花、盗み。

07

「……あれ?」

 

 不意に――さっきまでぴたりとそばにあった背中を見失ったことに気づいた。おどろいて振り返った拍子に、斜め前からすれ違ってきた恰幅のよい獣人と肩が当たって、よろける。目の前を見ると、水都様の姿は忽然と消えている。

 

「み……っ」

 

 ああ、だめだ。水都様の名前を出してはいけないことくらい、花宮という狭い世界で暮らしていた世間知らずの僕でもわかる。あの御方は、特別だから。

 

(北の御方、でも、だめだ……)

 

 ことばが詰まる、それなのに呼吸が乱れた。
 さっきから、水都様と歩いていけば行くほど、周りの獣人が多くなっていることに、気づいてはいた。こんなたくさんの獣人と行き交うのはほんとうに久しぶりで、だからこそ気を抜かずに水都様の背中を追っていたはずなのに。

 

(どうしよう……いなくなっちゃった……)

 

 歩みを止めて、四方八方を見回す。僕より大きい獣人たちの流れから、水都様を探し出すことは困難だ。……水都様は背が高い。だけど、僕の身長が足りないせいで視野が狭いのと水都様よりも横幅のある獣人たちがいるせいで、きっと隠れてしまっている。

 

(ここではぐれたら……っ)

 

 途方に暮れて視線を落としたそのときだった。目の前に、自分に向かっている大きな影がある。

 

「もしもし、人間さん。こんな夜に、どうかしたかい?」

 

 人間――この辺りにいる人間なんて、僕しかいないだろう。どこかひょうきんな呼び方につられて、見上げると、細身の狐族。愛想のよいニコニコとした笑顔が、僕を見下ろす。

 

「きみだよ、きみ。……迷子かな?」
「えと……さっきまで一緒にいた方がいて、……」

 

 どうしよう。すこし、こわい。
 昔から獣人は苦手だった。花宮に来てから、お客さんと世話人として獣人と接するうちに苦手意識がほとんどなくなったと安心していたけれど、外の世界で話すのは――。

 

 三日月に笑うその獣人から離れようと、一歩下がる。すると、一歩距離を詰められる。

 

(う……っ)

 

「おいで、一緒に探してあげようね」
「……」
「怖がりなのかな?」

 

 大丈夫だよ、と伸びてくる手を前に、目を瞑ったそのときだった。

 とん、と、守るように回された手に引き寄せられて、さっきはじめて潜った胸の中に押し込められる。きつく瞑った目をおそるおそる開くと、滑らかな着物からかおる水都様のにおい。

 

「失礼、僕の連れです」

 

 頭上で降り注ぐその声に、心とからだが安堵する。水都様、戻ってきてくださった。

 

「そうなのかい? あんたも目を離しなさんな、今日は色んな獣人がそこら中にうようよいるからね、人間さんが悪い輩さんたちに連れ去られないようにしないと、ね」

 

 よかったよかった、と向けられる声に、水都様の胸から顔をあげて、その獣人を見上げると、にこりと微笑みかけられた。
 ……あ、悪い方じゃなかったんだ。この方は純粋に心配して声をかけてくれていたというのに、僕が勝手にこわがって腰を引かせてしまったんだ。

 

 無神経な僕の態度、ひどい。

 

「じゃあ私は失礼するよ。お祭りを楽しんでね」
「どうも、親切にありがとうございます」

 

 ……お祭り?

 ぽかんと、目の前に帰ってきてくれた水都様を見上げた。視線に気づくと、水都様は悔しそうに苦笑いした。

 

「あらら……それをきみに教えてあげるのは僕だったんだけどね」
「おまつりって……?」
「色街の冬祭りだよ。元々街の外でやっていたものがあってね、その規模を小さくしたものをこの街に取り込んだんだ」

 

 耳を澄ますと、どこからか聞こえてくる男たちの騒ぎや、それに呼応する女のひとの弾んだ高い声。だれかの声以外にも、火を燃やす音や、かんかんという金属音。それに、香ばしいやら甘いやらのいいにおい。

 

(冬のおまつり……)

 

 獣人の波が激しいのは、おまつり、だからなんだあ。と、そう考えている間にも、せわしなく僕の周りを交錯する獣人たち。

 

「さ、行こうか」
「え? まだ、行くんですか?」
「この先だよ」

 

 そういって、水都様が僕の肩を抱いて歩き出した。どき、と心臓が跳ねる。

 

(え、え、このまま?)

