この気持ちの意味を知っている。

01

 切るような雨の音で目が冷めた。意識が深い海から一気に浮上する潜水艦みたいにクリアになると、とたんに雨の日特有の湿気が肌にふれる。あきは雨の日のこの、湿気のにおいがすきだ。リョウタや時雨は鬱陶しいっていうけれど、梅雨は雨が多いから、やっぱりすきだった。すん、と鼻を鳴らしながらヘーゼルの双眸をひらいた。

 

 条件反射のように、ぺたんとベッドへ伏せていたからだをずるずると引き上げる。寝起きでぼさぼさした髪の毛に構わずキョトンとしてあたりを見渡すけれど、昨夜までたしかに隣にあった体温は消えている。キッチンから水音がした。

 

 服を着ていることを確認してから(あきは深夜、自分が一度脱いだ服をもう一度着替えた記憶がない)ベッドの端へ移動すると、先ほど置かれたばかりだったのか、水滴がちらばったペットボトル。あきは首を傾げて、ペットボトルには手をふれずに立ち上がる。

 

 ――と、全身から力が抜けて、その場にへたりこむ。腰に力が入らない、立てない。

 

 その意味を悟ると同時に、時雨をすこしにくたらしいと思って、条件反射のように顔を赤くする。時雨とそうなった次の日、ことの具合によってはこうしてからだの自由が効かなくなることがたびたびあった。

時雨との約束の日、昨日土曜日にこの部屋へ来て、夜深くに疲れて帰るであろう時雨のためにせっせとごはんを用意していた。はじめて挑戦した料理もあったというのに、時雨は次の日は休みだからと帰宅して早々あきを寝室へと引っ張り込んだ。料理になど手もつけられなかったというわけである。

 

 あの水音は、朝ごはんにした昨日のあきの最高傑作を食べ終えたあとの、後始末なのかもしれない。

 

(ぼくがいるときに、食べれば良いのに)

 

 あきはひとり不満げにくちびるを尖らせて(とはいっても表情筋の動きは微々たるものだったが)、壁を伝いながら立ち上がると、ふらふらした足取りで寝室を出た。

 

 しばらく歩くとやや気だるそうな広い背中が見えた。元ホストが着ているとは思えない生活感満載のジャージ姿のそのひとを、驚かそうと後ろから近寄ったけれど、背中に手を掛ける前に急に目眩がしてからだがバランスを失う。かくんと力が抜けて、その場へ倒れ込んだ。が――壁と激突する寸前に、振り返った時雨がすくい上げるようにあきの両脇に手を伸ばして、そのからだを支えた。

 

 時雨と目が合う。あきは時雨のこのじとっとした表情の意味を知っている。あほか、である。あきは(あほか、と思われている)と思いながら、すっかり慣れたように小さくくちびるをひらいた。

 

「時雨、おはよう」

「あほか。危ないんだよおまえは。おはよ」

 

 やっぱり、あほかと思われていた。

 

 もうすこしダラダラと文句や説教が続くと構えたけれど、意外にも時雨は短くそういって、あきのからだをあっという間に横抱きにした。重力に逆らってふわっとからだが引き上がるのと同時に、なぜか寝室へUターンされて首を傾げる。

 時雨が慣れた手つきであきを運びながら、短く口を開いた。

 

「悪い。おまえ熱出してるわ」

「……ねつ?」

「そう」

 

 淡々とした口調のなかに、すこしだけバツが悪そうな声色が含まれている。あきはもう一度「ねつ?」と細く声を出すが、よくよく自分の声を聞いてみれば、それはいつものあきのそれよりもやや枯れ気味な、水分の足りていないようなへんな声だった。

 

「昨日抱いたときに、おまえいつもよりトんでんなって思って、途中で気づいたんだけど、まあどうせ今日無理ならまとめてヤッとくかと……まあ、そんな感じ」

「ふうん」

「……てわけだから、今日は寝てて」

「腰がストンてしたのはそのせいもある?」

「まあ、それだけじゃないが、それもある」

 

 よくわかっていないあきのとっ散らかった質問に、時雨は何を正すこともなく曖昧に答えた。茉優やリョウタが聞いたら「半分はあんたのせいでしょうが」と時雨を罵倒しそうなものだったが、時雨の所業の酷さについてあきはいまだなお、どうもピンときていない。

 

 時雨はそんなあきをベッドに下ろしながら、くしゃっと撫でた。ふれた時雨の手は、昨日と同じく、いつもよりも冷たくて気持ちよかった。

 

「ほら、熱。おまえの体温、俺よりも高いのは分かる?」

 

 時雨があきの額をかき分けて、自分のそれとコツンとやさしくぶつける。

——Side Story Aki

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