君についた幾つかの嘘について。

3話 佐野雪路はすこしおとなになる。

20

 その真実は、ひどくおれを安心させた。家族じゃない、けれど、他人でもないから。

 

(でも、この気持ちはどうしよう)

 

 他人じゃないってわかった、だけど、おれが今抱いている気持ちは理人とのどんな関係性においてもおかしいもので。さっきから、やっぱり心が落ち着かないのは、理人がぴったりとくっついて抱きしめるせいだ。うれしいけれど、恥ずかしい。

 

 だっておれはきっと理人に“恋”をしていて、それはずっと加速していて。

 

「安心した?」
「ん」

 

 じゃあ、“それ”はどうすればいいの。

 

 他人じゃなくて、血が繋がっているから、これからもずっと一緒にいられる。だけど――。

 

「よかった。じゃあ、昔話はおしまいにしよう。――これからは、今の話」

 

 こんな気持ちがある限り、一緒には暮らせないし、せっかく理人がおれの知りたい真実を話してくれたのに、もやもやしたままだ。

 

「ゆき?」

 

 ――でも、先生にとっては、ほんとうに王子様みたいだよ。

 

 先生に恋をしていると思ったときは、いつも幸せだった。会いたいとか、顔を見たいとか、単純な感情で動いていられた。理人への“恋”は、矛盾だらけで、複雑で、頭がこんがらがって厄介だ。

 

 会いたいけれど、切なくて恥ずかしくて会いたくない。
 お話したいけれど、肝心なふたりの話はしたくない。

 

 一緒にいちゃいけないって思っているのに、一緒にいなきゃ生きていけない。
 理人に恋なんてしなきゃよかった、気づかなきゃよかった――。

 

「こら、ゆき。またトリップしてる?」
「ごめん。えっと、……なんだっけ?」
「水原と話したのはそれだけ?」
「……それだけ」

 

 嘘ついた。それだけじゃない。水原はおれにたいそうな時限爆弾を落としていった。それは突き詰めれば、おれと理人がきょうだいではないという真実じゃない。

 

「嘘つくなら、わかりにくい顔をしなさい」
「……っ」

 

 ぐい、と顔を上に向けられて、片時も目をそらすことない理人と、目が合う。惜しみなく注がれる視線のせいで、あっという間に頬に熱が籠るのがわかった。おれを見下ろす理人が、さっきと違って真剣な双眸に変わっていたから。

 

 ――それは、あの夜に見せたのと同じ。

 

 子どもだったおれの知らなかった、理人。

 

「……っ」

 

 慌てて目をそらす。あの目と何度も視線が絡まったら、おれの恥ずかしい心の中まで透視されてしまいそうで、こわくて。

 

 きょうだいじゃないけれどきょうだいって、わかった。繋がりがあるって、感じることができた。何より、理人がおれを大切にしてくれる理由をなんとなく知ることができた。

 

 だったらもうおれにとっては十分で、逆にこれ以上深く話していたら、今度はこっちのほんとうの気持ちを暴かれてしまいそうで。

 

 これ以上は、もう、いい。

 

「お、おれ――、飲み物……っ」

 

 それがさっき使ったばかりの口実と、このときは気づきもせずに慌てて理人のそばから立ち上がった。また、逃げようとして、――また、大きなからだに捕まる。

 

「だめ」
「でも、でも喉乾いた……っ」

「カラカラ?」

「カラカラ!!!」
「でも、だめ」
「じゃあ、明日の準備する……!」
「チェックアウトは十一時だよ、明日の朝やればいい」
「……で、でも……っ」

 

 でもじゃない、そういうのと同時に、立ち上がろうともがくおれのからだを理人がまるめ込む。力の差じゃかなわなくて、あっという間に勝負がついた。

 

 あつくて、あつくて、暖房はちょうどよく効いているはずなのに、やっぱりあつくて。それは理人のからだが、こんなにも近くにあるせいだ。理人の――。

 

「いいからおいで、ゆき」

 

 おいで、っていうくせに、おれが行く前に理人がぎゅうって抱きしめるせいだ。乗り上げるようにして大きな胸に閉じ込められて、さっきまで背中だったのに今は頬が理人のあったかい胸にくっついている。

 

