王様と秘密の箱庭。

03

 お使いさんからもらった短い手紙を片手に城下町を歩いていたら、各地方から城下町へ遊びにきた観光客を狙った出店の通りが見えてきた。無論キリにはお土産を買う相手も特にいなかったため、人だかりのできているいくつもの垣根を分けながら素通りしたけれど、通りぎわに横目で見てみると、左右に開かれた出店には、色とりどりの宝石や服、素材、アクセサリー、それにお土産のお菓子たち。いつきても人だかりの絶えない通りだ。ついこの間販売されたというあのクラウディアモチーフのシャツはすでに完売しているようであった。

 

(今度クラウディア様とお会いしたら、伝えなきゃ)

 

 当の本人にしてみれば、シャツの商売状況など良いのだろうが、なんとなくキリは城下町へ来ると、クラウディアのお土産をチェックしてしまうのであった。大概、どのクラウディアも精悍さやクールさの際立つ面持ちで、キリにとっては本物のクラウディアとあまり印象が一致しない(キリの見かけるクラウディアは、いつもお母さんのようにリュシアンを叱っているのだから)。

 

 国の定めた年中行事は季節ごとに幾つか存在するけれど、特に最近大きなイベントがあるわけではない。それでも、400年以上も長きにわたって国を統べる王国とその城下町は、15年前の大きな戦争を最後に国が安定して栄えていることも相まって、穏やかな活気に満ちている。歴史を彩る王室をより一層きらめかせ、由緒正しいこの都会を活気づかせているのは、商売上手な城下町の商人たち。おかげでこのあたりは、ここ数年で春夏秋冬明るい旅人や観光客であふれるようになっていた。

 

 国中の商いが活発になればなるほど、紙幣が巡って、世の中が豊かになる。

 

 城下町の花屋で育ち、幼い頃から人々の流れを見つつ、ひょんなとこから王宮へ拾われた城育ちのキリにとって、それは揺らぐことのない真実だった。

 

 チリンという、風鈴のなるような涼しい音とともにキリが通り抜けた喫茶店は、城下町のなかでも大きな通りを一本脇道に逸れた通りに面した、比較的静かなカフェ。よくよく見れば目新しいアンティークに囲まれた十席ほどのその、奥のテラスにいつも約束の彼はいる。エプロン姿の木のように細い老人に「コーヒーを一つ」と伝えて、見知った背中を追った。

 

「や、キリ」

「いきなり手紙がくるから、びっくりした。レスターはいつも急に便りをくれるから、びっくりするよ」

 

 テラスの客は、キリとレスターだけである。つる性の草がカーテンのようにテラスを覆っているおかげで、時折目に入ってくる木漏れ日以外は、夏の暑さも飛んでいく涼しさ。足元に添えられたり、手すりに引っ掛けられたりしている大小いくつもの鉢植えには、無造作に植えられた草花が美しさを争うようにしてか、お互い協調してか、立派に花を咲かせている。きちんと整備されているわけではなく、なんとなく大雑把なのに心惹かれる。個性的なアンティークとバランスの良い草花で彩られたカフェは、出会ったときにレスターが教えてくれた。旅人のレスターは、こういうセンスの良い店を見つけるのが上手なのだろう。

 

 キリはうずうずする心を抑えて、レスターの目の前の椅子へ腰掛ける。

 

 そばかすのせいで実年齢よりも幼く見える顔立ちが、なにやら得意げにふふんと鼻を鳴らす。このあたりではあまり見ない、灰色の瞳は、今日も爛々と輝いていた。

 

「そりゃあ、そうだよ。だって、手紙を書くのはこの城下町へついてからだからね」

 

 季節の巡りを気にすることなく旅をするレスターは、こんな夏だというのにすこし分厚いローブをまとっている。ローブはこの間会ってから新調したのか、まだ手触りのよさそうな感じを残しつつも、すこしだけ薄手のものに変わっていた。

 

「久しぶりだね、元気にやってた?」

「それはおれのせりふ。それで、えーっと、旅の疲れは?」

「疲れはすっかり。おとといこちらに到着してからは、だいぶ長い時間眠り続けたから、今は気分が良いんだ」

 

 レスターと出会って三年。会えるのは、せいぜい二~三回月が変わるのに対して、一度くらい。各地方の花を巡る旅をしているレスターは、時折こうして国の中央にある城下町へと、疲れを癒しに足を運ぶのだった。

 

「ああ、本当にキリは顔が正直だね。花の話が聞きたくてたまらないって顔してる」

「へ?」

 

 いつの間にやら運ばれてきたコーヒーの良いかおり。しかしキリにとって、コーヒーのそれはレスターから紡がれるお話の添え物にすぎない。まるで催促するみたいにレスターを見つめすぎていたからか、ふふっと揶揄われる。子どもみたいだったかなと、キリは恥ずかしくなってちょっと視線を斜め下へずらした。

 

「キリのためなら、僕はなんだって話すよ」

「本当!?」

「ああ、本当」

「できたら旅のこと、順番に聞かせてほしい。花のことはもちろん聞きたいんだけど、レスターの話は、全部が物語みたいで大好きだから」

 

