きみの傷跡はきれい

05

「……っ」

 

 まるで走馬灯のような夢に嫌気がさして、夢との境界線を断つように薄く目を開いた。ピントがぼやけた辺りは静かな暗がりに包まれている。寝返りを打とうとしたら、すぐ後ろにあった温かい体温とぶつかった。

 

「なに、梛。……まだ、夜……」

 

 寝ぼけたそれは力加減をまるで知らないらしく、あっという間に抱き枕にするみたいにぎゅうっと抱き込まれる。うとうとしていた頭がすこしはっきりして、ああ、そうだ。自分のベッドは乙葉が占領してしまったのだと思い出す。

 

 小さな頃は、暴れられても後ろから羽交い締めにしてなだめることもできたというのに、今はとっくに背を追い越されて、こうやって抱きしめられればすっぽりとからだが覆われるまでになった。こうしてそばにピタリと寄られているのは、今も昔も変わらないけれど。

 

(本当に、大きく、なったなあ)

 

 そっと上を見上げると、半分眠りの中にいるらしいしろが、目は閉じたまま頬を擦りつけるようにして応えてくる。こうして至近距離で見ると、暗がりのなかでも伏せられたまつげの長さが伺える。子どもの頃は小鳥が鈴を鳴らすようなコロコロした声と、愛らしい中性的な顔立ちから、かわいいという言葉がぴったりだったのに、いつのまにか無駄に男らしさが優っていき、ベッドが狭くなってしまった。

 

(獣人の成長って、早いなあ)

 

 ――人間の成長よりも、私たちのはずっと早いのよ!でも成人してからは人間より長生きなんだから、人間って間抜けよねえ。

 

 乙葉の失礼な物言いに対して、胸を駆け巡ったのは安堵感だった。こんなに早く大きくなったら置いていかれるかもしれない、という不安が、乙葉の言葉によって消えたからだ。

 

 長く生きられるなら良いけれど、出来ればかわいい時間をもう少し見たかったというのは親心というものなのだろうか(今もたまにはかわいいというのはどう考えても親の欲目だが)。しろはからだだけは一丁前に強くたくましくなっていったため、逆に梛を子ども扱いすることがたまにあるので、それが梛はやはり気に入らない。

 

(きれいなご飯の食べ方も、お出かけするときの注意も、おねしょしたときのシーツの洗い方も、すべておれが教えたのに)

 

「寝れない?」

 

 身じろぎをしていると、すこし薄く目を開いたしろが、梛のからだを抱え直すように抱き寄せて、指先をいつもよりも鈍く動かしながら髪の毛をさらさらと撫でてくる。梛が小さな頃、寝つきの悪かったしろにやっていたことで、それがムッとするのに、心地良くてずっとそうしてほしいとも思う。

 

「しろも、ずっと撫でてって思った?」

「……ん? どういうこと」

「なんでもないよ」

「梛、最近眠れないね」

 

 二週間前からベッドの敷地がサンブンノイチになったからな。

 

 最近すこし臆病になった梛は、そんな軽口を叩くことさえも躊躇うようになった。だって、「じゃあ明日からここを出るよ」と言われたらどうしよう。群れへ帰るのが自然だと頭では分かっているけれど、不意に、おそろしく身勝手な感情になってしまうのだ。

 

 梛はしろにとって、大人でいたい。理解者でいたい。かりそめの家族で、それでもお母さんだからこそ、梛にはしろを本当の家族のもとへ手放す義務がある。

 

「眠くない?」

「んー……眠い気は、する」

「へんだね」

 

 しろもはっきりと目が覚めてきたのか、梛の髪の毛を小さく束ねてくるくるしたり、くしを通すように解いてみたりして、手遊びをし始める。

 

「しろ」

「ん、なに」

「帰らないの?」

 

 口に出した瞬間に、失敗した――と思った。

 

「帰るべきだよ」

 

 まるで、違う答えを期待しているみたいな言い方になったのを、合わせて重ねるようにして強い言葉に言い直す。梛は目をとっさに伏せたが、追ってきたしろの視線が梛をつぶさに観察しているのを感じる。

 

「俺、梛に何度も言ったよ」

「それは、……でも――」

「行かない」

 

 帰らないの?と聞いたはずなのに、行かないと帰ってくる。

 その言葉ひとつだけで、だめだと分かっているのに、緊張していたはずの梛の心を溶かしてしまう。心のどこかで安堵してしまう。

 

「俺は梛のそばをはなれないよ」

 

 それでも、梛には分かる。

 

 乙葉をうとましそうに無視しながらも、決してこの家から追い出そうとしないこと。乙葉が自慢げにする群れの話を、聞いていないようでいてしっかりと耳を傾けていること。そして、時折ひとりごとのように、小さな声で質問を返していること。

 

 これ以上近くになんていけないというのに、ぎゅうっと抱きしめられて、額が温かい梛の胸にくっつく。後頭部を覆うしろの手が、さらさらと梛の髪の毛をかき回した。

 

 ひとりで眠っていたよりも、ずっとぬくい。子どもの体温はひどく温かい。

 

「梛は出て行けって言うけど、俺は絶対に出ていかない」

 

 もしも梛が本気で、おまえはいらない。迷惑だから出て行けと言ったら、きっとしろはここを出ていくだろう。でもしろは、自分が出て行ったら梛がひとりぼっちになることを良く知っている。だって、しろと梛はかつておんなじだったから。

 

(おれのせいだ)

 

 しろが本当に、迷惑で、ちっともかわいくなくて、拾ったことを後悔し続けていたかった。そうしたら、このぬくもりを迷わずに手放して「いってらっしゃい」と言えるのに。深く心を繋げなければよかった。

 

 しろは大人になっていくのに、梛はどうしてか、自分だけがどんどん子どものように駄々っ子になっているような気がした。

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