君についた幾つかの嘘について。

2話 水原祐樹と不幸な秘密。

12

 学校と、街全体が、ふわふわと浮ついていることに気づいた。男のひとは、そわそわ。女のひとは、いつもよりも可愛い。理人のことが脳の大部分を占めるせいで端に追いやられたそんな思考の理由は、席替え後、前の席から後ろの席にやってきた小塚によって知らされた。

 

「なんか最近ボーっとしてるよなあ。……バレンタインだから? ほしいチョコあるの? だれのだれの?」

 

 うんもいいえもいっていないのに、小塚との会話は風のように勝手に進むから不思議だ。
 前まではデカい彼がいるせいで全然黒板が見えないと文句を言いたいくらいだったけれど、最近のおれはいまいち勉強に集中できていなかったから、前の席が小柄な女の子に変わったことによる喜びはなかった。まったく。

 

「ばれんたいん……」

 

 クリスマスから間もないというのに、また街が華やいでいたのはそういうことかあ。冬なのに、騒がしい日々が続いているみたい。

 

「興味……はなさそうだな。今知ったのかよおまえ。……あとすっかり抜けてるみたいだから教えてやるけど、もう放課後だし、今日おまえ日誌係だから」

 

 後ろから、分厚いファイルがべこっと頭に直撃した。今年はチョコほしいなあと口ずさみながら、彼が教室を出ていく。冬でも部活はあるみたい。教室から見るグラウンドは、ところどころ氷が張っていて、つるつると冷たそうだった。

 

 今日の時間割すらもうろ覚えなまま、とりあえず日誌を書いた。今日の一言覧は、「最近寒いですね」なんていう味気ないことを書いてしまった。絶対明日先生から皮肉が帰ってくるだろうなあと思ったけれど、まあいいや。

 

 日誌を提出して、校門を出た。交差点を左に曲がったところで、大きなものが両目にあっという間に覆いかぶさった。

 

「わああ」

 

 なんていう、悲鳴に似た情けない声は、通りすぎた車にかき消されてしまう。いきなり暗くなった視界とともに、押し当てられた手のひらの冷たさが、からだ全体に伝染した。さっきグラウンドで見た氷に顔から突っ込んだみたい。

 

「電話くれなかったから、来ちゃったよ。弟くん」

 

 この声。

 

 ――血、一滴も一緒の入ってないよね。

 

 あのひとだ。

 

 額ごとおれの両眼を覆っていた手がぱっと開かれて、同時に振り返る。厚手のコートとマフラーを纏ったそのひとは、「寒い寒い」と呟いて、両方の手をさっさとポケットに戻してしまった。

 

 あのときと同じ表情。やさしそうに三日月に上がる口元とは裏腹に、その分何を考えているかわからない不気味な双眸。目が合って、「やあこんにちは」と微笑みかけられたけれど、なんてかえしたらいいのかわからない。

 

 帰宅部の生徒たちが、微妙な距離で向かい合うおれたちを、胡乱げな目で(邪魔)といわんばかりに避けていった。いっそだれか、ここに不審者がいるって通報してほしいのに、この見目ばかりは麗しい不気味なひとは、警察のお世話になりそうなタイプとは判断されない。絶対。

 

 本人も、わかっているからこんなに悠然と構えているのだ。流行りのチェスターコートを着こなして。

 

「な、んの用ですか」

「用なんてひとつしかないよ。ねえ、理人いつ帰ってくるの?」
「夜、だけど」

「……あ、そ」

 

 そのひと――水原は、ちょっと考え込むようにした後に、ひょい、とおれの腕を取って歩き出した。あまりにも自然にそうしてきたものだから、つい流されて引きずられるようにして足を進めてしまう。

 

「え、……ちょ。ねえ、どこ行くの?」
「いやあ理人帰ってくるまでおまえ攫っておこうと思ってね」
「おれ買い物……っ」
「あとで付き合ってやるよ。てかおまえさ、僕の渡した携帯番号どうしたの? まさか捨てたとか洗濯にかけて紙まみれになったとかじゃないよね?」
「知らない!」
「油性ペン持ってきたから、後でデコに書いてやるよ」
「い、いらないよ! 持ってる! 部屋にある!」

 

 バレンタインで浮かれた街を目指し、ずんずんと広い歩幅で歩いていた水原が、振り返ってニヒルな笑みを浮かべた。こころの中で(なんなんだこいつ、めちゃくちゃだ!)と毒づくけれど、なんとなく口には出せない。だって……なんかこのひと得体がしれなくていやだ。