 地図には乗っていなかった青白い洞窟の果てまで、視界いっぱい緑が生い茂る森の中を水音のするほうへ、そしてときには集落や地域人々が集まる公園へ、歩いた先の光景を、レスターはまるで一冊のおとぎ話のように軽快なリズムで聞かせてくれる。

 

 そういうとき、キリはそっと目をつむる。湿っぽい洞窟の薄暗さや、雨に濡れた苔のにおいがしてきて、まるでそこに居合わせたような気分になるのであった。

 

 何年も前に「ほら吹きだと思うかい?」と困ったように聞いたレスターへ、キリは首をぶんぶんと横に振った。

「ご期待に添えるかな。でも、今回は珍しい花をたくさん見つけた。春の旅はとにかくどの花も色とりどりに咲いていたよ。……なかでもとても美しかったのは、満月を背にして咲いた一輪の花だ。満月が眩しくて、その花びらが金色だったのかそうでないのかは判断がつかなかったんだけどね」

 

「金色の花?」

「今となってはわからないね。星と月の綺麗な夜半だったから、そう見えただけかもしれない。その花との出会いはね――」

 

 結局キリは、レスターの話に耳を傾けることに夢中になるのだ。すこし冷めてしまったコーヒーを、エプロンの老人がさりげなく淹れ直してくれるのに気づいて、慌てて口をつける。深いコーヒーの味と、夏にはすこし熱い感覚が、舌へすこしふれた。

 レスターも同じようにコーヒーに口をつける。

 

「……春の旅は出会いが多くて語りきれないな。キリは、まだ退屈していない?」

「するわけないよ。こんなにたくさんの話を一気に聞いて、逆にちょっともったいないくらい」

 

 レスターが「素直だなあ」と照れ笑いする。

 キリにとっては何もかもが面白くてたまらないのだから、仕方ない。

 

「でも、面白く聞いてくれたなら光栄だよ。この城下町では色んな子にこの話をするけども、きみが夢中になって聞いてくれるのは一番嬉しいからね」

「うん? どうして」

「当然。僕は今、スカウトマンだからね」レスターが流れるように続ける。「それで、ここ数ヶ月で、考えは固まったか、どうだろう? スカウトを受ける気分になった?」と。

 

 キリは(これも素直の所以だろう)それまでの花咲くような笑みをやや陰らせて、気まずそうにレスターから目線をそらした。えーっと、という歯切れの悪いことばつきで。

 

(そうだ、おれ、スカウトされていたんだった)

 

 冬の終わりに旅立つ前、レスターはいつもと同じ調子・表情で「一緒に花のある地域を巡って旅をしよう」と持ちかけた。はぐらかそうとしたキリに今度は真面目な目つきで「本気だよ」と釘を刺した。あれからあっという間に春が終わり、また季節が移ろっている。

 

「決心はつかない?」

「いや……とても、魅力的だよ。だってレスターは花に詳しいし、おれの知らない世界を知っている。知らない花と出会えるのはとてもすごいし、レスターと同じ世界を見てみたいと思う。それは、本当なんだ」

「じゃあ、庭師の暮らしが捨てがたい?」

 

 ――捨てがたくなんてない。捨ててしまいたい。色んなものが潮時で、賞味期限切れで、捨てなければならない。そう頭では理解はしているのだ。だって、今のキリにとってここへ置いておくものなどないのだから。

 

「王室に仕える庭師は、僕はなったことがないからわからないけれど、花好きのキリならきっといつか外の世界を見てみたいって思う時がくるよ。まだ若いんだから、一度旅をして戻っても良いんだし」

「うん……そうだね」

「同僚が恋しい?」

 

 同僚なんていないのに。「そんなことはないんだけど、育てた花たちとも別れがたくて」そんなふうにして、キリは曖昧な真実を伝えていることにすこしの申し訳なさを感じつつ、やや視線をそらす。王室との不思議な関係は人に説明するのが非常に難しく、王室に仕えるごく一般的な庭師であるというぼんやりとした輪郭だけを伝えていた。

 

 レスターとは同じ花好きなのもあって波長が合う。だからこそ一緒に旅をしたら楽しいだろうと思う。一昔前の終戦直後は、旅と聞けば命がけだったが、平穏な暮らしが流れる最近では、旅人などそう珍しくもない。まして、キリにはすでに家族がいないのだから、しがらみはない。

 

「浮かない顔しないでよ」

「ごめん……本当に、行きたいとは思っているんだ」

「そうだね。……あーあ、今回もスカウト失敗かあ。次は、キリがもっと旅に出たくなるような話を持ってこなきゃなあ」

 

 レスターの明るい声が、真実を話せないキリの罪悪感をすこしだけ和らげる。レスターがくれる優しさはひどく嬉しく、だからこそ、いつまでもウジウジしてあの居場所を離れられない自分が情けなかった。

 

「ごめん、キリは気にしないで。僕がキリと旅をしてみたいっていうワガママなんだからね」

 

 話の続きをしようか。

 

 レスターの声にコクリとうなずいて、キリはまた、レスターから紡がれる物語のような旅の話に耳を澄ませた。

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