あまのじゃく。

03

 短い夢を見ては覚めるような途切れ途切れの意識のなかで、隆春はすっかり動けなくなっていた僕を抱えた。しかしすぐに酔いと行為後のだるさに力尽きたのだろう。ベッドの上に僕と自分の体を放り出すように雑に投げ捨て、すぐに寝息を立てはじめた。

 

 蝉の抜け殻になったみたいに、疲れ果てて夢と現実の堺を転々としながら、じっとしていた。ただ、隆春の手は、そのまま、僕の体にすこしだけ触れたままだった。薄いカーテンの隙間から空が白みはじめた頃には、すっかり意識が冴える。

 

 渾身の、あるだけの力を振り絞って終電に乗れば、こんなことにはならなかった。すこしのいたずらで終わり、おまけに体のいい酔っ払いは起きれば全てを忘れているはずだった。

 

(限界だ)

 

 体は驚くほどだるい。その異変にはきっと、起きた隆春も気づくはずだ。そして、そのだるさが酔いから来るものではないことも、どの部類かも、おおかた検討がつくだろう。だれかとやっちゃったっけな、くらいは思うだろう。夢の中で間違えた女の子の顔を、思い出さないで欲しい。

 

(セックスの後に泣くって、どんな小説だよ)

 

 声ひとつあげなかった。それなのに、隆春の匂いが染みついたシーツに、ぽたぽたと涙が伝った。頬を這う涙の筋が、あっという間に川のような流れへと形を変えていく。
体が震えた。

 

 隆春の匂いが、つんと鼻につく。まるでやさしく抱きしめられているみたいな、すごく気味の悪い想像を掻き立てるベッド。すぐにでもどきたいのに、最初で最後だと思ったら、諦めの悪いからだはいうことをきかなかった。

 

(一緒にいるの、辞めよう)

 

 ともだちでいるのを辞めるなんて、なにも知らない隆春は納得できなくて、持ち前のしつこさで僕につきまとうだろうか。それともいつもみたいにヘラヘラ笑って、案外あっけなく今度こそ僕から離れていくだろうか。

 

 それでもいい。どっちでもいい。からだを繋げたのを知って、隆春がどんな感情を持ってしまうよりも、ずっといい。

 

 けだるい体を動かして、そろそろと起き上がる。痛みを感じて、「セックスって、痛い」と他人事のように思う。ふらつくからだを支えつつ素っ裸で部屋の玄関まで行き、散らばった服を身につけていく。しわしわのくしゃくしゃな服は、始発の電車に乗るのにぴったりな見事なまでの朝帰り仕様である。

 

 玄関は随分とまあ、激しく行為の跡が残っているが、もうどうでもいいや。それくらい片付けてもらおう。ついたままだった腕時計を確認すると、そろそろ始発が動き出す頃。

 

(もう、あわない)

 

 おぼつかない足取りで靴を履きながら、ぼんやりと考える。……あえない。どんな顔して、なにも知らないふりしてそばにいられるというのだろう。

 

 寝室から、わずかな布切れの音がした。気のせいだろうか。

 

「……っ」

 

 弾かれるように勢いよく玄関を開けて、明るくなった外へ飛び出した。扉を閉めて走り出そうとして、息が詰まる。
 閉まった隆春の家の扉に背を預けるようにして、ずるずるとしゃがみこむ。

 

(くっそ……っばかはる……)

 

 さっきまで緩慢な動きだったにも関わらず急に勢いをつけすぎたせいか、すっかり忘れていた。立ち上がって外へ出た瞬間に、腿の内側をどろりとしたなにかが伝う感覚。昨夜うるさい音を響かせたボロボロの扉に背中を預けた。座り込んだら最後、なぜだか動けなくなって、両膝に顔を埋める。

 

(これ、どうやって、処理するの……)

 

 それはそのまま、なくしたくてもどうしようもない未練みたいだなと、ぼんやり考える。

 

 あいつ中に出したのかとか、どんだけ出したんだとか怒る余裕もなく、ただ脱力する。あいつの酒癖の悪さは、どんな“いいやつ”レッテルも覆す、さいあくな欠陥に違いない。
どうしようもない。

 

 でもすきだった。どうしようもなく。

 

 尻ポケットに入れたままの携帯が、そのとき突然振動したおかげで、また後ろにどろりとなにかが動くような気すらする。開くと、見知った11桁の番号。昨日も「何限終わりよ? 飲みいこ」と開口一番にそんな言葉が飛び出してきた、常に着歴最新付近にある、それ。

 

 逡巡しているうちに、諦めたのか、振動が止んだ。着信一件。その知らせがホーム画面に表示されるのを待たずに、また同じ番号からの着信。

 

