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十二話 キーホルダーと2回目のキス 036

 おみやげ。
 と書かれたスケッチブックをまるで盾のように持ち、「逃さないぞ」とばかりにじり寄る。どぎまぎする獲物をロックオンして、不審そうにこちらを見るその子の机の前に立ちはだかる。そうして、冬休み中ずっとかばんに入れっぱなしだったせいで妙に年季が入ったみたいにくしゃくしゃになった小包を渡した。

「……くらげ?」

 まるでザリガニに噛まれないようにでも警戒するみたいに、そっとした手つきでおそるおそる包みを開けた城田は、一瞬間を置いて、その中身――プラスチック製のくらげキーホルダーに首をかしげた。どうやら自分がなぜくらげのキーホルダーをもらっているのか、状況がわかっていないらしかった。

 あきは『おみやげ』というページをめくり、ペンを走らせる。てのひらコミュニケーションはどうしてか時雨にしか伝わらないから、他のひとにはやらないようにしている。――最近、時雨にもできなくなってきたけれど。

「すいぞくかん……あー、谷口は水族館いったの?」

 あきは頷いた。
 先生から無機質な感じでしか呼ばれたことのない名前をこうして呼ばれると、くすぐったい気持ちになる。城田は特にそのことについて気にした様子はなく、しげしげと「それにしても、なんでくらげ……」とそれを眺めている。揺らすと、触手部分がぶつかりあってしゃりしゃりという音を立てていた。

 気づくと、教室にはあきと城田以外だれもいなくなっていた。放課後を狙って城田に話しかけにいっている間に、周りの生徒はせわしなく部活へといってしまった。ただ何人かは、教室の片隅組のふたりがなにやら会話の応酬らしきもの(ひとりは喋れないけれど)をしていることに気づいて、ちょっと物珍しそうな視線をよこしていた。

 しんとした教室からは、毎日掃除をしているというのに、妙に埃っぽいにおいがする。

『チャーハンも、作れるようになったよ』
「まじ? おまえ明らかに手つきがおかしかったけど、そうなんだ」
『たまご料理、とくい』

 最も、あれを作れるようになったといってよいのかは微妙だ、というのは時雨からいわれたことばだが。あきは何度かトライしたチャーハンらしきものを思い浮かべながらも、頷いた。たまご料理が得意というよりは、たまごを使った料理にしか興味がないのだが、これも便宜上黙っておく。
 そうしてあきは、急に話しかけられたせいで未だに状況把握ができないでいる城田の机に、最後のページをめくって見せた。

『ともだちになりたい』

 それは、ずいぶんと前から周到に用意されたものみたいに、ゆっくりと書かれた文字だった。城田は突然の提案におどろいて、あきとスケッチブックとを交互に見た。不思議な色をしたあきの双眸と、やや怯えを含んだ城田のそれが、はじめて絡んだ。

 あきの方が先に素朴なその視線から目をそらした。おかあさんとか、時雨とか以外に、あまりひとから見つめられることがなかったから、(ぼくの目、へんって思ったかな)というコンプレックスが急に顔を出した。

 正面から顔を見つめられるのは、すきじゃない。自分のいやなものを、胸の奥まで透視されているような気分になって、全然落ち着かない。

「友達って……うーん……別にいいけど」 

 城田の表情は、怒りとか憂鬱さというよりは、むしろ自分がどうしてこの子どもに話しかけられているのか皆目わからないといった困惑の方が深かった。あきはそれに気づかない。

「でもこう、友達って、どうやってなるのかっていうと……もっと自然だったと思うけど」

 ごにょごにょと喋る城田――しかしあきは、「いいけど」のあとからはあまりことばが耳に入ってこなかった。うれしそうに表情筋を動かしたつもりだったが、城田には(ちょっと表情変わった?)くらいにしか思えない、微々たる変化である。あきはうれしさを隠しきれず、二度頷いた。しかし城田には、やはり溢れんばかりのうれしさがあまり伝わっていない。