 

(う……タイムセール)

 

 安く買えそうだったのに。悔しいから、その背中に、馬鹿とだけ小さく呟いた。聞こえているのか、聞こえていないのか、彼は鼻歌でも歌い出しそうな足取りで歩きながら、どこからかチョコレートの匂いでもしそうな街へと入っていく。

 

 からん、という耳に心地よい音を立てて店へ入っていく水原に続くと、ふわっとかおる淹れ立てのコーヒーのにおい。夕方近くということで、やや混み合った店内と、しゅーっという何かを作っているようなスチームの音。

 

 ほわっと温かい。いつも、素通りして一目散に向かうスーパー手前の、あのスターバックスだ。高いって聞いていたから、カフェなんて来たことなかったのに、思わぬデビューだ。

 

 おれよりも大胆に制服を着こなしたお洒落な風貌の高校生や、パソコンのキーを響かせるスーツのひと、明るい声でおしゃべりする大学生……うう、おれにはやっぱり敷居が高い。

 

(でも、このひと、溶け込んでるなあ)

 

 目の前で店員さんからメニューをもらってお礼を言う様子は、なんていうかさまになっている。理人はしどけないおじさんのようだけど、このひとは王子様みたい(顔立ちもきれいだし)。やっぱりおとなだ。悔しいけど。

 

「おまえ、何にすんの」

 

 と思ったら、手に持っていたメニューを押しつけられた。初めてさわるカフェのメニューにちょっとだけドキドキする。

 

「い、いやいいよ。だって、高いし、今日の夕食」
「おごってあげる。だけど高いのはだめだから」
「ええ!?」

 

 仕方なく、メニューとにらめっこする。……この英語は、大きさかなあ。一番小さいのが安いもん。だけど、どれもこれも高い。

 

 一番安いもの、安いもの……前後左右に目を走らせる。あ、あった。

 

「じゃあ、え、えす……えすぷれっそ?で」

 

 一番安いならそれにしよう。それにしても、ヘンテコな名前。あまりコーヒー飲まないからわからないけれど、どんなものなのだろう。

 

 だけどそう告げると、水原はあからさまに呆れた顔をした。

 

「何おまえ、そんなの飲めるわけ?」

「一番安いから」
「甘いの好き?」

「好き」
「チョコは?」
「好きだよ」
「あ、そ」

 

 水原は面倒くさそうにおれからメニューを横取りして、それから店員にはブレンドコーヒーと、モカフラッペチーノというものをオーダーした。おれには結局、エスプレッソがなんだったのか、わからずじまいだった。

 

 チョコレートが入った冷たいそれに、ふわふわのホイップが乗っている。冷たい飲み物だったけれど、水原が室内の席を取ったから寒さは感じなかった。

 

 美味しい。それに、とびきり甘い。スターバックスには、苦くておとななコーヒーしかないと思っていたのに。半分まで一気に減らしたところで、慌てて口をストローから離した。全部飲んでしまったら、カフェの意味がなくなってしまう。

 

 なんだか、コタツでアイスを食べるみたいな、贅沢さ。

 

(これが、ふらっ……なんだっけ?)

 

 デザートのように美味しい。テーブルに座って無心ですすっている目の前で、水原は黒々としたコーヒーを飲んでいる。さすが、ブラックで飲めるとはおとなは違う。

 

「おまえ、カフェってあんま入らないの」
「ん。放課後はスーパー寄るか、直帰だよ。……これ、美味しいね。ありがとう」
「どういたしまして」

 

 肩ひじをつきながらどこか府抜けた様子で「おまえさあ、警戒心足りないって言われない?」って馬鹿にするみたいにいわれたけど、知らない。だって、下校には注意しろとか痴漢には気をつけろって先生から指導されてるの、女の子ばっかりだもん。おれ、男だし。

 

 店内はどこかざわざわとしてせわしない。おまけに席は忙しくパソコンをいじるスーツのひとや、買い物帰りの女のひと、噂話をする大学生でほとんど埋まっている。やっぱりすごい人気のお店だなあ。

 

「美味しいのはいいんだけど、僕としてはおまえの生活スタイルが気になる。学生なのに毎日直帰して理人のメシ作るって、しんどくない?」

「しんどい? 何が?」
「……あーそーですか」

 

 水原はそれ以上聞いてこなかった。

 

「じゃ、理人の話でもしようか。これ、本題ね。モカフラッペ五百円分の」

 

 ――理人。

 

