時雨と紅葉。

三話 小さな住居と“あき”

09

 信じられないくらいの馬鹿。――というのは、子どもとたっぷり二週間過ごしての、時雨の感想である。


 頭の悪そうな金髪にお釣りをちょろまかされてやられたままどうしようもなくなっているとか、毎日同じ“卵かけごはんオニギリ”を食べ続けているとか、話をしたいなら合図を送ってくれればいいものを唐突に腕に飛びついてきたりするところとか――すべて含めて頭の弱い小動物を飼いはじめてしまったみたいに感じる。

 

 いつもまるで頭がカラッポになっているみたいに茫洋と無表情で、動きもどんくさくて……それなのに、時雨の手を取るのは唐突である。

 

(なに考えてんのか気味の悪い子どもだったけど)

 

 時雨はダイニングルームのソファに寄りかかりながら、滅多にないこの家の光景を半目にでもなりかねない勢いで眺める。「なんだ、これ気に入ったか?」「おまえに似合うと思ったから買ってきたんだよ! 結構奮発したんだからな」という弾んだ声と、その目の前で振り子のように小刻みに頷く頭。

 

(分かりやすいところもあったもんだ)

 

 会いに行くって約束したんっすよおー……。

 

 いきなり泣きついてきたから大切な女でもいるのかと思ったら、時雨の家に住み着いてしまった子どもとの逢瀬の話だったらしい。ピーピー喚いて仕方ないので部屋へ入るのを許可をすると、次の日には大量の紙袋を抱えて整頓された時雨のパーソナリティに転がり込んできた。

 

 子どもは急な来客に驚いたのか、必死にソファの後ろに隠れていたが、馬鹿丸出しの明るいその――リョウタの声を聞くやいなや、ひょっこりと顔を出してそばににじり寄った。正直、そんな子どもの姿を見たのは、はじめてのことだった。それはリョウタも同じだったようで、「なんだおまえ……可愛いなあー」と容赦なく癖のない髪の毛をくしゃくしゃにして遊んでいた。

 

 二週間やそこらで劇的に変わったわけではないが、時雨の家で人並みの生活にありつけるようになった子どもは、みるみるうちに人形のような綺麗な容姿を隠せなくなってきた。元々薄汚れたからだがきれいになっただけなのに、貧相なからだつきの中には妙な気品が備わっている。時雨はあまり注意深く見ることはないけれど、たとえるなら上から下までどろだらけの野良猫をシャワーしたら、血統書付きだったというような変貌っぷりである。

 

 外国のドール……というのはリョウタのことばだが、いい得て妙である。少し見ただけでも、多かれ少なかれ子どもには遥か遠くの異国の血が混じっていることは、見て取れた。――目の色だけが黒々として、へんに浮いていたが。

 

 子どもは、まるでひな鳥のようにリョウタの後ろをついて回っていた。リビングの隅で寝転がったり膝を抱えたりして存在を消していたのが嘘みたいに、上機嫌でうろうろと歩き回る。

 

 ――上機嫌で。

 

 表情こそ変わらないが、時雨にはなんとなくこの子どもがテンションをあげているらしいことくらいわかる。感情の波は薄いけれど、どうやらあるにはあるらしい。

 

「ほら、おまえこういう服着る? 似合うと思って買ってきたんだ」
「パジャマは何着てんの? 時雨さんの服じゃデカすぎるだろ、適当に買ってきた」
「てか、やっぱり細いよなあ。どの服も大きいけど……これ以上小さいの女物しかねえよ。もちょっと太りなさい」

 

 子どもはリョウタの前で服を合わせられながら、頷いたり横に振ったりしている。普段ホスト業で食ってるから、もっとギラギラした趣味のもんばっか買ってきていると思えば、意外にも軽くコンビニへ用を足しにいけるくらいの、カジュアルなものばかりだった。

 

 おまえそんな夜丸出しの恰好で、どんな顔してこんな小さい服買ったんだ。と、時雨は静かに呆れている。

 

「おまえすきな服とかないの? ……あーないのね。貧乏っぽかったもんね」

 

 この子どもの場合、今のところ食とリョウタ以外への執着心は見受けられないから、貧乏以前の問題であるような気はするが。

 

「なー……、あれ? てかおまえそういや名前なんだったっけ」

 

 名前、にぴくりと反応した子どもは、合わせられていた服から離れて、キョロキョロ辺りを見回した。一瞬困ったように時雨を見たが、目をそらしてまたキョロキョロする。あ、というように一目散に壁にかかったそれの方へ駆けて行き、ちょん、と指をさす。小さな子どものあとを、リョウタが追った。

 

 どうやら指を指されたそれは、子どもの名前らしい。――が。

 

「……カレンダー? 待っておまえの名前カレンダー?」

「違うだろ」

 

 さすがの時雨も、その豆腐頭にはつっこんだ。
 子どもは九月のカレンダーを指さす、そして十月、十一月を順番にさしていった。十二月まではめくらない。

 

 頭上にハテナマークを浮かべるリョウタをよそに、時雨は視界の端で起こった子どもの行動を元に、秋、と一言だけ呟く。

 九月、十月、十一月――季節は秋である。

 

 子どもは時雨の一言を聞き逃さなかったらしい。ゆっくりと一度だけ頷いた。時雨は視界の端に映る子どもしか見えていなかったから、その表情までは拾うことができない。

 

「秋、ね……おまえあきって名前? へえー……なんか、もっとアンドリューとか、ガイジンっぽいかと思ったわ。年は? え、十四歳!? ……見えない、全然見えないよおまえ」

 

 そんな風にリョウタにいわれている子ども――あきをよそに、時雨はリビングを出た。そろそろ寝なければ、仕事の時間に起きられないからである。元々煙草一本で眠るつもりだったのだが、子どもがいつもと違う妙に楽しそうな動きをしているから、つい観察してしまった。

 

 寝室で寝転がって、目を瞑っていたら、全く内緒話になっていないリョウタの話し声が聞こえてきた。

 

「なああき、おまえ時雨さんと上手くやれてる? いやな気持ちになってない? あのひと、怖くないか?」

 

 ひそひそ話のつもりなのだろうが、人の出払った平日の昼下がりという静かな辺りには、些細な音すらも容易に響く。

 

「そうかあ、上手くやれてるのね。……あ、こら、ポカポカすんな! 怒ってる? おれが時雨さんのこと怖いなんていったから? ……え、もしかしておまえは怖くないの?」

 

 おれは怖いよ。睨まれると正直ちびる。

 

 一応会話はしているのだろうが、あまりにも一方的に思えるふたりの話の逢瀬を子守唄に、時雨は意識を深くまで沈ませていった。

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