王様と秘密の箱庭。

04

 春の旅は、花との出会いが多い。そんなわけですっかり話し込んでしまったレスターと別れて、(遅くなっちゃったな)と思いながら夕刻の迫った城下町を歩いていると、街が何やらいつもよりも一層騒がしくなっていた。朝一で届いた果物市場は、すでに昼下がりをピークとして軒並み閉まり始める頃合いだというのに、おかしい。キリの歩く大通りすぐ先で、小さな人だかりができている。

 

 通りがかりの観光中っぽい家族も、店を開いていた商人も一緒になって、何事かと押し合いへし合いしながら、人の向こうを見つめていた。

 

 商人の子どもたちだろうか……二、三人の小さな子どもが、束になって駆けっこするように競い合いながらキリの横を鮮やかに抜き去る。

 

「ほら、早く走るぞ! 警備隊見るんだろ! しかも、クラウディア隊長が城下町の視察に来ているんだぞ!」

 

 期待と興奮をはらんだ、弾んだ声。即座に状況を理解するやいなや、キリは真ん中の中心部分に列になっている人の群れを避け、目立たないよう大通りの端を歩きはじめた。クラウディアはなぜかキリが城下町へ出ることをあまりよく思っていないらしく、見つかりたくないのが正直なところである。こんな人だかりで見つかるわけない、と考えたいところだが、これまでキリは何度かクラウディアと城下町ですれ違うことがあり、後日中庭で「あの日城下町にいたな」と突っ込まれていた。常に同じような人だかりができているにも関わらず、である。

 

(みんなから惚れ惚れされてるクラウディア様、ちょっと見たいけど)

 

「待ってよー、お兄ちゃん! ……クラウディア隊長、見れるかなあ」

「おんぶするから大丈夫。ほら、早く!」

 

 微笑ましいやりとりが風のようにあっという間に耳の奥へ過ぎていく間に、観光客も商人も住人も関係なく、噂を聞きつけたらしい人々がどこからともなく現れる。おかげでキリは全く目立たないまま、人まみれの城下町を一本横道に逸れて、裏路地の方へと歩みを進めることができた。こうなれば、まずクラウディアの目に留まることはないだろう。

 

「あら、クラウディア隊長と騎兵隊だけみたいね」

「陛下かエドアルド皇子の護衛かしら」

「エドアルド皇子であってほしいわ! ただでさえあまり表立っておいでにならないから、御目に掛かることが少ないんですもの」

 

 年頃の町娘から第二皇子のエドアルドが黄色い声や熱っぽい視線が注がれているのは、端正な容姿に加え、いまだに後宮を持っていないところにあるみたい。クラウディアやエドアルドを噂するのに比べ、リュシアンはほとんど話題にも上らない。キリは静かに苦笑しながらも(エドアルド様と同じくらい、あんなに綺麗なお方なのに)とこっそり心のうちで反論してみる。

 

 路地裏をすこし入ってから、大通りをそうっと見上げる。当然端っこにいるキリには身長が足りないせいで、高揚する人々の頭しか見えなかった。奥の方からクラウディアを呼ぶ女性の華やかな声が聞こえてきて、ああ、近くにいると思った刹那、ものすごい勢いで後ろへ引っ張られて、同時に口を塞がれる。

 

「……――っ!」

 

 しまった、裏路地。と、キリの心臓が跳ねた。

 大通りを一本逸れると、たまに物騒な輩がいることは折り込み済みだ。が、クラウディアから逃げることを最前線で考えており、すっぽりとその思考が頭から抜けてしまっていた。

 

 しかし、次の瞬間――強い力とともに大きな体躯に包まれたと同時に、盗人や狼藉を働く輩とも思えない「ふふ」という小さな笑い声。からだからすぐ力が抜けた。無抵抗になったキリのからだを引きずるようにして、初夏には似合わないやや目立たない外套をまとったそれが、細道の奥へと連れ去る。

 

(まったくこのひとは……)

 

 ヒヤッとして一瞬硬くなりかけたからだは、もはやされるがまま。

 

 なにせ、こうしてびっくりさせられるのは、一度や二度ではない。見上げると、目元まですっぽりと覆われたフードの隙間から、狼藉者には似つかない紺碧の澄んだ双眸がのぞいていた。

 

「いやあ、キリはびっくりしないねえ」

「びっくりしましたとも……でも、それで大声出したら、一発で大騒ぎですよ」

「私は大丈夫だよ。石を投げられるくらいかな。でもクロードだったら、サイン求められちゃうかもだけど」

 

 国を統べる王様という自覚はあるのかというほど、あっけらかんとした能天気な声。

 リュシアンは後ろから羽交い締めにしていたキリの、小さな右手以外を離してゆっくりと歩き始める。中庭の中でもかぐわしい香りが放たれたバラ園エリアの世話のせいもあって小さな傷があちこちについているキリの手よりも、なめらかで美しいそれ。キリは子ども扱いがいやだと思ったけれど、手を繋いでいてくれるのはうれしくて、結局そのままにした。

 

「どこいくんですか? ていうか、クラウディア様は良いんですか?」

「大丈夫! クロードは我が国民がうれしくも足止めしてくれているからね。彼も政務を忘れて、今は楽しいひと時を過ごせることだろうよ」

 

 そうかな。それは微妙だと、キリは思うけれど。

 クラウディアは目立ちたがりでも、人々から惜しみなく注がれる羨望の眼差しが得意なわけでもない。リュシアンはそれに気づいているはずなのに、知らないふりをして、嬉しいねえ羨ましいねえと歌うように口ずさむ。

 

「さてさて、私はキリと遊びに行こう」

「子どもじゃないんですから……」

「この間庭で約束しただろう。先日その仕事が片付いたからね、今日はもう元へ戻らなくなるくらいぐいーっと羽を伸ばすとするんだ」

「あ、ほら。そうしていると、顔がフードから出てしまいます! 街であなたの顔を知らない人はいないんですから……」

 

 それがクラウディアに対するそれのような、純粋な賛美の眼差しかといわれれば微妙ではあるのだが。石を投げられるという言葉へ、微妙に否定は出来ない。

 

「それで、陛下。今日はどこへ遊びに?」

 

 振り返ったリュシアンが、純真無垢な子どもみたいな笑みを浮かべる。

 

「酒場へ行こう。宴でわいわい騒ぎたい気分なんだ」

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