花、盗み。

04

 水都様が到着早々、悪ガキ軍団の大将かというような統率力で世話人見習いの男の子たちを団子屋に引き連れて行ってしまったので、藤と同様暇を持て余していたところで、ちょうど雪影様がいらした。

 

 僕と直接話すには藤を買わないといけないのだが、ちょうど藤はここにはいない水都様に買われている身なので、それはご法度。……まあよいだろうということで、僕は雪影様の待つ部屋へ出向いた。

 

 まるで当たり前のことみたいに手ずから淹れてくださったお茶を出される。

 

「雪影様……こういったことは僕がやりますので……」
「いいじゃないか、お茶を淹れるのすきなんだよ。何人たりとも僕の趣味を横取りすることは許されないんだよ。ここは冷えるね、さあ召し上がりなさい」

 

 黄と薄青を重ねた素朴なのに品の良さそうな着物を垂らし、雪影様が立ったままの僕を誘う。……もう、やるっていっているのにこのひとは。

 

(藤といい水都様といい雪影様といい、僕の周りには規律を守ってくれない自由人な御方が多い)

 

 気苦労はするだけ無駄なのだ。そう思って、これまた知らぬ間に用意された褥(しとね)に腰を下ろすと、まだ熱いお茶に手をつけた。

 

 あったかい。……藤の部屋が凍えるような寒さである分、お客さんのいるこの部屋は丹念に温められていることもあり、心地いい。

 

「寒そうだね。また藤は障子を開けっ放しなのかい?」
「はい……寒くて仕方ありません」
「朔は寒がりだからね。今日もあの子が他のお客さんに買われていなければ、注意してあげるのにねえ。僕より先に藤の予約を取りつけてしまう方がいらっしゃるなんて驚いたよ」

 

 雪影様は花宮の常連客だ。買うのはもっぱら藤だから、やっぱりこのひとも流麗な見た目とは裏腹にサバサバとした性格がお気に入りなのだろうか(聞いてみたことはないけれど)。でも、どんなに裕福なこの御方も、水都様の急な来訪を跳ね除けることは出来ない。

 

 ……お客さんの情報を故意に流すのはご法度だから、水都様が藤を買っていることはこの方にお話出来ない。

 

「ところで朔。きみを身請けしたいという話だが、考えてくれた?」
「あ……えと、はい。……すみません」
「答えるのが早いなあ。僕のことはきらいかい?」
「いえ、そういうのではなくて……」

 

 ――花宮にはある掟がある。年が明けて十七になる者は、世話人を辞め、出て行かなければいけない。例外はない。……お客さんを絶対とするこの色街で、世話人と女たちがねんごろになるという疑いを完全に断ち切るためであり、その予防線だ。十三のころにここへ来た僕にとって、ここで過ごせるのは四年間だけ。あとは外の世界で生きなければいけない。

 

 それは僕にとって、いやな話ではなかった。ここはすこしだけ、心地よい場所へ変わってしまっていたから。でも、そうしてしあわせになることは、僕には許されない。僕はずっとひとりで生きていかなければならないから。ここで生きることが容易くなることは――あの子の記憶をしあわせのせいで薄れさせてしまうこと。

 

 もう年も暮れる――春が訪れる前に僕はここから出ていく。

 

「ひとりで、生きていくって決めているんです」

 

 もう諦めていた。あと数日でここを出て行かなければならなかったから、約束事なくあの御方が訪れる日を待ちあぐねていたから。……もう会えないと思っていたのに、三日の猶予をいただいてしまった。それで、十分。

 

 雪影様のお世話になるわけにはいかない。

 

「朔、きみが何を抱えて生きているのか僕にはわからないよ。でもそれは、そんなにもきみを縛りつけておかなきゃいけないことなのかな」

「……」

「僕はね、きみのその器量のよさを買っている。ただ私の元で、私のやることをすこし手伝ってほしいだけなんだ。何も怖がることはないよ、きみは教養もあるし何より器用だからね。そんな暮らしは、きみにとってひとりで生きていくよりもずっといやなことかい?」

「そういうわけじゃなくて……」

 

 目の前のこの御方の、艶々と輝いた着物や、傷のないなめらかな肌を一瞥する。

 

 ――僕のところへ来てほしい。

 

 はじめに身請け話を持ち掛けてきたとき、この方の揺るぎない瞳を見て以来、知っている。この方は僕が思っているよりもずっとずっと、僕のことを本気で心配し、考えてくださっている。獣人の世界で暮らす方が、僕みたいなちっぽけな人間を引き取りたいというなんて、酔狂にもほどがあるけれど。