 心臓が、いたいくらい揺れる。小さな頃から数えきれないくらい抱きしめられたのに、今日はいつもと違う。

 

 安心できる胸の中がいたくて苦しい場所になってしまったのは、今おれが理人に“恋”をしているって気づいてしまったから。

 

「や、やだ……っ」
「今まで、おまえはこうしてぎゅうってするのがすきだったくせに」
「いまは、きらい……っ」
「どうして?」

 

 いえない。

 

 いったらせっかく家族に戻れそうだったのに、戻れなくなってしまう。首を横に振って、手を突っぱねて理人から離れようとする。だけど、更に強い力で体を押しつけられる。

 

「どうして、いってごらん?」
「……っ」

 

 どうして今日の理人は、なんでもかんでもこんなに強引なのだろう、まるで全部知っているみたいに、おれを困らせる。

 じわ、と涙が浮かぶ。

 

(いっちゃだめ)

 

 いったらすべてが終わる。ぎゅう、と唇を噛みしめる。同時に、ぽた、と、涙がこぼれた。まるで、せきを切ったようにあふれ出して、止まらなくなる。

 

「……っ」

 

 どうしよう。目の前の理人がすきでしかたない。

 

 きょうだいじゃなきゃ落ち着かなかったのは、そばにいなきゃだめだったから。一緒にいないとだめだったから。理人とおれにとってこの気持ちはいらないものだ。

 

「……どうして泣くの」

 

 小さなおれと理人の隙間から入ってきた大きな手が、おれの頬を捕まえて、涙をたしかめるみたいに拭っていく。それでも、その上からまた新しい涙が伝う。そして、有無をいわさないといわんばかりに、ぐい、と顎を上に向かせられた。

 

 熱のこもった空気感から誘い出されるようにして上を向くと、涙でぼんやりとした世界の中困ったような、でもどこかしあわせそうな理人の深い双眸が浮かぶ。

 

 それはまるで、おれの気持ち全部を悟っているみたいで――。

 

「ゆきの中に芽生えた気持ちを、教えて」
「や、やだ……っ」

 

 その一言で、理解する。理人はおれの、おれの中にいつの間にか飽和状態になってしまったものを、知っている。それなのに、こんな風にいじわるするんだ。ひどい。

 

「やだ……っ。理人とずっといっしょにいたい、いわ、いわない……っ!」
「ゆき」

「いっしょにいたい……っ」

 

 きょうだいでいい。離れていくのはいやだ。

 不意に、理人が仕方なさそうにため息を吐いた。暴れてくしゃくしゃになったおれの髪を撫でて、ため息のわりにやさしい両手がおれの両頬を捕まえる。

 

「僕はずるいおとなで嘘つきだよ、ゆき。だから、おまえのことも家族のことも血の繋がりも今日まで黙っていたね」
「なん――……っ」

「でも、あの夜おまえにキスした気持ちに、嘘いつわりはないよ」

 

 キス――そのことばに、うつむいていた顔を上げる。目の前の理人が、仕方なさそうに微笑んだ。整えられたシーツがクシャクシャになったのも忘れて、ぽかんとしたまま、おれとは反対に鷹揚な面持ちでいる目の前のひとを見つめる。

 

 だってあれは、理人が知らないはずで。

 

「よ、よっぱらい……」

「そんな見境なく見える? おまえが忘れてほしそうだったから、忘れたんだよ」
「でも、あ、あれは……っだれかと、まちがい?」
「あの家にひとは呼ばないでしょう。それに、だれかとおまえを間違えることなんてないよ。最初からおまえだって、わかってた」

 

 それは、どういう意味?

 

(えっと)

 

 途端に、まるでついさっき起こったことみたいに、あの夜の感触が鮮明によみがえる。胸を焦がすような視線や、からだを溶かすような強引な唇、“包む”じゃなくて“奪う”みたいな手つき。慌てて、記憶がぶり返してきたせいで熱を持った顔を隠すようにうつむいた。

 

「わかっていて、したんだ。……困らせてしまったね」

 

 頭上に、容赦なく次の理人のことばが降る。

 

「そんな、こと……でも、えっと……」

「――僕は、ゆきの口から聞きたい。おまえの気持ち」

 

 ぎゅう、と、やわらかい理人の服の裾を掴む。

 どうしよう。いえない。
 すきなんて、ことばに出したら、死んでしまいそう。

 

