きみの傷跡はきれい

04

 梛は代々烏族や狐族などが長を継ぐ、森に囲まれた百数十名ほどの村で育った。三百六十度を深い森に囲まれていることもあり、周辺の村まではどんなに急いでも二・三日を要す、孤立した村。だからこそ、獣人を長とした独自の統治が行われていた。

 

 周囲の里とも離れており、気候的にも特に冬の寒さが厳しい里にとって、暮らしは決して豊かではなかったけれど、自立した統治の中でそれなりに多くの人が役割を持って生きてきた。しかし、厳しい冬の寒さが襲う頃には特に、か弱い人間は命を落としやすい。そういう背景もあり、物心ついた頃からどういうわけか梛には家族がおらず、また、そういう人間の子どもは他にも一定数存在していた。

 

 家族のいない人間の子どもは、バラバラに獣人たちの家に引き取られる。人間の子どもたちだけで暮らせるはずもなく、いっぺんに多くの人間を養えるほど豪華な邸宅もない。なにもできない人の子を養うのは獣人たちの善意であり、遠く離れた他の村には、こんな恵まれた環境などありえないのだ。そんな風に教えられながら、梛は育った。

 

 そして、小さな村にとって四方を囲む森は、奥深くで密かに生活する凶暴な獣たちの巣窟であり、外の村とのつながりを遮断する壁であり、村の畑で育てるもの以外ではほとんど唯一の食料庫だった。

 

 その日も大きな籠を背中に抱えて、梛は森へ出ていた。あまり遠くへ行くと迷うと言われるものの、村近くのものはどの村人たちもこぞって収穫してしまうため、籠を一気に埋めるのは難しい。それに梛は、この四季折々の表情を見せる森が好きだった。時には背の高い草木をかき分けつつ、また時には真白い雪の絨毯に穴を開けながら、人里からの足跡の絶えている場所を良く道草していた。

 

 前の晩は外へ出られないほどに雪が吹き荒れていたというのに、朝起きたら雲ひとつない空がキラキラと新雪を照らしていた――そんな日だった。靴は年季が入っているせいで、深く積もる雪の中を五歩歩いただけで、湿って冷たくなっていっていた。こんな日に食べれるものなど見つかるはずもなかったのだが、梛はなんでも良いから見つけてこいと主人から強引に家を出されていたため、食べられそうなものをキョロキョロと見回す。そうやって冬の日も無理におつかいへ出るのは初めてのことではないから、(お願いだから、何かあってくれないかなあ)と思う。

 

 丸裸になった木々に器用にも雪が降り積もって、まるでおもりのように四方の枝がしなっていた。背の低い緑は雪に覆われ、高い木々にも粉のように白く降りかかっている。それらは、太陽の光にこたえるようにして、目が痛くなるくらい幻想的な輝きを放っていた。

 

 結局、その日籠の中に食べ物が入ることはなかった。靴の中が冷たい水でぐしゃぐしゃと浸る音が続いて、張り飛ばされるのは覚悟の上でそろそろ帰ろうかと思ったとき、ふと、目の前の梛を横切るようにして小さな雪のくぼみがあることに気づいた。小さなそれは人の足跡のような気がしたけれど、上からさらに雪が降り積もっているから、周りのそれよりもすこし凹んでいるようにしか見えない。しかしそれはある一定の間隔で、右・左と続いていて。

 

 梛は古い足跡をたどるようにして、それをたどる。

 

「あ!」

 

 そこに、なにかがいた。それは、村育ちの貧相な十五のからだよりも、またずっと小さな影だった。雪に埋もれかかっているそれが生き物だと認識できるまで、ずいぶんと時間が掛かった。梛はなんの収穫もない空っぽの籠を下ろして、近寄ったそれを重たい雪の中から引っ張り上げる。朝からの温かい日差しに溶けた雪解け水が、それの白いからだを濡らしていて、からだを覆う毛をしっとりと濡らしている。

 

「……生きてる」

 

 濡れた毛並みに頬をくっつけると、それはひどく弱々しいものの、鼓動が聞こえた。

 獣――もとい小さな子犬をやっとのことで雪からすくい上げた梛が、羽織っていたペラペラの布みたいな外套で、子犬をぐるぐると巻きつける。

 

「もう大丈夫だよ。おれが、おまえを助けてあげる」

 