 

 手に取るようにわかる。この方の元へ連れて行かれたら、僕はきっと大切にかしずかれて、しあわせになってしまう。――それは、それだけは、だめだ。

 

 この方が隈ない華麗な瞳で僕を見れば見るほど、逃げ出したくなる。

 

「変な意味じゃないのだけどね、きみをずっと見ていた。ひたむきに頑張るきみを手元に置きたいと思うのは、僕のエゴだ。それでも、だめかい?」

 

 ――ずっと。

 

 この方は元々、胡蝶様を買っていた方だったから。

 

(やさしいお言葉……)

 

 胡蝶様にも、藤にも、紳士的だとすこぶる評判がよいのを考えても、やさしくて聡明な方なのはわかる。こうしたお話をしてくださるのも、ひとえに僕を思ってくれてのことだ。

 

 もう一度頭を下げようとしたときだった。

 

「さーくー!」

 

 無邪気なその声に、一瞬、寝床にいるときの世話人見習いかと眉をしかめる。女たちの世話にクタクタになって自室へ戻った子どもたちは、よくこういうべたっとした声を出して僕の元へ飛び込んでくる。

 

 でも、咄嗟に閉じられた障子を開いて縁側を見下ろしたのは、その声がちょっとテンションが高いときの水都様だと気づいたから。

 

 すいません、と目の前で鷹揚と構えていた雪影様に深く頭を垂れると、「いいのいいの、元気な方ですねえ」と笑われた。うう……大のおとなが恥ずかしい。

 

 チラリと縁側と出入り口に面した扉をわずかに開くと、待ち構えていた冷たい空気が舞い込んできた。二階のここから見下ろした先、階下の出入り口にぽつぽつとした影。わずかな隙も見逃すまいと言わんばかりに一層大きな声でもう一度僕を呼ぶそれ。

 

(ああもう……何をはしゃいでいらっしゃるのか……)

 

 日が短いせいか、既に辺りは薄暗くなり、花宮には提灯がともっている。その明りので、こちらへぶんぶんと手を振る水都様と、取り巻きの子ども――世話人見習いたち。手には団子を持っている。

 

「これから買い物に行くんだ、きみも暇だろう、来なさい」
「いえ、僕はちょっと今忙しいので結構です……」
「おやおやあ? 今日藤ごときみを買っているのは僕だよ?」

 

 ――藤ごと、きみを買うなんて、どうしてこうこの御方はそういう心臓に悪いことをいうのだろう。水都様が買っているのは藤で、ほんとうは僕ではないというのに。

 

 水都様はここにだれもいないと確信しているのか、誰かいたとしても花宮関係の者だと思っているのか(本来自分が買っている藤つきの僕は、他のお客様と会ってはいけないのだから)、いたずらっぽい目のままこちらを見上げている。

 

「と、とにかく、今は無理です! あとで行きますから!」
「ええ? 本気かい?」
「本気です! ていうか、あなたも子どもと遊んでいないで、お客さんのところ戻ってください!」

 

 ……すぐ後ろに雪影様がいる手前、藤の名前も、水都様の名前も、ぼかすことしかできない。なにやら不服そうにじとりと見上げる子どもじみた表情を一瞥して、「とにかくもうすこしで戻りますから!」といい捨てて障子を閉めた。

 

「す……すみません。馴染みのあるお客さんで、蔑ろにもできなくて……」
「いいんだよ。きみがそんなに焦っているのを見るのは新鮮だねえ……花宮じゃあすっかりお兄さんだからね」

 

 まったく、水都様は何を考えているのか……いや、何も考えていないのか。居住まいを正して、諦める様子のない瞳と向き合う。

 

「迷いのない目だね」

 

 沈黙の隙間、雪影様は観念したように肩の力を抜いた。体をたたむようにして床へ頭を近づけると、こぼれた髪の毛がそこへパラパラと落ちた。

 

「はい――雪影様がエゴとおっしゃるなら、こうしてよくしてくださる雪影様のご恩に背いてしまうのもまた、僕の我が儘です」

 

 花のように美しく咲き乱れる女たちの世界……その向こうに、永遠と曇天が続く灰色の世界がいつも開かれている。そこで出会った者たちのほとんどを幼い記憶は忘れてしまったけれど、一つだけ――まるで烙印として残されたみたいに残るあの子の声がこだまする。