 

 水都様を見上げるけれど、視線が合わない。その視線は、目の前や辺りを気にしながら歩いているみたい、……もうはぐれないようにしてくれているの?

 

 悠然と僕を自分のパーソナルスペースの中へ取り込んでしまう水都様とは裏腹に、僕の心臓はその近さにどきどきしている。水都様にとっては迷子を避けるためだろうけれど、こんなやさしくされ慣れていない僕にとって、居心地が悪い。……僕は、花宮の女たちみたいに、だれかに壊れもののように大切にされる存在じゃないから。

 

「あ……っ」
「どうした?」
「うわあ、お店がたくさんあります!」
「……団子屋はないけどね。飴屋にでも寄って行こうか」

 

 いうなり水都様が出店の前へ連れて行ってくれる。

 

 この子にひとつ、という短い水都様のことばと、差し出される飴。一口よりもほんのすこしだけ大きめの丸いそれが串に刺さっていて、不思議。受け取って口に含むと、いつも水都様にお土産でもらう飴玉よりも、蜜みたいに甘ったるい。

 

「美味しい……林檎ですか?」
「そう。……それはよかった」
「水都様はよろしいのですか?」
「僕はいいよ、きみは知っていると思うけれど、甘いものはあまりすきではないしね。お土産に買う分には彩りがよくてすきなんだけど」

 

 口の中を占有していく甘味を感じながら、からころと歯で鳴らしてみる。冬には似合わない涼しげな音。飴を舐めることに気を取られている僕をよそに、水都様はまた歩きはじめる。もちろんさっきと同じように僕の肩を取ってくれていたから、だれかとぶつかることもない。

 

 水都様が獣人たちの波の中、巧妙に僕を誘導してくれていることなど、気づきもせず。

 

 飴玉をすっかりなくしてしまうと、甘くもないし溶けない串だけが寂しく残った。それを捨ててから歩くと、いっそう他の獣人たちとの距離が密になってきた。

 

 しっかりついておいで。

 水都様がまるで子どもに注意するように僕にそういったけれど、どんな周りの獣人とよりもこの御方との距離が一番近いのだから、離れるはずがないよ。

 

 視界いっぱいに、大きくて高い背中がひしめいている。水都様はその間を上手にかきわけ、前へ前へと進んでいた。

 

 ――ふと、目の前の獣人が踵を返して去っていく。そうして、僕の視界が一気に開けた。

 

 わあ、という歓声が辺りで響いているのを、無意識に耳でキャッチしていた。おどろいたようなその声たちの一端を担うように、明るいその気色に目を見張る。

 

「わあ……!」

 

 僕何人分かわからないほどてっぺんまで伸びた大きな深緑色の大木と、寄り添うように括りつけられた色鮮やかなぼんぼりの明かり。

 

 黄金、薄紅、青藤、柑子、菫、白練……冷たい季節も、静かな夜も、すべてを照らすような光に満ち溢れている。目をこすって、よく見ようと背伸びをする。てっぺんは、見えない。

 

「冬祭りの主人公だよ。……おどろいたかい?」
「すごく、すごくきれいです」
「そのようだね。きみのその表情が雄弁に語ってくれている。それに、やっぱりおどろいているね」

 

 そういって、水都様は、こんなにきれいなものがそばにあるのに、僕の表情を眺めて笑ってくださった。そういわれてしまうと、自分がどんな表情をしているのか気になってしまう……鏡ないから、わからないけれど。

 

 口を開けて、馬鹿っぽいかもしれない。むぐ、と閉じておいた。

 