 だれも見ていないのをいいことに、震える手に構わず電話を取る。深呼吸した。おもむろに耳に当てて、なに、といつもみたいに不機嫌にいった。高校一年生の春、周囲の陰口に対してすました顔を繕い続けた僕の演技は、一級品であるはずだ。

 

『砂月? どこいる?』

 

 さつき、ではなく、いつもの“砂月”。安堵と一抹の寂しさがないまぜになって、きゅっと胸が苦しくなった。

 

「今、いえだけど。起こすなよ」

 

 スマホを持っていない方の手で、服の上から心臓をぎゅっと握りしめると、くしゃくしゃになった服がさらに不格好になっていく。

 

「おまえこそ今家なの? 昨日酔っ払って隣の席の女の子たちと仲良くなったじゃん。どっちかの子と、一緒にいるんじゃないの?」

 

 そうだ。これで、きっと不可解な現象も納得がいく。だれか知らない女の子を連れ込んでいってしまったらしい、と。それでいいや。そうしよう、それが一番いい。

 

『えーそうだっけ? 記憶にないなあ』
「いつも酔っ払うとそれだよな。都合のいい頭だなほんとう」
『そうかな』

 

 大丈夫。会話、できている。

 

「ていうかおまえさ、女の子引っかけたいなら、僕を誘うなよ。僕、ホモだよ。どうせならマッチョなヒゲの男がいいんだよ」

 

 こんなアホな自虐は、はじめてだ。

 

『だーかーら、そんな記憶はございません』

「質問攻めされてる国会議員みたいなこというなよ。……もーおまえと飲みに行かない」
『なーにー。もしかして砂月、俺のこときらいになった?』

 

 心臓が軋むみたいにいたい。手で押さえてもどうしようもないくらい、いたくて仕方がない。
唇をぎゅう、と噛む。そうしないと、おかしなことをいってしまいそうだ。

 

 僕の体の細胞ひとつひとつに刻まれているみたいに、積み上げた日々を愛おしんでいること。こいつがすきで、こいつがどんな可愛い女の子といたって、どんな愛の話を聞かされたって、諦めきれなかったこと。

 

 すきだということ。

 

「きらいになった。もう一緒にいたくない」

 

 突如として、がたんと、体が前のめりになる。

 

 うそつきだね、ほんと。なんていう声が、電話口と、すぐ真上とから、すこしだけずれながら重なって聞こえる。スマホはすぐに通話終了画面へと切り替わったと思う。だけどそれを確認する前に、体ごと引っ張られて隆春のにおいの充満するアパートへ引き戻される。

 

 また響く、朝方には非常識すぎる衝撃音。玄関口にへたりこんだ僕を後ろからやわらかく抱きとめるのは、まぎれもなく――。

 

「……っ」

 

 心臓が、いたい。

 

「ほんと、俺の素晴らしく都合のいい頭と違って、砂月はなんでもかんでもうそつきなんですね」
「な……で」
「ん?」

 

 すっぽりと覆われるようにして僕を後ろから抱きしめる手は、昨日みたいにふらふらと揺れていたり変に力が入っていたりはしない。ほどよい力強さなのに僕を決して逃がさない、そんな力加減。

 

「昨日酔っ払って隣の女の子と仲良くなって、俺がその女の子連れ込んだの? この部屋に?」
「……っそう!」

 

 もはやなんのうそにもならないことなんて分かっていたけれど、どうしようもない。
説明がつかなかった。どうして僕がここにいるって分かったのか。今、二日酔いのはずの隆春がどうしてしっかりと僕を抱きしめていられるのか。

 

 自分の胸にくっつけるように抱きしめたまま、ゆっくりと顔を下ろした隆春が、僕の首筋に顔を埋める。髪の毛にくすぐられて、びっくりするほど近くにいる隆春を感じる。

 

「な、ちょ……っ」

 

 ……こいつもしかしてまだ酔ってるのか!? そりゃあ恐ろしいことだと振り返る。しかし目と鼻の先にいた隆春の瞳は、悲しくなるほど素面のそれだ。いつもと同じ、僕をからかうときに現れるすこしだけ意地が悪そうな笑み。ひとつまみの砂糖を散らしたような、やや甘い笑みに思えるのは、からだを重ねたからなのか、隆春がそうしているからか。

 

「うそつき。俺が昨日連れ込んで我慢できずに襲っちまったのはきみです、砂月です。だってこの部屋には砂月のにおいしかしない」
「にお……っ」
「あ、赤くなった」
「ていうかおまえにおいで判別したの……」
「ひとを変態みたいにいわない。普通に、わかるでしょばかじゃないんだから」