(城田、ともだちになってくれるって)

 能面の奥深くで、あきは“ともだち”ということばを何度も反芻してみせた。小学校から途切れ途切れにしか学校へ行かなかったあきにとって、その存在とはほぼ縁がなかったといっていい。

 そんなわけで、小さな頭をめいいっぱい使って考えた、水族館やチャーハンをキーワードに共通点を作り出す、というあきのともだち大作戦は成功に終わった。

「てか、ごめん。僕もう帰らないと」

 開け放たれた窓の向こうから、野球の練習着を纏った部員が固まって外周をするときの、野太い声が聞こえてきた。それに気づいた城田がはっとしたように立ち上がる。

(城田、部活入っていないの?)

 あきはこの中学校の生徒がほぼ全員放課後になると部活へ行くことを知っている。去年に久々に学校へ行ったときに気づいた。……部活動への入部は強制ではないらしいし、入学後しばらくはおかあさんの情緒が安定しなくて不登校だったから、あきはすっかり入部のタイミングを見失ってしまった。

 それでも、気になる部活がいくつかあったあきは、いきなりスタートから出遅れ、しかもその出遅れ方が周回遅れどころの騒ぎではないことを知り、ずいぶんとうなだれた。
 だから、もしも城田が部活に入っていないのなら、まぎれもない仲間ということになる。しかしそれをスケッチブックへ書き終えるのを、城田はすこしも待ってくれそうになかった。

 もうひとつ、もしもともだちになれたらどうしても試してみたいことがあったあきは、そちらを優先することにした。部活の話は今度でもできるけれど、そっちは切羽詰まっていた。

 慌ただしく四角いかばんにノートと教科書を入れていく城田に(ちなみにあきはすべてを置いていっている)、近づきながら汚い字で走り書きした。『ともだちになりたい』を書いたのと同一人物とは思えない汚いスケッチブックを、もう一度城田に渡す。

「え、……なに? ……どうぞ」

『ともだちになったらためしたいことがあった。いい?』という問いに対して、城田は特に気にした様子もなく頷いた。しかしあきはそのあとどう動いてよいかわからなかった。

 いきなりそれをしたら、びっくりするかもしれない。だから、まずは許可を取らなくてはならない。
 しかし城田は、鈍感なあきが傍から見てもわかるほど、なにやら焦っている様子だった。

(しろた、焦ってる……どうしよう)

 ともだちなら、気づかいができなければいけない。なぜかあきは、それが法則であるみたいに、そのことを知っていた。友達は、宝物みたいだから、大切にしなければならないのだ。
 妙にズレている頭でそう考えたあきは、うつむきがちだった城田の横顔を覗き込む。

 ごく平均的な(あきよりは全然高い)身長と、なんとなく親しみやすい平凡な顔立ち。城田は近くで見つめられていることに気づいていない。

(ぼく、ドキドキしてない。大丈夫みたい)

 よし。と、心の中で意気込む。そうして、ぐい、と背伸びをした。同時に、城田の首に手を回して引き寄せる。「お」と「あ」の間みたいなへんな、短い声が聞こえた。
すーっと近づけて、不器用にもちょっとだけくちびるを突き動かす。近くにいると、思ったよりも城田の背が大きかったからだ。小作りなあきの顔がぴたりと城田の顔に重なったとき、城田は身動きひとつしなかった。

 ――目を閉じなかったあきには、妙にピントのずれた視界で、城田のいつもは半分閉じているみたいなやる気のない目元が、大きく見開かれていることに気づいた。

 くちびるがくっついたまま、城田の時間は止まっているみたい。

 だけどあきはそんな先方のおどろきなど知る由もなく、自分の胸をさすってみた。いつもどおりの、死んだような心臓だった。
 時雨としたときと、全然ちがう。どうしてだろうと不可解に思い、もっと強くくちびるをくっつけようとしたら、ぱしん、という甲高い音とともに、頬が吹き飛んだ……気がした。

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