王様と秘密の箱庭。

01

 城下町に初花が咲きはじめる季節だった。新しい季節を祝福するかのように、すこし冬の顔を残した涼しげな風が、大きな城まわりをすーすーと通っている。そんなうららかな春の日だというのに、正装の男はまるで人気のない城内を歩きながら、ひとり冷や汗をかいていた。

 

 かつん、かつん、と、この晴れの日のために新調した靴が、あたりの静謐な城内に響き渡る。そう、城内に――。

 

(ああ、これは完全に……迷った)

 

 王宮は城下町から見た壮観な様子と違いなく、まるで迷路のように奥深いと先輩兵士たちがいっていたことは知っている。けれどまさか、晴れて兵士として招集されることになったその日に見事に迷いこむとは。

 

 シャンデリアやら絨毯やら華美な装飾がふんだんにほどこされている、という想像とは少し異なり、どちらかというと荘厳な印象のシンプルに整頓された石造りの宮廷内で、最初は何名かの貴族らしき男たちとときたますれ違ってはいたというのに、ここ数刻ではだれともすれ違わない。どうやら歩くにつれて相当奥まった場所まできてしまっているようだった。

 

 新米兵士は心底訝しげな目で周囲に見られているうちに、わけを話して場所を聞けばよかったと後悔しはじめていた。

 こんなばかばかしい失態で、城下町周りの警備に舞い戻りなんて冗談でも笑えない。

 

 王国に仕える兵士にとって最も名誉であるこの宮廷兵士になるために、男は今日この日まで肉体的な鍛錬と教養を詰め込んできたのだから。折しも絶対王政を敷かれていた国の風向きは、弱まりはじめ、男のような平民の出でも努力とセンス次第で宮廷兵士を目指せる時代になったころだった。その背景には、政治をほったらかしにして色ごとや賭けごとに耽る第一皇子の現国王と、勤勉で国民からの評判も高いというのに母親の血筋と生まれた順番により即位の叶わなかった弟――第二皇子の存在があったことは周知の事実である。

 

 愚帝と賢弟。そんなふうに、城下町の酒場ではよく取りざたされていた。そんなわけで、何事も血統ではなく実力で用意された椅子に座る権利をもぎ取れ、と、ここ数年はそんな風潮が流れている。

 

 そう、冗談ではない。

 男は力強く、早足でこの状況を打開しようと足を進めていた。

 

 渡り廊下のような長い通りをようやく抜けると、刹那、涼しい風とやわらかな陽の光が男のからだに降りかかる。そこだけ城を上からくり抜いたような空洞。太陽の光が直接降り注ぐその小さな中庭が、突如としてポツンとあった。これまでの厳しい雰囲気から一転、どこかキノ安らぐような空間だった。

 

「……ここは、城か?」

 

 思わず男の口から、ひとりごとのように声が漏れる。

 城の中であることは間違いないのだが、なんとも不思議な場所だった。

 

 城下町の初花はやっと咲いた頃だというのに、その中庭にはすでに色とりどりの花たちが咲きほこっている。真上からそそがれるこもれびに照らされてきらきらと輝きながらそよいでいるそれは、なんともいえず美しい。男はいつの間にか、急いでいた足を止めて眼前の小さな庭に見入った。物心ついた頃から兵士志願だった男は、まっすぐ前を向いて努力を続けてきた。無論、どちらかといえば女心を理解しない無骨者の部類に入る男が、普段道端の草花に目を留めることなどもちろんなかったが、風と踊るように無数の咲きほこるそれは、明らかに人の手によって大切に育てられたように可憐だ。色とりどりのそれらは、派手でダイナミックというよりも、小さく慎ましいな印象で、(この場所の庭師の趣味であろうか)と男は思う。黄色や赤、桃色、紫――見知った色の花と、それに。

 

 辿るようにして沿った目線の先で、ふと、丸く縁取られた庭の真ん中に、光に反射したような金色が見えた気がした。男はその存在に気づいて、そっと目を細める。

 

 金色がすこしだけ動いて、今度は伏せられたまつげと紺碧の瞳がはっきりと見えた。

 長く垂れた美しい金髪と、美しいかんばせ、紺碧の双眸――男はすぐにその正体がわかった。たしかに以前もその花のような顔立ちを拝見したことがある。ただしそれは、おびただしいほどの警備兵たちや人だかりの、はるか向こうで、である。

 

 風と踊る花が互いに触れ合う音だけが聞こえるその中庭の真ん中、背の高い花々の隙間から見えたその横顔は、呆然と立ち尽くす男には気づく様子もなく、おそらく斜め下にあるなにかを一直線に見つめていた。そして、やわらかく微笑んでいる。その視線の先には、たしかに何か別の人間がいる、そんな気配がした。と同時に、男の頭の中に不可解な疑問が膨らんでいく。

 

