあ、たまご消費大魔王みたいなあきのそばにいるのだから、さして珍しくないけど。

 

 あきはソファに腰掛ける時雨のとなり――ではなく、なぜかソファを背もたれにしてフローリングに座り込む。そうして、自分用に作ったらしいたまごやきを手に取った。妙にそわそわしている。

 

「あの子、甘いたまごやき食べたことないんだって」
「あー。あいつのは甘いわけね」
「あんたのも甘くした方がよかった?」
「いらん。不味いだろ」

「口に合わないっていいなさいよ」

 

 あきの癖は、自分が箸をつける前に、必ず時雨が食べるのを見守ること。下からじいーっと見上げてくる視線を感じつつ、たまごやきを口にぽいぽい放り込んだ。

 

 味つけは、まあ茉優監修の元なので、悪くない。焼き加減もちょうどいい、たまごの殻も入っていない。……今回は成功といってよいだろう。咀嚼する時雨を穴が開くんじゃないかというほど不躾に見つめてくるあきに、「うまいよ」と声をかける。するとあきはくるりと踵を返して、自分のたまごやきに向き直った。

 

 おそるおそるといった手つきで、箸をたまごやきにつけているあきを後ろから覗き込む。自分で作ったのに、なにをビビってんだ。はじめて食うからって。

 

 監修をしていたはずの茉優は、自分の役目は終えたといわんばかりにキッチンへ戻って、手早く洗い物をしている。ボウルやフライパンを泡でこする音と、陽気なテレビの音が重なっていた。

 

 箸で持ち上げたたまごやきをしばらく凝視していたあきが、思い切ってぱくっとそれを口に入れる。もぐもぐ、そしゃくして、今度は素早く次のたまごやきに手をつけた。やっぱりたまごばかなので、美味しかったらしい。

 

 あきのからだに触らないようにしながら、時雨は残っていたたまごやきの半分を後ろからかっさらった。振り返ったあきが、一瞬本気でショックを受けたのを横目に、自分のものを半分分け与えてやる。なにするの!と抗議の瞳になったそれが、落ち着いて、なあんだ、と与えられたたまごやきに手をつけた。

 

 どうやら、はんぶんこならいいらしい。しかも、時雨が自分に多めにたまごやきをくれたことがわかったらしく、むしろご機嫌である。最近食い意地がすごい。

 

「時雨、甘いのだめじゃん」

 

 いつの間にか洗い物を終えていた茉優が、濡れた手を拭いながら戻ってくる。時雨は、口の中にふんわりと広がった、子ども仕様の激甘なたまごやきに眉をしかめながらいった。

 

「こいつが美味そうに食うせいだよ。……甘すぎ」

 

 とはいえ、やはり時雨の口には合わなかったらしい。無理やり交換したくせにと恨めしげなあきを無視して、残りのしょっぱいそれを口に突っ込んだ。

 

「なんか、あんたたち兄弟みたいになってきたねー。仲良いねって、そういやルリちゃんもいってたわ」
「は? なにおまえら会ってんの?」

 

 最近一番にセックスした女と、完全にその関係がなくなりつつある女で、いったいなんの連絡を取るというのだろう。胡乱げな目をした時雨に、茉優がにやりと笑ってスマホをひらひらさせる。

 

「会っちゃいないけど、これで連絡取ってる」
「ろくでもねえ会話だろどーせ」

 

 自分の足元でたまごやきを頬張るあきが、どんな表情をしていたのか、時雨は知らない。ただそのつむじが、隠れるように天井を向いて、茉優との会話中にはただただ咀嚼する音だけが聞こえていた。

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