王様と秘密の箱庭。

02

 とんとん、と、なにかに揺られているようなやわらかい振動がからだを包んでいる。生まれたときから貧しいキリはゆりかごに乗っていた記憶が一切ないけれど、こんな風なのかもしれないと、茫洋とした頭で考えた。

 

 目を閉じているというのに、柔らかい初夏の日差しがまぶたの奥まで入ってくるみたいだ。まぶしい、気持ち良い。でもすこし暑い。心地よい振動を感じながら、まどろみから醒めるようにそっと目を開く。

 

 空洞になった中庭へきらきらと差し込む陽の光と、時折それを遮る大きな影。さらさらと長く垂れた金色の髪の毛が、キリの頬をくすぐった。

 

「ああ、気づいた? おはよう」

 

 蜂が吸った花の蜜に似た、あまい花のかおりがする。おはよう、と同時に、キリの額に小さく音を立てて、かたちの良いくちびるが触れた。

 

「……うわあ! 陛下! おはようございます!」

「あはは、面白い反応」

「え、なんっ……と、とりあえず……下ろしてください」

 

 うつらうつらとしていた意識が、一気に覚醒する。

 

 いつものように、春の頃よりも多めに用意した水を花たちにやっていたら、いつのまにやら眠っていたらしい。そこまではキリにとって良くあることだからまだ想定内だった。しかし、起きたら現国王でありこの中庭の主であるリュシアンが、その自分を横抱きにしているのだから、パニックにもなる。

 

 目があうと、飴のように丸くきらきらと光る双眸が、やわらかく歪められる。

 

「……ていうか、なんでまたこんな状況に……?」

「また、きみ、中庭で寝転がりながら花の観察していたでしょう。そのまま眠っていたから涼しい日陰へ運ぼうと思ってね。だめだよこの時期は、そろそろ夏の暑さにやられる季節だ」

 

 リュシアンがキリの頬をさする。土がついていたみたいだ。キリはされるがままになりつつも、ずるずるとリュシアンの腕から降りていった。

 

「相変わらずキリはとても軽いね。花を食べているみたいだ」

「いいから、おろしてくださいって……花を、むしゃむしゃと……食べるわけないです!」

 

 時折一緒に食事をするから、花なんて食べていないことを知っているはずなのに、リュシアンはいつもそうしてキリをからからかう。そうして、いたずらっぽく笑う。

 

 ようやく地面に降ろされると、またリュシアンはふらふらと花たちに誘われるように中庭の木々の方へ歩いていく。キリはおぼつかない足取りで、いつもそうしているように自然とリュシアンの後を追った。

 

 まだ夏の季節が始まったばかりだというのに、日増しに強さを増す陽の光。これからのうだるような暑さが今からひどく億劫だ。城の中庭はいくらか涼しい風を通しているというのに、日向にいたらすぐにでもからだに熱がこもるだろう。たしかに、迂闊に眠るのは危険だったかもしれないとキリはそっと反省した。

 

「陛下」

「うん?」

 

 そこかしこに花をぎゅうぎゅうに植えていったからか、その花がさわやかな風とたっぷりの日差しに誘われてすくすくと伸びているからか、小さな中庭は通路がややせまい。雑多な印象になってしまったことを詫びたこともあったが、リュシアンは「気にしないように。ここの庭師はキリなのだからね」と朗らかに笑うだけだ。

 

「いらしたなら、起こしてください」

「ふふ。ここは私の庭だから、いつきても良いんだよ。私が好き勝手する」

「……庭師はおれですよ」

「草花が生えすぎて“雑多”になっても、ね。私はそうは思わないけれど。いろんな角度から、いろんな見え方がするからとても綺麗だ」

 

 やりとりを覚えてくれていることに胸がいっぱいになって、キリは何もいえなくなる。

 こうやって記憶力が良いから、本当の陛下はきっと、たくさんの女の人にもてるのだ。と、キリは不意に思う。

 

(おれの好きなもの、おれと約束したこと、おれのお願いしたこと、全部、覚えている)

 

 あったかくなるを通りこして、熱くなっていく心を、背を向けたリュシアンに気づかれないようにぎゅうっとおさめた。

 