 だめ。だって、よくわかっていない。どういうことなんだろう。理人が覚えていたって、あの夜のこと。それで、キスをしているのはおれってわかっていたって、わかっていてしたって。それはつまりどういうことなのだろう。

 

(頭が、追いつかない……っ)

 

「こわがらないで、大丈夫」
「や、……っやだ」
「ゆき」
「だって、いやだよ……っ。すきなんて、いったら、きっと心臓が止まっ――……っ」

 

 あ、おれ今すきって。

 

 そう思ったときには、いつの間にかやわらかい指がおれの顔を上げさせて、目が合ったときにはその距離が既にゼロで――。温かくてやさしいそれが、おれの唇と静かにくっついた。

 

 反射的にそらそうとしした意志は却下され、後頭部に回っていた手に阻まれて、もう一度重なる。ぎゅっと目を瞑ると、すぐ近くで穏やかに笑う、理人の声が聞こえたような気がした。

 

 まるで淡い雪を手で掬い攫って行くような、一瞬のキスが、二回。

 

「……っ」

「いつの間にか、おまえから目を離せなくなった。――さすがにこんなことしたいと思ったのは最近だけどね」
「きゅ、急に、ひどい……」
「もう我慢できなかった。さっきから一生懸命なゆきがかわいいのが悪い」
「う……なんで、そういうこと、いう……」

 

 目の前の大きなからだに飛び込む。勢いをつけたのに、なんなく受け止められた。よくできました、といわんばかりに頭をぐりぐりされ、そこはまだ子ども扱い、と照れながらもむくれる。

 

「理人は、おれに、恋をしているの?」
「そうだよ。恋をしているから、すきで、こうしてぎゅってするの」
「おれも。たぶん、きっと」
「たぶん、ね。……僕はね、おまえが水原とくっついているのを見たとき、頭がかっとなってあいつを冷たい東京湾に沈めたくなったくらいすきなんだけど、ね」
「嘘」
「ほんとうだよ」

 

 理人がかっとなるところなんて、見たことないもん。そうやって嘘ばっかり吐く。だけど、ちらりと見上げた理人はそのことを思い出しているのか、どことなく不機嫌そうで、おれはまだ理人の家族としての一面しか見ていないことを知る。

 

 どうしよう。理人に恋をしてしまった。それなのに、理人はおれをすきだといった。今日は、まるで目まぐるしい夢のよう。

 

「ゆき、どうしようか」
「……なにを?」

 

 まだ熱の止まない頬を指で押さえながら見上げる。
 いつくしむようにおれと深く視線を絡ませた理人が、目でやさしく笑った。細長いきれいな指先が、遊ぶようにおれの前髪を撫でる。

 

「僕たちは家族。だけど、すき同士だったら、恋人にもなれる。それはおまえがおとなにならなくちゃ得られなかった新しいつながりだ……ほしい?」

 

 いる、ほしい――間髪入れずにくちびるを開くと、それはそのまま理人の吐息に飲み込まれた。

 

 くちびるがくっつくって、へんな、感触。

 

(手をつないだり、ふたりで横になっているときに足を絡ませたり、そういうふうにふれるのと同じなのに、どうしてかくちびる同士はドキドキする)

 

 きつく瞑っていた目を開くと、ピントが合わないほど近くにいた理人が笑った。ぼやぼやしていたのにどうしてわかったかっていうと、くっついたままのくちびるのせい。

 

 盗み見がバレたみたいな気持ちになって、慌てて薄目を閉じた。

 

 大きく心臓が鳴って、理人との距離は信じられないほどまで縮まっていると知る。

 

(これが、こいびとどうし……)

 

 おれの初恋はちょっとだけ不思議なかたちではじまって、やさしさで実る。そうしておれはすこしだけおとなになってしまった。

 

 おれ、理人の恋人なんだ。

 

 至近距離なのが恥ずかしくてぎゅっと目を瞑ったまま、てさぐりで理人のからだを探し当て、思い切って両腕を大きな背中に回した。

 

 それを知ってか知らずか、動きを加速させた理人の深いキスに、でもやっぱりおれは、このひとの前ではまだ子どもなのかもしれないと、頭の片隅で思う。

« |

スポンサードリンク