 なんだかこのひとの口から出る理人という名前が、落ち着かない。心がざわざわする。このひとはきっと、おれの知っている理人ではない何年も昔の知り合いの話をしているから、全然違う響きがして、別人みたいに思える。おれの知らない理人の話は、心臓がヘンな音を立てて揺れてしまう。やや冷たくなった指先を、飲み物から離した。

 

「というよりさ、おまえ聞きたいこととかないの?」
「ない、です」

 

 絞り出した声は、ひどく固い。
 いつの間にか、さっきまで耳の中に鮮明に入ってきていた周りの音は、遠く遠くへ追いやられている。

 

「どうしてほんとうはきょうだいじゃないのに一緒にいるのか、知りたくないの?」
「……理人は」

 

 ――家族だよ。たったひとりの、きょうだいだ。

 

「きょうだいだって、いってました」
「じゃあ、あいつは嘘をついているね。どうして嘘をついていると思う?」

 

 水原の言葉が容赦なく突き刺さる。ぐ、と息が詰まった。
 嘘なんて、ついてないと、抵抗することができない。

 

「おまえが産まれたとき、理人は二十。おまえの母である真冬は二十四。もしおまえと理人がきょうだいであるなら、真冬は四歳で理人を産まなければいけないね」

 

 まさかおまえ、四歳で子どもが産めるなんて思っていないよね。という水原の冷静な指摘に、隙などない。当たり前だ、だってそのことは、おれがずっと考えないようにしながらもどうしたって考えてしまうことだった。

 

「下手な嘘だよね。理人がおまえの父親って言われた方が、まだ隠し通せそうだったのに。最も、結婚しているというわけじゃなさそうだったけど」

「り、りひとは、おれのお父さんじゃ、ないの?」

 

 その可能性の方が年齢的にはあり得る。実際、理人の年の差について考えたとき、最もおれが思い描いていたのが、そのことだった。――実際には理人が父親でも兄でもなんでもよかった。血がつながっていれば。つながりがあれば、一緒にいられる。だけど水原は無情にもその可能性を「違うよ」の一言でバッサリと切り捨てた。

 

「別に男がいた。真冬がおまえを産む前に死んだの。で、真冬もおまえを産んで三年後に死んだ」
「……っ」
「おまえはどうして――どうして理人と家族でいるんだと思う?」

 

 理人との合わない年齢差とか、“雪路”と“理人”で名前がすこしも似ていないところとか、明らかな顔立ちの違いとか、うすうす気づいていた違和感のすべてから背を向けてきたのは、一緒にいたかったからで。家族じゃなかったのなら、一緒にいられない。

 

 物心がつくかつかないかという幼い頃に、狭い保育園の世界で浴びせられたことばたちが、蘇ってくる。家族じゃなければ、一緒にいるのはヘンなことなのだと。

 

 答えることが出来ないまま、おれとこのひとの間に静かな沈黙だけが流れる。沈黙の間を、英語のジャズテイストなBGMとパソコンの音とおばちゃんのおしゃべりの音がゆるやかに通っていた。

 

「ああ、今日タイムセールなんだ。まだやってるみたい。悪いことしたね」

 

 ちっとも悪いなんて思っていないくせに、横のスーパーを一瞥して飄々といってのけた水原。

 

 外に出ると、鎌倉の空気がいっそう冷たくなった気がした。

 

 今日、わざわざ鎌倉に来たのだろうか。マフラーを巻きなおすこのひとは、これから横浜の方へ帰るホームに立って、平日でも訪れる観光のひとと一緒に電車の中で揉まれていくんだ。

 

 水原の顔をぼんやりと見上げる。

 張り付けたような笑顔で近づいてきたと思ったら、いじわるするし、言葉尻に馬鹿にしたような調子がついて回るし、何考えているかよくわからない。

 

 だけど、どうしておれに会いに来るの。どうしてたまに寂しそうになるの。

 

「ほら、早く行きな」
「あの」
「何」

 

 気になってしまう。このひとのこと。

 

「あなたはだれですか?」

 

 理人の知り合いっていうのは、わかる。それもきっと、浅い関係じゃない。深い友人関係を築いてきたひとなのだろう。このひとといると、おれが知らない理人を知っているんじゃないかって、焦ってしまうから。

 

 水原は答えなかった。代わりに、おれの頭をちょっと面倒くさそうに撫でた。

 

「僕はおまえがきらいなんだ。おまえと、おまえの母親が」

 

 何も知らないでのうのうと理人のそばで暮らしているおまえを見て、イラっとしたんだよ。って。このひとのことばは難しい。

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