君についた幾つかの嘘について。

3話 佐野雪路はすこしおとなになる。

16

 結論からいうと、東京駅で定時に水原と会うことはかなわなかった。おれ自身東京なんて大きな街に出ることが稀だったせいもあり、水原の指定した待ち合わせ場所がどこか全くわからなかった。小町通りのように十人十色のひとで埋まった東京は、西口と東口しかない寂れた鎌倉の街以外を知らないおれにとって、スマートに攻略すること自体至難の業である。


 せわしなく歩くひとの波(水原がいうには、平日の通勤ラッシュはもっとひどいって)に流れ、だれかとぶつかってはいやな顔をされながら、必死に携帯を使って待ち合わせ場所へついたのはなんと一時間後。

 

「遅いんだけど」

 

 電話しても出なかったくせに、今どこって電話すらくれなかったくせに、東京在住で駅に詳しいならおれの場所くらい容易くわかっただろうに……。一時間待ちぼうけをしてでも手を貸してくれない水原、やっぱり性格悪い。

 

「だって、水原、電話しても出ないし……」
「何、言い訳? てかおまえ僕のこと水原呼びなんだ、生意気」

 

 う……やっと目的地について一息ついていたからか、油断して出てしまった。でも、水原さんとか、なんだか違う気がする。

 

 コートに紺色のマフラーをぐるぐると巻いた完全防備姿の水原が、いやそうに眉をひそめている。

 

「ま、いいけどね。時間ないから行くよ、暗くなる前に着きたいから」
「え? ど、どこ!? その辺のベンチじゃだめなの!?」
「東京のベンチなんて駅のホームくらいしかないよ、馬鹿なの?」

 

 そのまま歩き出した暴君に、おれは仕方なくついていくしかない。なんせ、今日のおれはこのひとに色々聞きたいという、立場の弱い方なのである。不覚。

 

 かくいうおれも、厚手のコートにマフラーと手袋まで装備している。ほんとうはいつも通りコートとマフラーで家を出たのだけど、あまりの寒さに手袋を取りに戻ったのだ。

 

 冴えわたるようなつめたい鎌倉の休日は、いつもよりもすこしだけひとが少なかった。

 

(そういえば、理人は今日、どんな格好で出かけて行ったっけ……)

 

 仕事があるって、足早に家を出て行った。コートをひっかけただけだったから、きっと寒い思いをしたかもしれない。去年までは、天気予報を見落とす理人のために、おれがマフラーや手袋を渡していたというのに。

 

 そう思うと、また、ここ最近せわしなく痛む胸がいっそうきゅっと締まった。

 

「ねえ」

 

 目の前のすらりと伸びた背中を追いかける。ひとの波に慣れているのか、周りのひとの動きを予測するようにしてするすると間を抜けていく背中は、時々見えなくなってしまうほど速い。

 

 待って、といいたいけれど、絶対いっても待ってくれない。黙ってついていく。その代わり、はぐれたらいやだからなんとなく、話しかける。

 

「ね、水原」
「何」
「今日、寒いね」
「雪予報だからね。……ほら、スイカ用意して」

 

 追いかけるのに必死になっていたからか、改札が近いことに気づかなかった。慌ててポケットから出したスイカを使おうとしたら、思い切りピンポンという馬鹿みたいな音が響いて、行く手を阻まれる。振り向いた水原と、後ろで颯爽と改札を抜けようとしたであろうスーツの男性が、そろって呆れたようないやな表情をした。

 

 東京って、難しい。

 

 チャージをしている間にいなくなっていたらどうしようと思ったが、意外にも水原は改札を通ったあたりで待っていた。面倒くさそうにだけど。

 

「トロい」

 

 皮肉つきで。

 

 それから十両編成ほどの大きな電車に乗って二十分ほど揺られた。駅を抜かしていたから特急なのだろうが、休日の昼下がりということでそれほど混雑していなかったので、微妙な距離を開けて水原と座った。

