きみの傷跡はきれい

02

「梛! 遅いわよ、どこほっつき歩いていたんのよあんた!」

 

 梛としろが四年前から暮らす家は、住まいといって良いかわからないほど古びた杉の平屋であった。外との空間を木でしきられており、一応雨や雪を避ける屋根があるという、スペースだけが備えられていたそこは、おれたちがやってくる以前に何かが暮らしていた形跡はほとんどなかったので、徐々にふたりで家らしいものにしていった。狭いけれど、ふたり暮らしにはちょうど良い。

 

 そう。ふたり暮らしでは。実は、三人だと、やや狭い。しかも狼族は無駄にからだが大きいのである。

 

(狭く感じるなあ……)

 

 家に入った刹那、バタバタとそた足取りとともに出迎えた乙葉が、梛の両肩を掴んでぐわんぐわんと揺らす。目が回りそうになっていると、すぐさま梛にとっては暴力的で、でも同じ狼族にとって制することは容易いその両手が、すんなり後ろのしろによって解かれた。

 

「乙葉。梛、痛がってる」

「痛がってる……じゃないわよ! あんた、早く見つけなさいよ鼻鈍ってんじゃないの!?」

「鈍ってない」

 

 きっと静かにしていればおしとやかな女性のように聞こえるクリアな声なのに、早口でガミガミ話すのだからすごい剣幕だ。せっかく女の子らしく顔立ちも整っているし、どうやら獣人としては小柄で可愛らしい(とはいえ獣なので、梛よりは少し大柄ではあるのだけど)風貌だというのに、もったいないなあと梛はいつも思う。

 

「まあまあ、ごめんって乙葉。ただいま」

「あたし、あんたにただいまとか言われたくないし!」

 

 ふんと鼻を鳴らして、乙葉が勢いよく木づくりの椅子へ腰掛ける。ああ、それは最近足が弱くて壊れそうなやつだから……と思ったけれど、すらりとした女の子の体重に椅子はしかと耐えてみせた。

 

 相変わらず梛は、この二週間前からの闖入者――しろと同じ群れで暮らしていたという狼族に、徹底的に嫌われている。最初は「来るな」「話しかけるな」「あんたに用ないから」の3つが無限ループで帰ってきていたことを考えれば、会話が成立するようになっただけ大きな進歩ではあるけれど。

 

「梛、こっち」

 

 一度外へ出ていたしろが冷えた水を片手に梛の肩を抱いて歩いていく。梛の(その冷たい水で洗うのか……)というげんなりとした予想は見事に当たり、雪解け水を浸した柔らかい布で、すでに血が固まっていた腕を拭われる。

 

「つ、つめたいー……もういいだろう」

 

 幸か不幸か、冷たさのおかげで痛みはほとんど感じない。

 

「木の汚れが皮膚に入ったら、もっと痛くなるよ」

「うわ、血だ! 話には聞いてたけど、人間ってほんとうに弱いのねえ」

 

 梛たちの家は退屈なのだろう。そばへ寄ってきた乙葉が不思議そうに梛の腕を見下ろして呟く。普段は生意気さのイメージが先行するけれど、時折見せるただ純粋な興味だけが現れた表情は、まだあどけなくて可愛らしい。

 

 しかし、ただでさえ狭い部屋の中、こうも二匹の獣に至近距離で居られると、人間の梛には狭苦しいことこのうえない。なまじ二匹とも異常に美形だから余計に迫力があるし。

 

 しばらくして注意深く梛の腕を見回したしろが、ようやく手当を終えたような素振りを見せる。血を拭った布を脇に置いてから、チェックするように近くで腕の傷を眺めて、それからそっと腕に唇を合わせようとした――が、梛は待ち構えていたように、そのふさふさの黒髪を掴まれていない方の手で押さえ込んで、無理やり拒否を決め込む。

 

「こら、それやめなさいって、おまえ」

「……なんで」

「なんでって……舐めるのが普通なのはおまえらだけだから」

「梛はいつも俺の頭を撫でてくれるのに。頭撫でるの、俺にとっては普通じゃないよ。でも、舐めるのは普通。……梛にとって普通のことしていいなら、どうして俺の普通はしちゃだめ?」

「屁理屈言わない、だめ。乙葉もいるし、おまえのほうがお兄ちゃんなんだろう?」

「ちょっと聞き捨てならないわね! 群れにいる時間はあたしの方が長いんだから、でかい弟みたいなもんよ」

 

 納得いかないといわんばかりにじっとりと梛を見下ろすしろの雰囲気など構わずに、あっけらかんとした表情で乙葉はそういった。

 

 しろは何かにつけて梛のからだを舐めようとする。獣の本能なのだろうが、こっちとしてはそんな文化はないので、その都度やめるように伝えており、現在のところやめてくれる確率が半分、強引に舐めまわされる確率が半分というところであった。確率半分で折れてくれたときには、「じゃあ梛は俺の頭撫でないで」と言い放ってふくれっ面になり、しばらく機嫌が治らなかったりもするので、どちらに転んでも面倒である。

 

 腕が解放されるのを見計らって、「そそ。ありがとう」と頭を撫でる。機嫌が悪い時には「撫でるな」と捨て台詞をはくものの、撫でられるとそれはそれで、気持ちよさそうに目を細められるからやめられない。しかし捨て台詞は健在であり、「梛も、頭撫でないでよ」と口だけで抵抗して見せた。梛はそんなしろの言葉を華麗に無視すると、立ち上がって台所へ向かう。

 

 木の実の収穫は見事に失敗したけれど、まだ取っておいた食材が残っている。三人分になってからすこし量が増えたけれど、このままいけば今年も無事に冬を越せる。――一緒に、冬を越すまでここへいられればの話だけど。

 

「……梛」

「なに」

「離れて、乙葉と遊んでなさい」

「子ども扱いしないで。俺は梛といたいの」

「あんたほんとうにその“お母さん”が好きね! あたしたちの群れにもそういう子いるけど、その子はほんの十歳だし、あんたみたいにずっとくっついてるの変よお」

 

 少し離れたところで、暇を持て余して部屋の棚を漁っている乙葉が、嫌味ったらしくいう。しろは聞こえていないかのように無視して、後ろから梛へと回した腕にすこし力を込めた。

 

「だって、ほら」しろの大きなてのひらが、梛の首筋から頬あたりをすべって、体温をたしかめるようにやさしくさわる。「梛、からだ冷えてるから、温かくしないと」

 

 体温の高いしろに背中を覆われると、たしかにぽかぽかしてくる。しろはふたりでいればいつだってこの調子でくっつきたがるけれど、こんなに甘えただといつまでも乙葉に馬鹿にされてしまうのではと思って、その都度突き放してはみるものの――効果はあまり見られない。二週間も一緒に暮らしていれば、しろの甘えたっぷりは至るところで散見されているだろうから、つまり、もう手遅れだ。

« | »

スポンサードリンク