君についた幾つかの嘘について。

3話 佐野雪路はすこしおとなになる。

18

 ――僕が知っている限りで話すけど、真冬には“天涯孤独”ってことばがぴったりだったよ。家族も、恋人も失ってしまった哀れな女。それなのにへらへらしているのが不気味で、関わるのも面倒で、きらいだった。いっそ不幸自慢でもしてくれたら、もっときらいになれたかも。

 

 ――理人も、同じような境遇だった。理人はいつの間にか真冬のそばにいるようになって、真冬を選んで、僕の元から去ってしまった。真冬のために、理人はなにもかも捨てたんだよ、僕についてはまあいいけど、通っていた大学も中退して真冬のために、ね。……僕には、どうして真冬にそこまでしてやるのか皆目見当がつかなかった。そのうちおまえが産まれて、真冬は死んで、理人はまたひとりになったってこと。

 

 ――だからたぶん、血なんて一滴も繋がっていないよ、残念だけど。

 

『次は、終点、トウキョウ、トウキョウでございます。本日も――線をご利用いただき、ありがとうございました』

 

 無機質で平面なアナウンスとともに、周りにいた何人かのひとたちが身じろぎをしはじめる。外は既に暗い闇に覆われていたけれど、舞う雪は相変わらずだ。この電車も、さっきから滑ることを恐れてか、ひどい鈍行だった。

 

「車庫まで行く気か」

 

 つん、と、うつむいていたせいであらわになっていたつむじを押されて見上げると、既に立ち上がった水原が携帯片手にこちらを見下ろしていた。

 

「終点だから、ほら立って」
「うん」

 

 JRよりも弾力ないぺったんこな座席を離れると、さっきまでの静けさは雪の中へ消えてしまっていたみたいで、和やかな喧騒が響いてきた。薄暗く冷え切ったあたりには、明るいライトが灯されている。

 

 歩くひとたちの中には、分厚いコートの肩に雪をつけたひとが珍しくない。それに、ひっきりなしに目に入る電車の案内板には、赤い文字で運休や遅れが示されていた。そのせいか、まわりの人々の動きは、いつもよりも忙しなくざわめいている。

 

 さっきから携帯をいじったままだった目の前の水原が、あ、と止まった。おかげですっかりぼんやりしたまま歩いていたおれはその背中に見事に鼻から激突する。と思ったら急に引っ張られてひとの邪魔にならない端っこに移動させられた。ひとの波から外れて、息苦しさがなくなる。

 

「横須賀線、止まったって」
「止まった?」
「運転再開の見込み、なしと」

 

 ほら、とゴールドのスマホを渡されて見ると、運転情報にはたしかにそう書いてある。

 

(今日、鎌倉に帰れないってこと?)

 

 運休――なんだか非現実的なことば。きっと、線路に雪が積もったからだ。スリップして事故を起こさないようにしている。

 

 帰れない、そう頭で考えてみて、自分がひどく安心していることに気づいた。

 

「まいったな。おまえ、置いていっていいんだっけ?」
「いいよ」

 

 おれをここに置き去りにしていくつもりが、あるのかないのか、面倒くさそうに携帯の画面とにらめっこする水原にいう。

 

「逆に、なんか安心、して」

 

 だっておれ理人がすきかもしれない。だったら、今日帰ってどんな顔を理人に向けたらいいのかまだ検討がつかない。……今は、鎌倉へ帰りたくない。

 

 おれ、いくじなし。

 

「あいつに会いたくないってこと?」

 

 こっくん、と、頷く。
 鎌倉でおれを待っているかもしれない理人に、雪と電車のせいにして会わないのは、ずっと楽だ。

 

「そりゃ、まいったな」

 

 水原は相変わらず携帯をいじりながら、話しかけているのか独り言なのかわからないトーンでぶつぶつと喋る。運休情報を詳しく調べているのだろうか。目が合うと、出会ったときと同じ、何を考えているのかわからないような飄々とした面持ちで、軽々と再びスマホの画面を見せてくる。

 

「いやさ、僕理人に連絡しちゃってね。可愛い弟、東京で預かってますよって」

 

 メールアドレスは、たしかに理人のもの。そして見せられた理人からの受信メールには、ひとことだけが書かれている。

 

 今からそっち行くから

 

 いつもおれに送られてくるニコニコマーク付きのメールとは似ても似つかないそれ。

 

 飾り気のない、テンとマルすらもない文章から、理人がなにを考えているかなんて読み取れなくて、「まあ、どっかで電車が止まってたら終わりなんだけどね」という水原のフォローなのかなんなのかよくわからない声を無視して、顔を上げたときだった。

 

「――ゆき!」

 

 隙間風の入る鎌倉の家だろうと、何百人というひとに囲まれた東京駅だろうと、関係ない。おれの耳は、決して近くから発されたわけではないその慣れた声を、容易く拾ってしまった。