 

 わずかな振動を感じながらなんとなく首を回して窓の外を覗くと、隙間なく上へ伸びる銀色のビル群を分厚く灰色の雲が覆っていた。まだ二時代だというのに、ひどく薄暗いような気がした。

 

 二十分して連れてこられた駅の改札を抜けると(というか水原は何もいわずに立ち上がってスタスタ歩いていくので、おれが注意深く見てついていくしかない)、駅前にあった蕎麦屋に入っていった。

 

 おれが呼び止める暇もなく。

 

「え、あの……水原?」

 

 ディスプレイには、種類の違うそばやうどんがズラリと並べられている。古い様相を見て、そういえばとあたりを見回すと、そこは都会・東京というには忍びないほど庶民的な街だった。二十分で、東京のせわしないビルはなくなってしまった。

 

「おまえ待ってたらはらへったの、さっさと食べてくよ」
「いやおれいいよ! さんぜんえんしか持ってきてない!」

 

 そのくらいを用意するのがやっとだったから。まさか東京駅から移動すると思っていあかったから、電車賃も絶対ギリギリだ。……ていうか、へたしたら帰れないかも。

 

(いわれてみれば、早めに家を出たから、お昼食べてなかったかも)

 

 小旅行なんだからオニギリくらい持って来ればよかったかなあなんて思っている間にも、水原は空いている座敷へと向かっていく。仕方なく席につくと、エプロンをつけたふくよかでひとのよさそうなおばさんが、おしぼりと温かいお茶を置いていった。

 

 水原がメニューをさっと一瞥すると、黙っておれに差し出した。

 

「本気で三千円しか持ってきてないの?」
「……うん」

「はあ。修学旅行でもあるまいし、ほんとうボケてるわおまえ。ま、安いのならいいよ」

 

 メニューを手に取って、チラリと目の前で窓の外を眺める水原を見上げる。……この間カフェでしてくれたときみたいに、奢ってくれるのかな。

 

 それは悪い……とは思うけれど、お料理屋さんで何も頼まないのも悪い。うう、とこころの中で唸りながら、メニューを眺めた。一番安いのは、まあ、やっぱり何も乗っていないそばだ。

 

 そのままメニューを吟味していると、またあのひとのよさそうなおばさんがやってきた。

 

「ご注文は」
「かきあげそば。あったかいの」

 

 おばさんの手が素早く動く。窺うようにおれの方を見てきたから、水原に聞こえないように「海老天そば。あったかいの」というと、また素早く動いた。

 

 メニューを持ったおばさんが席を去ると、お茶をすすった水原に「安いのっていったろ」と睨まれたけれど、それだけだった。だって食べたかったんだもん。

 

 老舗の雰囲気に包まれたこぢんまりとした店内には、座敷に座るおれたちのほかに、カラの座席が二つと、向こう側のテーブルに一名が二組。それ以外、聞こえるのは厨房の金属音だけ。ひどく静かな空間だった。

 

 運ばれてきたほくほくとした海老天そばをすすろうと手を伸ばす。ふと、窓の外が真白く輝いた気がして、引き寄せられるように空を見た。

 

 ――蛍みたいなふわふわとした雪が、あたりに漂いはじめていた。

 

「雪……」
「寒かったからな。ほら、さっさと食べな」

 

 水原は既に手をつけはじめている。おれも、しばらく降りはじめた淡雪を見つめてから、箸を取った。
 こんないいかたはおかしいのかもしれないが、水原にはどことなく気品がある。理人といえばおれの中ではなんとなくだらしないイメージなのだが(外ではちゃんとしているらしい)、東京から外れた駅前の蕎麦屋でそばをすする姿さえ、なんだかきれいなのだ。

 

 口には出さないけれど。

 

「何」
「へ?」
「なんで僕そんなに見られてんの?」
「見てない」
「嘘つき」

 

 口を開けば、文句ばっかりで子どもみたいなところは、理人と一緒かもしれない。これ以上不機嫌になられたらいやなので、目の前のそばをすする。

 