 

 目が合うと隆春は意地悪そうに笑って、「あんなの、普通、忘れられないでしょうよ」と僕の頬を撫でた。何から何まで煽情的だった昨日とは違う、やさしい手つきに、顔が熱っぽく染まるのが分かる。

 

 結局なにしたってかっこいいんだから、とは、隆春を取り巻く女の子たちの意見だったが、なるほどと思う。

 

「せ、つめい、してほしいんだけど……頭がついていってない……」

 

 意味が分からない。

 予想外の接触にからだはいつも以上に追いついていない上に、唯一冷静なはずの脳内までパンク寸前である。おかしい。あいつは記憶をなくして朝にはコトに及んだことをすっかり忘れ、部屋にはだれもいなかったから「だれか連れ込んじゃったのかなあ」と反省して、「ごめんね砂月、やっちゃったみたい。ちょっとよく覚えていないんだけど」と僕に電話一本入れて終了。そのはずだった。

 

「砂月」
「おまえ意味分からない……」

 

 ていうか僕たちは、これからどうなるのだろう。

 

 そんなことを考えていると、両肩を掴まれて、そのまま体を反転させられる。玄関に座りこんだ隆春に、そのまま向き合う形になる。いつも向ける意地悪な表情のはずなのに、いつもとすこしちがう気がして、というかそもそもこんな間近でこいつを見たこともなくて、いたたまれなさに俯いた。床に向いていた顎をすくうようにして無理矢理僕と顔を合わせて、隆春の指は僕の目じりをなぞる。

 

「ごめんね。ちゃんと告白してから襲うつもりだったんだけど、砂月が可愛いからつい、順番を間違えた。これは、ほんとーに、反省しています」

 

 どこに置いていいか分からなかった視線が、驚きとともに一瞬だけ隆春と絡まる。すぐに反らした。視界の端っこで、隆春の口元がいつもよりもすこしだけやさしく歪んで、ぼくの額を肩口にぎゅう、と押しつけてくる。

 

「一瞬だけ寝たつもりなんだけど、そのすきに砂月は猫みたいに音立てずに出ていっちゃうから……いやあ、焦った焦った」
「こ、くはく?」
「あれ、まだ理解がそこ?」
「びっくりしてて」
「そうそう。砂月の好き好きビームに勝てなくなってきて。……前々から可愛いなあとかきれいだなあとは思ってたし砂月で抜いてたときもあったしまあそういうことかなあって、ともだちという理由では片づかないことが増えていてねえ」

 

 なんだかすごいことを聞いたような気もするけれど、とりあえず聞き流す。それよりも今は。

 

「すきすきびーむ?」

「え、なにそのポカンとした表情。いいね、可愛い。狙ってる?」

 

 まわりは普通のともだちだと思ってたみたいだけど。砂月のことばっかり見てた俺が気づかないわけないじゃん。という追い打ちに、一気に脱力する。

 

(ということはなんだ。僕は、ずっと気持ちだだ漏れのままこいつと一緒にいたということか。……それはそれで死にたい)

 

 それよりも、さっきよりもなんだか状況が期待の方向になっているのは気のせいだろうか。心臓が早鐘を打つ。でも、さっきの“勝てなくなった”とは、どういう意味だろう。

 

 なによりどうして、隆春は僕をやさしく抱きしめる。

 

 僕の心は、なにを勝手に期待しているというのだろう。

 

 無意識のうちに、隆春の背中に回した手をぎゅう、と握りしめた。頭上でやわらかくふ、と笑う声が聞こえたのは気のせいだろうか。大きな手が、僕の頭をぽんぽんと撫でる。

 

「いうのが遅くなってごめんなさい。おまえがすきだよ、砂月」

 

 じんわりと広がる、聞いたことのない、雪解けのようなやさしい声。

 

「おまえも知ってる通り最初は興味だけだったけど、おまえのその綺麗な顔も、いじると怒るのも、信じらんないくらいあまのじゃくなのも可愛くてしょうがないって思ってて、いやあいろいろと我慢も限界で……はあ、落ち着くなあ」

 

 隆春の手が、もっと、というようにぎゅう、と僕を抱きしめる。それが嬉しくも恥ずかしくて、絶対に顔を見られたくなくて、逞しい肩口にいっそう深く顔をくっつけた。

 

 ――あれ。でも待てよ。

 

 てことは、隆春は昨日の記憶があるということで間違いないのだろうか。
 ていうことは。

 昨日のことは全部思えているということで。

 

「……っ」

 