 

 反射的に振り返る。人ごみの喧騒にまみれて向かってくる足音。それに、おれを呼ぶ声は――。

 

「り、……ひと……っ」

 

 耳慣れた声が、雑踏の合間からのぞく。

 

 なんで、きたの。おれまだ、理人と一緒に何も知らなかった生活へ戻る準備ができてない。

 

 それぞれの行く当てを目指して身勝手に交錯するひとの波をよけながらも、その視線はまっすぐおれに注がれている。

 

 どうしよう。

 

 理人はこっちに来る。こんなにひとがいるのに。おれと似た顔立ちのひとも、背丈のひとも、服装のひとも、きっとたくさんいるのに、理人は間違えずにおれをもう見つけているんだ。

 

「焦ってる」

 

 隣で、余裕綽々の声。

 

「あ、せってないよ……っ。でも、でもどうしようって……!」
「だから、それが焦ってるっていうんだよ。面倒くさいな」

 

 泰然と構えていた水原も、理人がこっちにくるのに気づいているのだろう。理人の方を一瞥してから、そう吐き捨てると、急に今までないような力で腕を引っ張られた。そのまま、強い力でからだごと水原の方に寄せられる。焦っていたおれのからだは、いとも簡単にバランスを崩す。

 

 何か、ちょっととかやめてとか、そんな短いことばを発するひまもなかった。

 

「……っ!?」

 

 気づいたら後頭部を固定されていて、水原のきれいすぎる顔がすぐ目の前にあって、息ができない。

 

 至近距離で目を開いたままの水原と視線が絡む。ふ、と馬鹿にしたような、いじわるが成功したような、子どもみたいな笑い方をされたのが、くっついた唇の動きでわかる。

 

 そう、くちびるの、動きで。

 

(な――なんでおれ、……みずはらと……っ)

 

 だってこのひとがすきだったのは理人で、おれのことはきらいで。

 

 頭でキスしている――と理解した瞬間、別の有無をいわさないような手がおなかに回ってきて、ぐ、と引かれた。水原が力を緩めたからか、それとも後ろに引っ張る力があまりにも強かったからか、あっという間におれのからだは水原から離れていく。

 

「……喧嘩売ってんの、祐樹」

 

 いつもよりも不機嫌そうな低い声が、ごくわずかに荒い息とともに吐き出される。背中を包み込んだ体が息を整えるように上下していて、あたたかくて。無意識のうちに安堵すると同時に、ひどい動揺が首をもたげる。

 

 なんで、ここに、理人が――……っ。

 

「久しぶり。ヘンなところで電車止まらなくてよかったね」
「久しぶりだね。ちょうど駅着いたところで運休になったよ、おかげさまで」

 

 おれと水原の間に阻むように挟まれた片腕は、まぎれもなく理人のものだ。でも、なんでこんなことになってるんだ。

 

「あはは、動揺してるね、雪路。まあ、じゃあ、宣告通り置いていくとするかあ」

 

 ――雪路。

 

 水原がおれの名前をはじめて呼んだ。自分の名前のはずなのに聞きなれない不思議な響きにつられてさっきまであんなに近かった美麗な顔立ちを見上げると、おれに巻きついていた片腕がぎゅっと締まった。その隙をつくみたいに、水原との距離が一気に離れていく。

 

 じゃあね、ということばとともに、ぽんと頭に手が置かれた。今までみたいにおれをいじめようとするそれじゃなくて、ほんとうにもう“さよなら”するみたいな、さみしい手つき。目の前の表情が、刹那、わずかにさみしそうに崩れた。

 

 あ、と思ったときには踵を返されていたせいで、おとなとしては線が細く華奢な背中だけが見えて、それはそのまま駅の混沌にまみれて消えてしまう。

 

 さわられた頭に、手を乗せた。

 

 ――それで、やっと気づいた。水原の口はいやがらせみたいに鋭くて不気味でむかむかしたけれど、結局あのひとは。

 

「……ゆき」
「へ? ――わ、えと、理人……!?」

 

 あのひとはおれに真実をくれただけだった。
 だけど水原に対する思いは、そこでプツリと切れた。だって、後ろに理人がいて、今一番会いたいけれど、会いたくなかったひとだったから。

 

 かたくなにおれを捕まえていた腕から放たれる。さっきから露骨に当てられる視線からそらすようにしてちらりとそのひとを見上げる。

 

 すこしだけ乱れた髪。慌ててひっかけただけのように見えるコートとマフラー。手の感触も、黙っておれを見つめるその表情も。――理人だ、間違いなく。

 

『横須賀線をご利用のお客様に申し上げます。只今、横須賀線は大雪の影響により上下線で運転を見合わせております。運転再開のめどは――』

 

 駅の放送は、まるで急き立てるようにそんなアナウンスを繰り返す。

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