時雨と紅葉。

六話 公園とスケッチブック

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 次の日の時雨は、「すいみんぶそくだ」といってまるでおとぎ話の眠り姫みたいにベッドに倒れ込んでいた。時雨が起きないせいでせっかくたまごかけごはんを作ろうと思ったのに、とあきは肩を落とす。

 

(でも、時雨、疲れてるんだあ)

 

 あきといえば時雨がいないときでさえ睡眠に時間を割いているというのに、時雨が眠っているからといって自分もソファでゴロゴロしていると、やはりいつの間にか眠っている。起きている時間と眠っている時間の比率が、完全に逆になっていた。

 

 次の日、ぴんぴんになった時雨が足早に出かけたと思ったら、鞄や筆記用具が一緒に帰ってきた。それから唖然としているあきを連れ出す。学校名をスケッチブックに書くと、あれよあれよという間にからだを採寸され、制服ができあがった。

 

「学校に必要なものってなんだ? ……十年も前ってなるとわっかんねーな」

 

 制服を手にした時雨が次の手を考えあぐねていたので、あきが教えた。

 

『たいそう服』
「あーそうね。……ていうかおまえさあひらがなちょっと多くない? 国語苦手なわけ? でもどんくさいから体育とかができるタイプでもなさそうなのな」

 

 あ、今ぼくをばかにする目をした!
 あきは手早く『たいそう服』に大きなバツをつけると、その下に丁寧に『体操服』と書き直す。自慢げに見せると、「はいはいよくできました」と適当にあしらわれた。さしずめ、なにをむきになってるんだか、中学二年生なら当然だろう、といったところだろう。

 

 すべてを買い揃えた上で、時雨は両手を荷物だらけにしながら、時雨の二分の一サイズの袋で両手を荷物だらけにしているあきに向かっていった。

 

「いいか、行きたいなら行けばいいけどそうじゃないなら行かなくてもいい。義務教育なんざそうやって適当にしてりゃいいんだ。おまえのすきにしろよ」

 

 とりあえず、今日の袋はどれひとつとして開封されることなく、リビングのクローゼットにぽいぽいと突っ込まれることになった。

 

「あ、だからそこで手早くかき混ぜるんだって。……あんたあれだよね、箸の使い方汚いよね。壊滅的に不器用だよね。何度もいうけど」

 

 む。時雨と同じことをいう。

 

 今日の茉優も、いちだんとラフである。ネイビーの短いダッフルコートの中には、ボーダーの八分丈ティーシャツ、白地のジーンズ。厚化粧とひらひらしたスカートという凝り固まった女性像を覆すすっきりとした出で立ちが、あきを無意識のうちに安心させる。あきといえば、その日は運悪く数少ない私服が洗いに回されているのと、乾いていないのが多数であるのとで、一日時雨のパジャマ族である。

 

 茉優曰く「こんなになって可哀想」といわれたたまごかけごはんその二――炒りたまごたちがフライパンの上で固まりきる。火にかけたときはドロドロだったのに、こうしてぱさぱさするのは、あきには不思議で楽しい。粒の大小の差は荒々しいが、時雨に禁止令を下されたときに問題になった味つけはできている。茉優に教わった。

 

 それにしても、不格好。そんなことは気にせずできあがったごはんにそれを「盛りつけ」という言葉とは縁がないといわんばかりに豪快に乗せていくあき。茉優はたまらず、といった具合でその手を止めさせた。

 

「それ私が食べるわ。……あんたにはもう一個教えてあげる。これより簡単だから、そっちを作って時雨に食べさせなさい」

 

 そんなわけでその日、あきは茉優に、たまごかけごはんその三を教わったのである。

 

 朝食にはぴったりだからと茉優がいった通りに作るそれは、五分足らずでできた。大盛りのごはんにそれを盛りつけたあきの心は、弾む。

 

(これ、すき。……なんだか癒される食べもの)

 

 それに、炒りたまごよりもかんたんだった。ひとつ目の手順さえクリアできれば、ほぼ成功するといってよいだろう。茉優が買ってきてくれた「塩コショウ」の点々が乗ったそれは、ごはんの上でプルプル揺れている。

 

(割れないかなあ)

 

 ソファに寄りかかってテレビを見る眠そうなつむじを見つける。それが割れてしまわないように細心の注意を払いながら、あきは仕事帰りの時雨にそれと箸を渡した。取り立ててどうということはない朝のニュースを見ていた時雨が、それを受け取って、括目する。

 

「なに、レパートリー増やしたの? 難易度下がったね」
「めだまやきどん」
「丼にするもんでもねえと思うけど」

 

 そう、茉優曰く「めだまやきどん」というらしいそれは、ごはんの上に割ったたまごをそのまま焼いたものがプルプルと乗っかったもの。たまごの形がかわいくてすきだと、あきはそれを見ながらほうっと息を吐く。

 

 たまごは同じ一個だというのにごはんの量が三分の一になった自分の器を持ってきて時雨の隣に座る。時雨は既に食べはじめている。

 

「おまえはいいよね。飯の量とたまごの量が妥当。俺はどう考えても飯が残るわけよ……」

 

 ぶつくさ文句をいいながら。――しかし口に運んだ時雨は、わずかにフリーズして、それからたまごと隣のあきとを見比べた。そして、うそだ、といわんばかりにもう一度それを口に入れる。

 

「……味ついてる……ま、美味いんじゃないの今までのよりは」

 

 やっぱり炒りたまご……じゃないたまごかけごはんその二はおまえには早かったんだろうねえ、といいながらこちらを向いた時雨と目が合う。しっかりと視線が絡んだあと、どんぶりと一緒に箸を左手に持たせた右手が、あきの顔を覆うように伸びてくる。反射的に目を瞑ると、指のはらがピタリと目じりに置かれた。

 

 ぐりぐり、と、動かされる。恐る恐るといった様子で視界を開けた先には、いつもよりわずかに目元を三日月に細める時雨の姿。もしも今片手でも空いていたなら、あきは同じように目の前の目じりに指を乗せていただろう。

 

「今、ちょっと笑った」

 

 そういった、時雨も、笑ってる。

 

 あきの心臓は、なぜだかへんなふうに跳ねた。今までまるで古くなって錆びるみたいにぎしぎしになって固まっていた表情が、こんなふうにやわらかくなったら、きっと時雨にへんだって思われるのに。

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