 王族らしいすらりとした背丈。しかし、香を焚き染めたやや華美で着痩せする印象の装束の下は、眠ったキリのからだを難なく運べるほどの程よい筋肉に覆われているのだろう。長く垂らした王族特有の金色の髪は、下の方でゆるく一つにまとめられている。なめらかな肌に、透き通るような紺碧の双眸。いつみても、リュシアンは王様という肩書きにふさわしく、美しい(ところどころ、指遊びが原因で土がついてしまっている以外は)。

 

 ――私の庭だから。

 

 いつの間にかぼんやりと見とれていたことに気づき、キリは慌てて視線をそらす。と、同時に、ふと疑問が湧いた。

 

 とはいえ……そんなことを考えて、キリは土のついた安い腕時計に視線を落とした。昼食明け、公務に来客に会議に、きっといつもなら執務室の椅子に縛りつけられている頃の時間帯である。お忙しいのだろう、リュシアンは最近、これまでに輪をかけて姿を見せる頻度がすくなくなっていっていた。

 

 それに、キリは、リュシアンが最近忙しいと、先に聞いていたのだ。

 

「陛下、公務は忙しくないのでしょうか?」

「うん、そうだね。やや落ち着いたから、久しぶりにキリの顔が見たくてね」

「落ち着いた……ですか?」

 

 それは、おかしい。

 

「クラウディアさまが、陛下は明日や明後日にかけて、お忙しくなるとおっしゃって……たしかご来客の方の……わぶっ」

 

 ぼうっとしたまま歩いていたからか、リュシアンが立ち止まったことに気づかずに、その広い背中に突進してしまう。やわらかく高貴な装束に顔が真正面からぶつかってしまった。

 

「すみま――……」

 

 慌てて離れようとしたら、後ろから手を引っ張られて、そのまま振り返りざまのリュシアンの胸のなかへ勢いよくダイブしてしまう。ふわりと、中庭の草花たちとは違う、リュシアンの甘いにおいが鼻をかすめた。何が起こったのかわからず頭にクエスチョンマークを浮かべているキリにわざと体重をかけるようにしながら、リュシアンが子どもみたいな情けない声で「ひどい」と愚痴っぽくこぼす。

 

「陛下……え、えーっと、ひどい……とは?」

「クロード、私を忙しくさせておいて自分はキリと会っていたなんてひどすぎる。やっぱりあいつは横暴だ……遊び心もないし無骨だし、人使い荒いし一緒にいても楽しくない。キリに会うひまもくれなかった……それなのに、あいつはおまえと会ってたなんて」

「あ、え……えぇ!? 違います、違います。たまたま公務の隙間にお越しくださったみたいですよ、大量の書類を抱えられていましたから」

「もういやだ。今日はもう、何もしたくなくなった……」

 

 こうしてぐずぐずクラウディアの悪口をいっても、いやだとごねても、この方は結局公務へお戻りになる。わかっているけれど、こうして我が儘をいうリュシアンがすこしかわいく見えてしまって、キリは抱きついてくる(とはいえ、恵まれた体格のリュシアンを前にすれば、傍目にはキリがすっぽり覆われているようにしかならないのだが)からだをあやすように、ポンポンと背中を撫でた。

 

「花たちは息災だろうかとか、キリは寂しくなっていないだろうかとか、とても気がかりだったのだから、クロードは少し休みをくれても良いのに……」

「花はお守りしますし、おれも寂しくないですよ! ここの中庭を守るのが、おれの役目ですから」

「私は寂しかった。というか、癒しがないとやる気が出ないんだよ」

「ああ、そうですね。花はとても、癒されますから」

「…………まあ、そうだね」

「あ、そうだ陛下! 見ていただきたいものがあります」

 

 心なしかすこし不服そうなリュシアンの胸を押して、装束を傷つけないように袖を引く。

 

「背が伸びない子だったみたいで、陽の光が届くか心配だったのですが、小さな花が咲きました。えーっと、見えますか? 膝を突かれると、土がついてしまわれるので……」

「かまわないよ、ここは私の庭だからね」

 

 そういって、リュシアンがゆっくりと膝をつく。軽装にしているとはいえども、キラキラと眩しい装束が地面についてしまうのもかまわずに。庭師という職業柄や暑い夏の日ということもあり、涼しげな格好のキリは、軽やかにリュシアンの周りを見つつ、土があまりにもかぶりすぎてないか注意深く見つめた。