 今日は理人、何時に帰ってくるのかな。

 

 ――朝、理人の予定を聞いたは聞いたけれど、自分の予定を理人に伝えていない。理人の方が先に用事が終わって帰ってきたら、おれがどこにいるのって心配するかな。それとも、家にひとりきりは、ふたりきりの気づまりな空間とは違って心地よいて感じるのかな。

 

 理人との距離の取り方が、わからない。

 

 今日は、帰ったらどうしよう。また、おれ、逃げるのかな。何もいってこない理人に甘えて、自室に籠って眠って一日を凌ぐのかな。

 

「強くなってきたな」

 

 既に水原のそばはカラッポだった。おれがそばを食べ終わるのを待っているのか、待っていないのか、肩ひじをついて不愛想に空を眺めている。視線を追うように外を見ると、淡雪は既にあたりの世界一帯を覆うような激しさを増していた。

 

「横須賀線は止まるかもな。……もし豪雪で止まったら、置いて帰ってやるよ」

 

 なにが、「やるよ」だ。日本語がおかしい。

 

 さっきからどこか憂いを帯びた横顔は、なぜか蕎麦屋に不釣り合いなほどに艶っぽい。ぼんやりと見つめる。だって、その表情はまるで――。

 

「ねえ、水原。水原ってさ」

 

 なんとなく引っかかっていた、このひとと理人との繋がり。このひとがおれに向けてくる理不尽な憎しみ。容赦ないことばたち。

 

「水原、って、理人とは、大学のともだちなんだよね」

 

 それはほんのすこし――デジャブなのだ。

 

 探るような、微妙な質問。だって、このひとのことは最初からなにかいやな感じがした。引っかかって。

 

 このひとが、理人と知り合いであることを、このひとの口から聞かされるのは心がざわざわした。不穏に木々が揺れるみたいに。

 

 空からおれへと視線を移した水原が、口端を上げる。刹那、息がつまった。

 

(だめだ)

 

 これはきっと、聞いてはいけなかった。

 ほんとうのことを、詳しいことを、ふたりの過去のことは、知らなくていいことだったのかもしれあにと、その微笑みで悟る。

 

「それ以外で、なんか興味ある?」

「いや……えと」
「おもしろい。まだまだクソガキだと思ってたけど、おまえ、すこしおとなになったね。……当てられたら、教えてやるよ」

 

 それは、このひとと理人の間に、ともだち以外の特別な関係があったからだ。そして、おれはきっとそれをもう知っている。

 

 ともだちなら、理人を思ってだれかを恨めしく思うような強い執着があるはずがない。その執着は、むしろ、おれと理人を取り巻いていた、

 

 ――私ね、理人さんと結婚したいの。今まで理人さんに付きまとってた女みたいに一時的な感情でそういっているわけじゃなくてね、ずっと一緒にいたいの。

 

 女のひとの、それ。

 

「理人のこと、……すき、なの?」
「全然違う」

 

 ……なんだ。違うんだ。

 

 一瞬のうちに張り詰めていた緊張が切れて、ほ、と一息つこうとした。だけど間髪入れずに、水原の唇がゆるやかに動いた。

 

「正しくは、付き合ってた」

 

 思考が、固まる。意味を理解するのに、ひどく時間がいるみたいに。

 

 どこかで感じていた違和感を突きつけられた、そしてどこかでわかっていたのに、一切の遠慮がないことば。

 

 鈍器で頭を殴られた、以上の、とりとめのない衝撃。

 

 容量を超えた話の内容に、追いつかない。

 

(な、に)

 

「お互いすきだったのね。大学で知り合った僕たちはデートして手を繋いでキスをしてセックスしていたってわけ」

 

 まるで今日の夜ご飯の報告でもするみたいに、さらりと続けた水原は、蕎麦屋でする話でもねえなあ、と、同じトーンで呟く。

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