 

 ――おにいちゃん。

 

 舌っ足らずで、甘えたで、どうしようもなくかわいかった、僕の弟のもの。

 

 寂しく微笑して「きみの心を尊重しよう。元気で」と僕の心を放してくれた雪影様を残して、藤の部屋へと向かう。水都様が自分で買ったというのに子どもたちと遊んでばかりいるから、どうせ暇だろうって。部屋へ入ると、文字通り暇を持て余しているらしい藤がごろごろと布団に横になって、この間お客さんからもらったらしい分厚い本を読んでいる。

 

「ふーじー! だらしない、おしとやかに!」
「いいじゃないの。おまえしか見ていないんだから。うるさいなあ」

 

 水都様が偶然入ってきてこんな花宮に仕える女にあるまじき姿を見ようものなら、卒倒……はしないかあ、あの御方もあまり気になさらないところがある。藤は文句をいいながらも、むくりと起き上がって本にしおりをした。

 

 布団を整えてやる。ここは夜になったら水都様が訪れる手はずになっている。しわしわのままじゃいただけない。

 

(ここに、水都様がくる……)

 

 当たり前だが、夜の間使用人は部屋へ戻るか、部屋の前で宿直をするかである。藤はいつも宿直が必要ないといっているので、結局僕は部屋へ戻っている。だから、一度も見たことのない、水都様と藤の夜を、なるべく想像しないようにしていた。

 

 死んでしまいそうなほど心が痛くはならなかった。だって、どうあがいたって男の、使用人の、子どもの僕にとって、水都様は手の届かない存在だ。

 

 このまま時々会えるだけでいい、待つだけでいい。それももうすぐできなくなってしまうのだけど。

 心を落ち着かせて布団を整えていると、ふ、と影がさした。視線の先には、さっき整えた布団に乗り上げる艶やかな着物。

 

「藤ったら――……」
「朔」

 

 またしわが寄るし、着物もぐちゃぐちゃになる! といおうとしたのに、僕の顔に伸びてきた藤の手がそれを遮った。

 

「きれいになったね」

 

 花宮に守られる、宝物のような手のひらが、確かめるように僕の顔をすべる。やさしいそのしぐさに、すぐに動けなくなった。

 

 藤はたまに――僕が出てくと話してから、たまに、こういう悲しそうな顔をするようになった。うぬぼれではない、それは僕と藤とが歩んできた花宮の軌跡から僕だけがひとり消え去るということに、ひどく不安を感じているのだ。花宮の舞台にふたりきりになってしまっていたはずの僕らの中から、今度は僕が藤を残して。

 

「おとなになった?」
「私にとって、おまえはいつまでも花宮に来たときの泣き虫な子どものままだよ」
「なにそれ……」

 

 ――きみは、そうだな、四年後にはこの花宮の人気者たちにひけを取らない美しさを持つようになるよ。

 

 水都様にそういっていただいてから、四年。途方もない時間に思えた時は、穏やかに、でも急流のように過ぎていった。僕の背はおとなの人間ほどではないにしろ、あのときと比べて伸びた、声も低くなった、藤がいうきれいになったというのは当人なのでよくわからないが。

 

 僕だって、藤を置いていきたくないよ。

 

 だけどそうもいかない、特に僕は。それは、藤も知っている。僕と藤はまるで姉弟のように育ってきたが、邪推の得意な支配人たちにとってそうは映らないらしい。必要以上に距離が近いとか、仲が良すぎるとか、とにもかくにもそういう下品な邪推や噂ばかりされている。出ていかないわけにはいかない。

 

「水都様に、出ていくことはお伝えしたの?」
「するわけ……ないじゃん。水都様はお客さんだもん、出ていくことをいっちゃだめだもん」

 

 使用人風情が、そんなこと、いえないよ。

 

 ……約束がなかったから、こうして出ていく前に来てくださっただけで十分だよ。

 

 次に水都様がこの花宮に足を運んでくださったときに、できれば僕がいないことに気づいて、すこしだけ寂しく思ってほしい。それは僕のエゴだ。

 

「水都様はいつだって藤に会いに来ているんだから、言えないよ……」

 

 障子の向こうで、子どもたちの話し声と水都様の笑い声が聞こえる。楽しかったねえ、とか、今度はどこへ行こうか、とか。

 

 藤の手が離れたことで、まるで金縛りから解放されたように体が動き出す。慌てて、布団を整えた。

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