君についた幾つかの嘘について。

1話 福田愛莉とのさんにんの日常。

07

 冬も本番になってくると、プレハブの中に設けられた小さなストーブごときでは、寒さはすこしも凌げない。隙間風の吹くつめたい冬の図書室は、なんとも居心地が悪い。眠るようにして静かに陳列している本も、すっかり体温を失って埃をかぶっている。先生のところに行こうと思ったけれど、おとといも寄っていたので、あまり頻繁に行き過ぎるとかっこ悪い。やめて、今日は素直に帰ることにした。

 

 下駄箱で靴に履き替えて外に出ると、乾燥した空気が一層からだに染みる。マフラーをしっかりと巻きなおして、校門に差しかかろうとすると、見たことのない男のひとがよりかかって、おそらく最新機種の(おれや理人の使っている型落ちサイズとは違う)スマートフォンをいじっている。

 

 今日のツンとした寒さによく似合うような、美しいひとだった。男のひとに美しいって、褒めことばなのかわからないけれど、とにかくぼんやりと見つめてしまうくらいには整っている。

 

 細くすっきりとした体躯を、ラフなジーンズとネズミ色のコートが覆っている。鎌倉のにおいがしない、おしゃれなひと。よく、小町通りに向かうひとの流れにいるような。

 

(観光客かな。迷ったのかなあ)

 

 なんせ、こっちは観光客の管轄から大きく離れた、生活感あふれる住民の地なのだから。

 

 ……声をかけようと思ったけれど、学校の校門前にたたずむ姿はどうも不自然だったので、(さわらぬかみにたたりなし)とそのひとのすぐ前を通り越した。

 

 だけど、

 

「ああ。……佐野理人の弟だ」

 

 ――一瞬、そのひとの声とはわからなかった。女性と並んでも遜色ない……むしろいやがられるレベルであろう美麗な容姿と、やや低く乾いた声は不釣り合いで、ヘンだ。だからことばの意味を確認する前に、声の調子に引きずられて、勢いよく振り返った。

 

 遅れるようにして、さのりひと、というよく知った名前を脳内で繰り返す。

 

 いつの間にか、スマートフォンから目を上げて無表情にこちらを見下ろしていたらしいその目からは、ひとかけらの感情も読み取れない。

 

「やっぱり似てないねえ」

 

 低いのに、どこか馬鹿にするような歌でもうたうような軽やかな調子も、潔癖さを思わせる容姿からはほど遠い。その双眸にあからさまな感情は宿っていないものの、感じるのはいやな雰囲気。

 

 とにかく、……見たことのないひと。いきなり話しかけられたり、待ち伏せされたり、敵意を持たれる覚えはない。

 

「似ていないなら、どうして知ってるんですか……」

「なんとなく。きみ本体をこの目で見たのは初めてだよ。だけど、僕はきみのその顔をよく知っているんだ」

 

 まるで謎解きさせるみたいに意味不明なことばたち。口端だけで笑ったそのひとが、もたれかかっていた校門から背筋を正して、スマートフォンを無造作にポケットに突っ込む。手はそのまま、そこから出てこなかった。

 

 真っ直ぐに立ち上がると、上背はおれよりの後ろに立っていても余裕で視界良好くらい。でも、――近くに来たときに、このひとが遠目で見たときほど若くないことを知った。

 

 それは、そう。

 

「初めまして。理人の、知り合いなんだけど、きみは知らないよねえ」

 

 ……兄と同じくらいの年齢だろう。
 さっきから無遠慮に注がれるおれの顔への視線は、いやに怜悧で、それでいてそこはかとない敵意を感じる。おれの目元や、鼻、口元や耳は、パーツひとつひとつを確認するように注意深く観察されている。いたたまれなくなって距離を取ると、気づいたそのひとがまた口端だけでククッと微笑する。美人の笑みは不気味だ、男だけど。

 

「ごめんごめん。あんまりにも似ているから、ね」

「……理人とは似ていないって、さっきいっていたじゃないですか」
「ちがうよ。理人と似てるわけないでしょ」

 

 吐き捨てるような、強いせりふ。

 

「似てるのは、真冬。きみの母親の方ね」

 

 ――まふゆ。

 

 馴染みのない言葉。あまり聞いたことがないのは、お母さんがとっくの昔に死んでいるからであって、反応できたのはおれと同じ冷たい冬の名前だったから。――……似ているなんて知らない。だって理人は一度だってそんな話をしたことはなかった。

 

 曇天の雲が、分厚く空にかかっている。まるで雪が降りそうなほど、今日は暗くて寒い。
 なんだか、急速にここにいてはいけないような気がした。このひとから離れろと、脳がガンガン注意を促している。このひとは、おれが知らないなにかを知っている。

 

 それなのに、おれの足は鉛に潰されたように動かなかった。

 

「理人と似ているわけないよね。血、一滴も一緒の入ってないでしょ」

 

 ――頭が真っ白になる。降り積もった新雪のように。

 

 このひとから逃げなければいけないと全身が警笛を鳴らす。だって、それは知らなくていいことだ。知ってはいけないことなのだと。

 

 ――きみの日常を壊しにきた。うそつきの、にせものの家族。

 

 喉元まで出かかっては、飲み込んで奥底にしまいこんできた想いを、このひとはきっと無理矢理こじ開けようとしている。

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