 

「――さすがだね。キリの手にかかれば、どんな植物だって花を咲かせる」

「おれは庭師ですよ。それに、花屋の子ですから」

 

 リュシアンがじっと見下ろす先には、小さく青と白の花を咲かせる草花。苗をこしらえてくださったのはリュシアンだった。リュシアンはたまにこの中庭に植えるための花を、苗や種の形でキリの元へ持ってくる。もらっただの、下町で偶然買っただのという草花は、だいたいが花の名前はわからない。今回もらい受けた小さな苗は、まるで初々しい少女のように可憐な小さな花びらが6つ、重なるようにして開いている。

 

「まだ蕾のものもありますから、もうすこし咲いてくれると思いますよ」

「ありがとう。また、私の中庭に咲く花が増えたよ。きれいだね」

「一緒に植えてあるこの子が栄養をすべて吸い取ってしまったらどうしようと思っていたんです。この子は背が背が高いですから、陽の光も遮断してしまって影になってしまいそうですし。……でも、小さいですが強い花でしたよ」

 

 一緒に植えたこの花にも感謝をしなければならないなあ。そんな風に思いながら、背の高い立派な黄色い花の葉を摘んでいたら、不意に下から視線を感じた。いつの間にか、花を見下ろしていたはずのリュシアンが、キリをニコニコと見上げている。

 

「えっと、なんですか?」

「いや、キリは花が好きだね、と思って。とても楽しそうに話すから」

「おれは、庭師ですよ。それに――」

 

 アンリ姉さんの弟だから。

 

 そういおうとしたけれど、リュシアンの穏やかな笑顔が翳るのはいやだったから、すんでのところで言葉を飲み込んだ。うしろにどんな言葉を続けようか――迷っていたら、何度も聞いたことのある、貴族らしく礼節をわきまえつつもやや荒っぽく大股な足の音。

 

 どうしてか、ぱっちりと、目の前のリュシアンと目が合った。

 

 気づいているみたい。リュシアンは目を細めて、いたずらがバレた子どものようににこりと笑う(実際やっていること政務の放棄だから、いたずらどころの騒ぎではないのだけれど)。

 

「ああ、どうしよう。きっとバレてしまった。ねえ、キリ」

「……あの、おれを共犯者みたいにするのやめてください」

「その通りですよ。どこへ逃げおおせたかと思ったら、やはりここでしたか」

 

 茂った草木の向こうに、きらびやかな気品のある装束をまとったリュシアンとはまた違う、黒を基調とした軍服の男がひとり、つっけんどんな感じで仁王立ちになっている。キリは素早く男の手元をチェックしたけれど、今日はまだ、握りこぶしにはなっていない。――よって、怒り心頭というわけではなさそうだった。

 

「やあ、早いねクロード」

「あなたが逃げるところ、このあたりしかありませんからね」

「どうだろう、キリ。中庭をもう三つほどお世話してみる気はないかい? 東西南北きっちりわけるんだ」

「あなたの隠れ家を増やしてどうするんですか。そんな許可はおりませんよ」

 

 城下町で売っているクラウディアのお顔は思慮深そうに慎ましやかで、どこか人間っぽさが損なわれているような気がする。キリは、リュシアンを叱る表情豊かなクラウディアの眉間の皺を見るたびに、なんとなくそう思う。王国を統べるリュシアン相手にお説教をできる人物を、キリはクラウディアの他には知らない。

 

 よくよく見てみるとクラウディアにもやや疲れたような表情が見えるから、リュシアンが最近お忙しかったのは本当なのだろう。基本的に二人がオーバーワークであることをキリは知っている。

 

「残りの政務、本日片付けてもらわねば困ります」

「いやだよ。印鑑を押すだけの仕事だから、大臣たちにやらせれば良い」

「あなたの手でないと困ります。――いっそ手だけお持ちいただければあとはいらないんですけどね。……愚痴なら執務室でお伺いしますので、どうぞお戻りを」

「冷たいね、クロードは。顔が皺だらけになるまで早そうだ」

 