 梛はそういって、子犬をぎゅっと抱きしながら、踵を返して元来た雪の足跡を辿った。

 

 

 

   *

 

 

 

「いっ……! こら、どこいく!」

 

 腕の中で言葉を発することなくじたばたとあばれる子どもを羽交い締めにして、梛は元の部屋へと戻す。時には真っ白な子犬になって駆け回ったり、黒髪の人の姿になって梛を引っ掻いたり、梛の看病により目が覚めた子どもはその日のうちからひどく暴れた。

 

 自分の世話すらままならない梛が主人に子どものことを話せるはずもなく、こっそりと自分の住処である離れ部屋へと子どもをかくまったことまでは良かった。しかし、このやんちゃな調子ではすぐに主人に見つかるだろうと、梛はどきどきしながら子どもを諭す。

 

 この薄ら寒い五畳半の小屋だけが、当時の梛にとって唯一のテリトリーであったのだから。

 しかし、そんな梛に気持ちなどお構いなしに、警戒心全開の子どもはギリギリと刃を剥く日が続いた。近づき過ぎれば噛まれたり引っかかれたりけれど、遠くにいれば逃げ出そうとする。人の子の姿のときでさえ、梛と会話をしようとはしなかった。ずっと群れの中にいたのだろうという気配を色濃くうかがわせるような様子だった。

 

「ほら、怖くないって。おまえ、傷はもう大丈夫? ……イタッ」

 

 その警戒心は、子どもの傷が徐々に塞がってもなお、解かれることはなかった。

 

 出会った日から小さな梛の寝床は子どものものになった。起きているときには到底放って置ける状態ではなかったので、付かず離れずの距離で子どもを見守り、子どもが眠りについた頃にそっと抜け出して、子どもが倒れていたあの森へと足繁く通ってみたりもした。しかし、何日経っても何かが子どもを迎えに来たような痕跡は見られなかった。

 

 ――ぼうっとしている暇があるなら食い扶持を探してこい!

 ――薬が欲しい? いくら掛かると思っているんだ、それにお前どこも調子悪くないだろう、さてはわしの知らないところでどこかへ売りつける気か!

 ――ぼさっとしてないで離れへ戻れ!

 

 寝不足の日が続き、ぼうっとしていたところを主人に頬を張り飛ばされてもなお、梛は子どもに迎えがくるのを確かめるべく、拾ったあの場所へ通った。そこの頃にはもう、子どもを迎えにくる親の存在が、期待なのか不安なのか分からなくなっていたのだけど。

 

 そんな日が、しばらく続いた。

 

  

「ごめん、おまえの家族、見つけられないみたい」

 

 その日、疲れて霞んだ梛の視線の先で、子どもがはっとしたように顔を上げた。

 

「代わりに、おれがおまえのお母さんになっても良い?」

 

 だって、ひとりぼっちが出会ってしまったのだ。梛のひとりごとみたいな言葉は、母親になるには随分と心もとなかったけれど、子どもは金色の双眸を逸らさずに、注意深く梛を見上げていた。やがて子どもは子どもなりに何かを理解したのであろう。乱暴者の子どもはやがてなりを潜め、梛を本当の母のように慕うようになった。

 

 子どもの存在が主人に見つかり、村を追われ、梛としろはこの小さな住処にたどり着いたのだった。

 

「あんたはね、吹雪の日に行方不明になったのよ。色んな家族があんたのこと探してたの、あたしまだ小さかったけど、良く聞かされたわ」

 

 子どもじみた口喧嘩の隙間で、そんな乙葉の言葉を聞いたとき、梛は一瞬だけうそだと思った。うそだ、だっておれはしろを拾った日から何日もあの場所へ足を運んでいたのに、そんな獣人たちなどつゆも見かけなかったではないか、と。

 

 しかしすぐその後に、聡い梛は自分は、乙葉がうそをついていることに憤っているのではないと気づいた。梛は――怖いと思った。自分以外の家族を手に入れてしまうしろが、そしてそれを嫌だと感じている小さな自分の独占欲が。梛は自分勝手なおのれが心底恥ずかしくなって、危ない思考回路を無理矢理に遮断する。しろに本当の家族がいたのは良かった、しかもそれは乙葉の風貌から察するに、ほとんど疑う余地はない。

 

 家族がいて、よかった。

 だって梛は、しろに家族が見つからなかったから、自分が母親代わりになって子どもを育てていたのだから。

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