花、盗み。

02

「今度はどうしたの?」
「かんざしをなくしたって喚いていたよ。葵様が外へ持っていっていただけだった、人騒がせなんだからなあ」
「でも、おまえはあの子の世話を焼くのがすきだね。……死んでしまった弟に似ている?」
「……うん」

 

 死んでしまったかどうかは、正直わからない。だけどぼくにとって、幼くかわいかったあの子はもう死んでしまったも同然だ、二度と逢えないのだから。ぼくにはしあわせになる資格なんてない、罪がある。

 

 どうしたって“ひと”の記憶は風化してしまうもの。埃をかぶったポートレイトのようにおぼろけになってしまった、幼い笑顔を思い浮かべる。いつか、あの子の面影すべてがなくなってしまったとしても、胸に深く打たれた釘の痛みと、

 

 ――おにいちゃん、どこいくの?

 

 罪の刻印のようなあの問いかけだけは、心に残る。きっと。

 

「心配だよ、真鶴を置いていってしまうのが」
「だったらここにいればいいのに」
「……ここは、藤と鈴様がやさしい場所に変えてしまったから、だめだよ。僕がいなくなっても、真鶴のことをお願いね」
「真鶴がおまえを心の拠り所にしているのは、おまえが一番わかっているでしょう」
「そうだけど……こんなときまでいじわるだね」

 

 そんなの、わかっているよ。

 真鶴がはじめてここへ来たとき、怯えるこの子がはじめて目を見たのは僕だった。それ以来、まるで雛が親鳥に刷り込まれたみたいに、ぼくを追いかけるようになっていた。

 

 “花宮”を出ることを決めたのは、冬がはじまる前だった。

 

 この場所は、あたたかくて、居心地がいい。だからこそ、十八になってひとりで生きるすべを得た僕は、ここにいるべきじゃない。あの子への罪を償うためには、ここで世話になるべきじゃないんだ。

 

「じゃあ、雪影様の、おまえを身請けしたいという話も断るの?」
「……うん」

 

 雪影様は藤を愛していたから、その身代わりとしてぼくを身請けしようとしたのかもしれない。特例中も特例だし、値段もつけるといったものだから、周りの女たちや世話人を抜いた上層部の管理人は、いたくノリ気だった。

 

「あら、もったいない。……世話人を身請け、だなんて、花宮の歴史に名を刻むのよ」
「なにそれ」
「ふふふ」

 

 そのきれいな微笑みで騙されるのは、2・3回藤を横目で見ただけのお客さんくらいだ。騙されない。

 

(そういえば、そろそろ夕刻が近づいてる……)

 

 慌てて、藤の棚を開く。……葵様の戸棚はだめだが、藤の棚はぼくの棚。もちろん当人もなにも言わない。

 

「ほら、水都様をお迎えするんでしょう? ……かんざし、なんでもいい?」
「いいよ」

 

 さっきまとめ上げて結ったところで終わっていたから、中途半端な髪形のまま、藤はニコニコと僕の手元を見つめている。普通の女のひとだったら滑稽な姿なのに、藤は特別美しいから、これがひとつの髪型のようになってしまう。既に数本の絡まりも見られない髪の毛をいじって、一番簡単な方法で整えてあげると、目の前からぼそりと「手抜き」って言われた。無視した、無関心なやつに言われたくない。

 

 既に花宮をまばゆい夕日が差していた。うっすらと翳りを見せる空を見上げてから、夕刻までもうすこし時間があるか、と、目の前にある藤の髪の毛を見下ろしたちょうどそのときだった――。

 

 それは突然きた。

 

 後ろからぬっと冷たい手が差し込まれて、かすかに首をかすめる。あっと思ったときには既に遅く、両肩を掴む細長く美しい五本の指たち。

 

「……わっ」

 