 深い皺の元凶は、ケロリと笑って中庭を立ち上がる。すこし土で擦れたのだろう、汚れた裾を気にすることもないまま、ひょいひょいと中庭を出た。キリもそのだらんとした背中を追うようにして、クラウディアの元へ向かう。

 

 中庭で草花を見ながら立ちつ座りつ会話している時には特に感じないのだが、改めてクラウディアとリュシアンと並んでみると、整った装束に気品も手伝ってすらりと美しいふたりと比べ、ところどころ土のついた薄い庭師の服をまとっただけのキリは、ひどく不釣り合いに見える。もっとも、キリ以外が気にする素振りはないが。

 

「いつもこのおサボり王がすまない」

 

 クラウディアがこんな口を聞いても首が飛ばないのは、この二人とリュシアンの弟君である第二皇子エドアルドが、兄弟のように育ったからだと聞いている(もっとも、幼いキリが初めてお二人とお会いした際はもうこのような間柄だったから、キリにとって違和感は何一つとしてない)。

 

「いえ、いえ。クラウディア様も、この間すれ違って以来ですね。お二人ともお忙しそうです。そういえば、先日城下町へ行った際に、クラウディア様の新作お土産が大量に入荷していましたよ。夏物シャツとか、おまんじゅうとか」

「……まんじゅうは、夏とは関係ないと思うけどな」

「いいなあ、クロードは。城下町中でヒーローだからなあ、私もおまんじゅうになりたい。キリは買ったの?」

 

 早速、楽しそうなリュシアンの横槍が入った。

 

「あ、いえ。すみません、おれは買ってないんですけど」

「そっかそっか。いいんだよ。買ってもらえなくて残念だったねクロード」

「謝らなくてもいいぞ。そしてあなたは、俺が買ってほしいみたいな会話の運びにするのをと、得意げになるのやめろ」

 

 クラウディアが変な顔をする。眉間の皺は、すこし薄くなった。

 

 リュシアンはいわずもがな、国王の住まう城内の守人として指揮官を務めるクラウディアもまた、本来キリのような一介の庭師がおいそれと関われるようなお方ではない。一度珍しい花の入荷を見に城下町まで出れば、クラウディアの国民的な人気が凄まじいことはいたるところで見て取れる。クラウディアをモチーフにしたお土産やファッションや舞台が大流行しているのだが、本人はいたって気にする様子もなく、クールであった。そんなところもまた、熱狂的なファンを抱える所以なのだが。

 

(実はこんな表情豊かって知ったら、ますます女性人気が急上昇するだろうなあ)

 

「で、遊びは終わりましたか」

「終わってないっていったら、逃がしてくれる?」

「良いですが、明日・明後日に泣くのは陛下ですよ。わかったら、とっとと戻りますよ」

「はあい」

「仕事の邪魔をした。続けると良い」

 

 クラウディアはそっけないほど短くそういって(決してキリに怒っているわけでないことは、付き合いが長いので承知である)、大股で中庭を背にした。キリも短く返事を返す。

 

 国を治めるリュシアンの休憩時間は、とても短い。そんな貴重な休憩時間だというのに、執務室からやや遠い北の離れまで、時折こうしてふらりとやってくる。リュシアンへ伝えたことなど一度もないが、キリはこの瞬間がひどくすきだ。かつてリュシアンが愛する女性へそうしたように、キリと愛する女性――キリの姉とこの箱庭とを大切にしてくれると感じられるのだ。

 

「ああ、そうだ。キリ」

 

 振り返ったリュシアンがちょいちょいと手招きをする。なにかと思って近づくと、ぎゅっと腕を引かれて、近づくことでかおった甘い匂いとともに、小さな耳打ち。たったそれだけで、キリの心臓が早鐘を打ったことなどおかまいなしに。

 

「この仕事が終わったら、休暇を使ってこっそり城下町へ出かけよう。私のおまんじゅうが本当にないか、チェックしないとだからね」

 

 リュシアンのおまんじゅうも、シャツも、リュシアンモチーフの舞台も、何一つないことを、リュシアンは知っているのに。そんなことなど歯牙にも掛けないとぼけた表情。小さくこくりと頷くと、リュシアンは満足したように、細長い指先で遊ぶようにして、キリのすこし癖のかかった髪の毛を撫でた。

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