 バッという効果音でも聞こえてきそうな勢いで、押しつけていた顔を放して、目の前の男から距離を取る。いきなりのことに目をしばたかせた隆春が「砂月?」と不可思議そうに僕を呼ぶ。

 

「え、隆春」
「うん?」
「おまえ……昨日の記憶あるの?」

「あ、うん、ばっちりタトゥーのように刻んだ」
「……か、か、かえるいったんかえる……」

 

 距離を取るようにして背を向けるけれど、相手はあの隆春だ。まったくもって造作もない、といった風に簡単に僕を捕まえて腕の中に戻して、それがどうしたといわんばかりだ。

 

 捕まったまま、後ろの隆春を見上げる。

 

「いや、えと……」
「もじもじしてて、砂月らしくないね」
「……昨日の夜のことは忘れてほしいんだけど……」

 

 絞り出したような僕の声に動じることなく、あっけらかんとした「無理」という返し。

 

「なんで? ていうかしかもこのタイミングで、俺が一世一代の大告白したときの数倍顔が赤いのはなんで?」
「いや、だって……」

 

 そうだ。僕は昨夜、まさか隆春が記憶を保ったまま今朝に至るなんて微塵も考えていなかった。だから、だからなにを隠そう、いろいろと諦めとスイッチが入ったのだ。顔を見られたくなくて、ぎゅう、と隆春の首に抱きつく。そのまま、他にはだれもいないというのに、隆春に聞こえるようにだけ小声で呟いた。

 

「僕は昨日、おまえが記憶残らないと思ったから……おまえ、の名前も、めちゃくちゃ呼んだし。声も……なんか変な声も、出たと、思うし」
「……砂月」
「おまえ……元々ノーマルだろ。……あんな、へんなな声、記憶残ってて、今更きらいに」

 

 きらいになったりしたら。
 そういおうとしたけれど、ずっしりと体重をかけて僕を横から後ろから前から潰しにかかる勢いで隆春が抱きしめたから、それ以上言葉を紡げなかった。

 

「ほんと、ピュアピュアだよなあ。そこがいいんだけどさ、虫さんが寄ってくるよ」
「なにが……そう思うの当たり前じゃん。僕思い出したら気持ち悪くなってきたし」
「正直に申し上げると、俺は襲い足りなかったです」
「……………………へ?」
「足りなかった」
「足りない…………?」

 

 不吉なことばが聞こえてきた気がしたような。

 おそるおそる見上げると、にこにこというかニヤニヤと笑う隆春が、僕の額を撫でた。前髪をかき乱すように。

 

「足りないって?」
「まあ、そりゃ、とりあえずいいですよあとで分かるんで。それよりあちこちべっとべとでしょ。風呂行こう」

 

 いうや否や、僕のからだはひょいと持ち上げられる。重くはない、といえども軽くはないというのに、隆春はそんな気持ちをすこしも表情に出したりしない。

 

「え、てか、風呂?」

 

 そうそう、と当たり前のように呟いて、脱衣所で僕のからだを下ろすと、ちょっと怪しげな手つきで若干濡れた腿の内側を撫でる。不気味な予感がして、本能的に身を引いた僕に対して、いつものごとくからかう獲物を見つめる隆春は、クスクスと笑った。

 

「それ、かき出さないと腹壊すぞ。やってやるよ」
「い、いいいい! 自分でやる!」
「大丈夫、調べた」

 

 虚しく抵抗を続ける僕のからだから、器用にも隆春は服をはぎ取っていく。
 最終的にこの男のいいなりになってしまうのは、惚れた欲目だろうか。どうしてだろう。逆らえない。十五の春から、ずっとずっと。

 

 ――きみたちみたいなの、橋立みたいな小奇麗な顔が相手するわけないでしょーよ。

 

 周囲の記憶は刻一刻と風化していくのに、あのときの隆春だけが未だに色をつけている。春を知らせる風のように颯爽と、隆春は僕の心をさらっていった。あまのじゃくだの意地が悪いだのいいながら、僕が最終的にこの男のペースに惑わされることを知っているくせに。ほんとう、だけど、ばかみたいにすきなんだ。

 

「隆春」
「んーなにこっち来な。ほら」
「僕もすき」
「…………このタイミングですか」

 

 見上げると、新鮮なくらい赤みを帯びた隆春の表情。
 今まで知らなかった、“ともだち”ではなく、すきという関係でつながった相方の、すこしいとしいそれに、僕はやっぱり勝てないのだ。

 

あまのじゃく。(今まで知らなかった、“ともだち”ではなく、すきという関係でつながった相方の、すこしいとしいそれに、僕はやっぱり勝てないのだ。)
Fin.

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