時雨と紅葉。

一話 紅葉とペットボトル

01

 さいあくだ。
 仰向けに倒れた先――茫洋とした視界には、秋晴れの空に薄くかかる雲と、緑色の花の形をした紅葉。そういえば、とにかくどこかで休息を取りたいと入ったこの場所の名前が紅葉公園とかだったかもしれない。

 

 時雨は、ひと息つこうとしたのに間違えて地面に倒れてしまって以後全く動かないからだをよそに、もう一度心の中で反芻した。

 

 もうなにもかも最悪だ。

 

 いつも感じる気分のよい酩酊感はとっくに過ぎ去り、腹の中はただ死ぬほど気持ち悪いものがぐるぐる循環している。いつもならひとよりも容易くできるアルコール分解が、今日はいったいどうしてポンコツなのか。
それに、どうしようもなく眠い。目を瞑れば、そのままこんな節操なく、真昼の公園で意識を失ってしまいそうだった。

 

(あのクソ女、殺したい)

 

 ガバガバの金使い、そのくせに酒は全部こっちに来る。高いんだかなんだかわからない酒は、たしかに浴びるほど次々と喉に流し込んでいた。

 

(……吐きたい)

 

 が、今のままではたぶん吐けないと、なんとなく本能で知っている。仕方なく、時雨は諦めて目を瞑った。冴えた青空は眩しすぎて真夜中酷使した目には毒だったし、なにより眠たかった。警察に通報されたら面倒だな、というくらいである。
だいたい、こんなギラギラした馬鹿っぽいスーツ着た男なんて、だれも近寄らないだろう。放っておいてくれれば、夕方くらいには歩けるようにはなる。

 

 気分の悪さを後に引いたまま、意識が遠のいていく。

 

 ――と、不意に冷たいものが、くちびるにふれた。舌にまでやってきたそれが水だとわかって、半ば本能的にそれを開く。嚥下する暇もないほど容赦なく注がれるそれに、薄目を開いた。

 

 ぽた、と、くちびるを割って零れ落ちていった水が、髪の毛を伝って地面に落ちた。

 

 さっきまでくっきりと浮かんでいた空と緑の紅葉の代わりに、それは無機質な表情で浮かんでいた。目は合わない。なぜならそれは、一身に時雨の口元へと注がれているから。

 

(いや……それで気をつけて水飲ませてる気かよ……)

 

 口からこぼれてるし、もっとゆっくりしてほしい、とは、口が物理的にふさがれているおかげでいえない。時雨は仕方なく、されるがままになりながら目の前のそれ――まるでお人形さんのような少年を見上げた。

 

 俯いているせいで零れかかっている髪は、光に照らされて外国人のように茶色っぽい。顔色は陽の光を知らないような不健康な青白さ、色素が薄いのだろうか。精巧にデザインされた人形のごとく、すっと斜め下へ伸びる睫毛と、薄く色づいたくちびる。

 

 ――それなのに目だけはまるで夜闇のように黒々として、不気味だった。

 

 売れそうな顔だな。と、夜商売に染まった頭でそんなことを考えた。しかしそれ以上の思考に入る前に、出口を探すみたいに急いた獰猛な吐き気が襲ってきて、慌てて覆いかぶさっていた子どものからだを押しのけた。近くにあった水道口へと駆け出す。

 

 ……とにかく吐いた。からだの中内臓まで出しそうな勢いで、真昼には似合わない音を立てながら吐いた。一夜にして動いた百数十万円が、名前入りの看板が掠れて見えなくなるような人気のない公園の下水に流されていく。

 

 喉がヒリヒリする。

 ジャ、と、水道水を流すと、固形物を入れていなかったせいか、液体状のそれは幸いにもするすると消えていった。

 

「……っハア……」

 

 しばらくして落ち着いたあと、無駄に流し続けていた水道水を止めて振り返ると、子どもの姿は消えていた。――もう一本開いていないペットボトルだけを残して。

 

 空になったペットボトルはそのまま、親切にもいただいたもう一個の方を拾い上げて、わずかにふらつきの残る足取りで公園を出た。子どもがどこへ去っていったのかはわからなかったし、知ろうとしなかったし、ついでにいうならその頃の時雨にはどうだってよかった。

 

 その子ども――“あき”との出逢いを振り返ると、時雨はあの綺麗な顔立ちを思い起こす前に、喉の奥に溜まっていたものが逆流したあの酸っぱさや、どうしようもない腹の気持ち悪さや、住宅街の妙な静けさが先に湧いてくる。子どものイメージは口に物を突っ込むのがとにかくヘタクソというくらい。

 

 どんな人間にも露ほども興味がなかった昔を振り返るたびに、どうしたものかと、微妙な気持ちになる。

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