 王国の一国民である男は、肖像画や下町で売られているポートフォリオ、時折国の行事へ参加すれば、何度か遠くに横顔を見たことがある。しかし――それとはあまりに。

 

「……っ」

 

 ――突如後ろから首っ玉を引っ掴まれて、視界がぐわんと反転した。強い力に押しとどめられるように振り向いて、わっと思わず声を上げる。

 

「く……クラウディア隊長!」

 

 その声が思ったよりも大きかったからだろう、新米兵士のからだをいとも簡単にその場から引き離した張本人――クラウディアは、いつもは無表情な顔をややしかめた。

 

「静かにしろ」

「あ、は、はい……すみません」

「まったく……こんなところまで迷い込むとはな」

 

 静かな怒気には、しかしどこか貴族じみた気品さえも漂っている。怒りの矛先が向けられているというのに、男は思わぬ憧れの人物との対面に、頭がついていかなかった。

 

 貴族の出でありながら国を警備する守り人への道を選んだ異色のキャリアの持ち主であるクラウディアは、城内での人望はもちろんのこと、下町でも大量のお土産グッズが生産されるほどの人気である。第二皇子と並んで、国のヒーローのような存在だ。人望だけではない腕っ節の強さに憧れ、この新米兵士もまた遠くの村から宮廷兵士を志願した身である(城下町へくるたびに、故郷の妹と自分用にクラウディア隊長グッズを買っていたことは口が裂けてもいえない)。

 

「こっちだ」

 

 掴んでいた首を離して颯爽と歩きはじめたクラウディアを、男は状況が整理できないまま、慌てて追う。

 

「も、申し訳ございません……」

 

 ああ。これで自分の華々しい宮廷兵士生活が散ってしまったらどうしようか。そんな憂いは、次の「いい。新人はよく迷う、仕方のないことだ」というクールな一言によってかき消される。男は脳内にすぐさまクラウディアのスマートな言葉をメモした。それはめでたく、いつか自分が出世したら後輩にかけたい言葉No.1となった。

 

「おまえ、あそこで何か見たか」

「あ……はい。中庭の真ん中に、その、リュシアン陛下を……お見かけしました」

 

 そうだ。あれはまぎれもなく、現国王のリュシアンであった。国民なら誰でも顔を知っているし、宮廷兵士として務める以上は何度も頭に顔を思い浮かべた人物だというのに、妙に歯切れが悪くなったのは――あの表情のせいだ。

 

 あれは、なんだ。

 

 第一皇子として皇太子の座につき、前国王の退位に代わりなんの苦労もなく即位した現国王。しかし実態はといえば学問も剣術もろくにせず、やることといえば賭博や女関係の遊びばかり。後宮には大量の高貴な貴族の女たちはもちろん、気に入った平民ふぜいの女まで入れて貴族たちを激震させた。聞くのはそんなアバズレ国王の噂ばかりであった。

 

 あれは、なんだ。

 

 陛下はなにを見て、あんな柔らかい表情をされていたのか。まるで陽の光に染まる花を見つめるような、ひどくやさしいお顔だった。あんな陛下を、男はまるで見たことがないし、きっと城下町で話をしたってだれひとり信じてくれやしないのだろう。

 

「見たものは忘れろ」

 

 クラウディアの回答は、短く、そして明快だった。

 花の咲くような笑顔を思い出す。忘れられるものなら忘れたい気もした。

 

 宮廷兵士をとりまとめる隊長クラウディアと現国王リュシアン、そして第二皇子であるエドアルドは幼馴染のように城で育ったと聞いている(最も、リュシアンとエドアルドの仲は当然良くないらしいのだが)。貴族の出でありながら国境を警備する国の守り人を選んだ国のヒーローであるクラウディアは、なぜ愚帝リュシアンなどに付き従うのかと、城下町ではよく噂になっていた。

 

 父が幼い子を思うのとも、王が国を思うのとも似た、ひどくやさしい親愛のようなそれ。国民の前でよく欠伸をする回数が賭博の対象となっている王の、いつものそれとは似ても似つかない。

 

 もはやあれはリュシアン陛下だったのか。――しかし、国民が王の顔を見紛うはずもない。あれはたしかに、リュシアン陛下だったのである。

 

 男の頭に、あらゆる憶測が駆け巡った。しかし、余計な詮索を重ねて夢にまで見た憧れのこの宮廷兵士の座を降ろされては叶わないと、思考を無理やり停止させる。忘れろと上司がいったのであれば、男はそうする他ない。宮廷兵士ならば、後宮やご馳走や宝石などという余計な雑念は払えと、散々教えられてもいる。

 

 とにかく、世の中には知らなくても良いことがあるのだろう。男は開き直ってみる。

 

 しかし少なくともこの新米兵士は、なんとなく、憧れであったクラウディアへの忠誠心を改めて思い直すことになったような気がしていた。

 

 そんな風にして、とある男の宮廷警備生活がはじまったのである。

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