「ふふ。……それじゃあ、きみには特等席をあげよう」
「へ――……ええ、ちょ、水都様!?」

 

 いうやいなや、それまでやさしく僕の肩に触れているだけだった水都様の手が、花宮を出ていくときのように抱き上げた。地上から離れた足におどろくと――次の瞬間、水都様の足さえも、そこから浮いた。

 

 ――ふわり。と、漂うように地上を舞い上がる。冷たい空に舞い上がって、さっきまでの獣人の波が噓みたいに、喧騒が一気に遠くなる。風が吹くみたいに、ひとけのない空気が襲いかかってきた。

 

 反射的に、目の前にあった首筋に両腕を回す。耳元で、おかしそうに鼻を鳴らされた。

 いやそれも仕方ないじゃん、だって……、だって!

 

「み、み、水都様、そ、空飛んでる!」

「あはは、おどろいてるね僕は空をつかさどるわけじゃないから、そんなにたくさん上へと行けるわけじゃないのだけどね」

 

 そ、そんなのどっちだっていいよっ。

 

 水都様が、僕の肩から落ちかけていた羽織を引き上げる。冷たくなりかけていたからだが体温を取り戻していく。

 

 藤の羽織は魔法みたいに僕を包み込んでいる。ごうごう、と切り裂くようにして耳元を去った風に誘われるようにして、そっと顔を上げると、悠然と夜を照らす大木との距離がずっと近っていることに気づく。

 

「わああ……っ」

 

 思わず息を漏らしてしまうほど、幻想的な風景。

 まるで雲の上にでも乗るように音なく、どこかへ水都様の足がついたのに気づいて、視線を下ろした。わずかに軋んだその響きに、合点が行く。

 

「こ、ここが特等席、ですか?」
「そうだよ。きみと僕しかいないから、波にもまれることもない。……おまけにきみの横顔を木々が照らしてくれるほど近い場所でね」

 

 ゆっくりと僕の体を地上――どこか知らない店の屋根上へと下ろした水都様が、人差し指をくちびるに当てて、しい、と息を鳴らした。

 

「特等席――秘密の場所だから、だれにも教えてはいけないよ」

 

 いたずらっぽく笑う澄んだ瞳や、傷ひとつない滑らかな頬や、芸術のように美しい一束一束の髪たちが、さまざまな色の光に照らされてきらめいている。まるで、水都様は、この大木の飾りのひとつみたいにきれい。

 

 冷たい屋根に音ひとつ立てずに腰かけた水都様にならって、僕も羽織を落とさないようにしながら座る。あっと思いなおし、すこしだけ、距離を開いて。

 

「僕がいない間に、花宮に冬が来てしまったね」
「前にお越しいただいたの、夏終わりでしたからね。……その、お仕事の方が忙しいのでしょうか」
「ふふふ」

 

 続く答えを待ったが、ちらりと見上げた先の楽しそうな表情は、真っ直ぐ目の前の明かりに向かったまま。わかりやすく、こたえをはぐらかされたみたい。

 

(きっと、水都様の世界は、僕のそれよりもずっと広い)

 

 見えている景色が違うんだ。

 

 不意に――この御方が花宮に何年も足を運んでくださることが奇跡だといい聞かせて、そうして心の底に沈めた気持ちが浮き上がった。年に数回ある水都様の訪問以外の幾日もの途方もない時間、水都様の面影を慕って待つ僕と、他の世界に目を向けているだろう水都様のお姿。

 

 それは願ってはいけないほどに、贅沢なせつなさ。

 

(年にたった数回の女たちとの逢瀬の間に訪れる、僕の恋の御方……)

 

 駆け抜けるような師走は、もう終わる。次の月になったら、僕は花宮を出て行かなければいけない。それはこの御方とお会いする機会を永遠に失ってしまうということだ。

 

 今日が夢のような日になってしまったからこそ、もう二度と水都様を視線で追うことすらかなわなくなってしまうことを、思わずにはいられない。

 

 まるで泡沫の夢。

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