君についた幾つかの嘘について。

2話 水原祐樹と不幸な秘密。

08

 自分と理人の年の差について、何度も考えたことがある。理人は二十のとき、お母さんのからだから出てきたおれと出会ったから、そのままそれが生きた年齢の差だ。何かの拍子に伸びたり縮んだりすることのない、決して埋まらない差。


 母の真冬はおれを二十四で産んで、三年後に死んでしまった。だとしたら、母が理人を産めるはずがない。辻褄の合わない真実は、そのまま理人や母がおれについた嘘だ。おとなになれば、だれだってわかってしまうような嘘。それに気づかないふりをして、嘘をつく理人に甘えていたのはおれだ。

 

 ――だって、だとしたら、おれはだれ?
 ――理人はだれ?

 

 知りたくなかった。理人は兄だ、おれたちはきょうだいだ。それでいい。そうしていれば、ずっと一緒にいられる。

 

 雪路のパパってかっこいいね!

 

 小学校の授業参観の後、いつもなら絶対にこちらに話しかけることをしないようなクラスの人気者の女の子たちにそういわれた。囲まれるようにして。女の子と話すこと自体にあまり慣れていなかったおれは、不意をつかれてちょっときょどってから、小さく理人は兄ちゃんだよって訂正した。

 

 その事実はますますその子たちを理人のとりこにしたみたい。だって、たしかに、理人はかっこよかったから。

 

 へえ、かっこいいねえ!
 うちの兄ちゃんと代えてほしいなあ。いいなあ。

 

 ひとしきり盛り上がったところで、唐突にその中のだれかがいった。もう顔すら覚えていない、昔のクラスメイトの女の子。だけど、その声の調子だけは今でもずっと頭の中に保存されている。

 

 じゃあ、雪路のお父さんはどうしてこないの? どうしてお兄ちゃんだけなの?

 

 ――ゆきのお父さんはどこにいるの? どうして授業参観には理人がくるの?

 

 背が足りないおれのために用意してくれた踏み台に乗って、理人にいわれるままタマネギの皮をむきながら、その日おれは全く同じことを理人に聞いた。横でジャガイモの皮を包丁でサクサクむいていた(おれには危ないからピーラーを使うようにいっているのに……)理人は、一瞬おどろいたような顔つきになった。すぐにやさしい顔つきになって、包丁をむきかけのジャガイモから離す。

 

 ――今日、なにかいわれた?
 ――別に。……どうしてかなって思った。ゆきのママ死んじゃったけど、お父さんも死んじゃったのかなって。
 ――じゃあ、おなかいっぱいになったら教えてあげるよ。お、きれいにタマネギむけたね。
 ――つるつるに剥がすだけだもん。理人みたいに、じゃがいもを包丁ですすすって剥いてみたい。
 ――今度ね。

 

 ふたりで作った夕食でおなかいっぱいになって、歯を磨いて、ドキドキしながら理人と一緒にベッドに入った。その日のごはんの味も、ひとりでお風呂に入ったときのことも何も覚えていなかった。理人はおれの肩までふとんをかけながら、もう一方の手でまだ小さかったからだをたやすく引き寄せた。

 

 ――おまえのお父さんは、ママよりも先にいなくなったんだ。
 ――死んだの?
 ――そうだよ。やさしくて、ママも大好きだった。ゆきが産まれるすこし前かな。

 

 あったかくなったベッドの中で、ぴったりとくっついたおれを理人が抱きしめてくれる。
 不思議なことに、おれはそれまでお父さんという存在を意識したことはなかった。というよりそもそも、父や母は気づいたらいなかったから、忘れてしまっていたのかもしれない。考えないようにしていただけなのかもしれない。

 

 家族は、理人だけだったから。おれの家族は、理人。

 

 ――ゆきが産まれるのを、楽しみにしていたんだよ。いなくなってしまったのは、すごく悲しかった。ママもきっと悲しかったよ。

 

 理人はママもお父さんもやってくれる。だから、さみしくなかった。それなのに、理人はおれがそんな話を聞きたがっているのを感じたのか、もっと話そうと『そうだな……』と続きを考える。その表情がすこしだけ困っていることに気づいて、おれは自分を責める。

 

 ――もうわかった。ゆきのお父さんの話。もういらない。
 ――そうなの?
 ――ん。

 

 ほんとうは、クラスメイトにいわれてちょっと気になっただけだった。いわれるまで、お父さんのことなんて知ろうともしなかった。お父さんのことを思い出そうともしない自分に薄情さを感じて、すこしの好奇心から聞いてみただけだ。
もう眠りたい。……お父さんの話は、もういいや。

 

 だって、理人、すこしだけさみしそうだから。理人がそういう顔するのは、いちばんいやだ。その頃から、おれの世界は理人を軸にしてグルグルと回っていたのだと思う。

 

 ――ゆきには理人がいるから、いいの。

 

 いいの。

 

 それがどれだけ世間から外れたことばだったのだろうと、今になって考える。子どもには必ずお父さんとお母さんがいて、そのひとたちに大切に愛を注がれる。それが普通。だけどそれ以上に、理人にそんな顔をしてほしくなかった。

 

 ――僕も、おまえがいるならいいよ。おいで。

 

 これ以上くっつけないのに。

 

 いびつじゃない。自分にいい聞かせていた。だって理人は兄ちゃんだ、家族だ。家族なら、一緒にいるのが当たり前だから、おれは普通だと。

 

 ――おまえのお父さんは、ママよりも先にいなくなったんだ。

 

 僕たちの、ではなく、おまえの。理人の嘘は上手かもしれない。でも、不意に出ることばは嘘を隠せていなかった。

 

 もしも“家族”じゃなかったら――理人がおれにとってだれでもなかったら、その繋がりにどんな名前もなかったら、その事実はすごくこわい。

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