 というなんとも素っ頓狂な自分の声と共に、後ろに引き寄せられる。バランスを崩れたからだはそのまま、後ろで待ち構えていたらしい悠然とした胸にぽすん、と吸い込まれた。川を流れる清澄な水のような、しっとりとしたその指先は、数ヶ月に一度いたずらに僕と藤を訪れるそれそのもの。振り向きざまにそのからだを押したのは、その御方が僕を陥れようと今日の今日までちょっとした子どものような嘘をついていたことに気づいたからで。

 

「みーなーとーさーまー!?」
「やあ、来ちゃったよ朔」
「来ちゃったじゃないですよ! ……夕刻においでだという話だったんじゃないですか!」

 

 ほら、まだ全然明るい!といわんばかりに、開け放たれた障子の外を指さしながら文句垂れる。しかも来るってことすら今日知らされていたのだから、なんてたちが悪いのだろう。思った通り、見上げた先で視線を絡ませた水都様は、切れ目の双眸をくしゃっと歪めて、いたずら成功といわんばかりに破顔した。

 

「藤に君には内緒にしておいで、と伝えておいたんだ。だから、藤も仲間だよ」
「ふーじー!」
「藤は水都様に命令されて仕方なく……」
「しおらしくしない、どうせ楽しんでたんでしょう。もー!」

 

 大のおとながふたりしてひどいからかいようである。

 

「あとね、今日から三日分藤を買ったからね」
「……三日!?」
「いやあ。お店一番人気の子は高いのなんのって」

 

 飄々と「散財したなあ」なんて言ってのけているけれど、実際色街一のこの花宮の、人気一の藤を三日分買うってこの人の財力どうなってるんだ……じゃなくて!

 

 普通、色街が華やぐのは夕刻から夜中にかけて、である。獣人の男たちは夜に来て、人間の女のひとと一夜を明かし、朝露が下りるのと共に去っていくのだ。だって色街は、焚きしえめたお香も、着飾った美麗な服も、繰り出される会話も、すべてが付属品だ。すべて目的は、夜中に行われるものであって。

 

 昼に色街にいる輩なんてほとんどいないも同然だし、いたとしたら仕事どうなってんだという話だし。

 

(意味わからない意味わからない意味わからない!)

 

 ほんとうに、数か月ぶりに会うこの方の言動は、理解に苦しむ。この御方が来ると、いつもよりもくるくると頭を回転させなきゃならないことが多くて、非日常みたいで居心地が悪くなる。

 

「拗ねてる?」
「拗ねてません……」
「拗ねてるねえ。おまえをびっくりさせたかったからだよ、悪かったね。お詫びに近くの甘味処で団子を買ってきてあげよう。さくらとよもぎで、三色の」

 

 冷えた指先が僕の頭をくしゃくしゃ撫でた。いつも水都様が買ってくるお団子は、美味しい。でも僕は三色よりも、中にぎっしりとあんこが入ったものがすきだ。それを知っている水都様が、いじわるしないであんこを二本買ってきてくれたら、許してあげよう。そう思って、こくりと頷いた。

 

 水都様が「やっぱりおまえの大好きなあんこを買ってやろう」とやさしく笑った。

 

 数か月に一度唐突に訪れる緩やかなこの御方との会話に、拗ねるようにふいっとそっぽを向きながらも、隠しようのないうれしさはじんわりとからだを広がっていく。

 

 僕のすべての世界は、このちっぽけな色街の一角――花宮の中。それは、人間よりも強い獣人の存在によって支配を許した世界の、ほんの片隅なのかもしれない。外に幾人もの恋人をつくっているだろう支配者”獣人“たち訪れを待つ“ひと”は、この世界ではとてもはかなく弱い。女たちはただ花となって、自分を買ってくれる獣人のたよりを待ち焦がれる。

 

 ――うちの子になって、……。

 

 水都様は、世界を総べる御方。藤は――僕は、戯れに花宮に足を運ぶ水都様を待っている。

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