あまのじゃく。

01

 ――なあ、見ろよ。あいつあいつ。
 ――おまえも聞いたんだ、あの噂。……なんか、まじらしいぞ。
 ――うっそ! 俺同じクラスだし、狙われたらどうしよ!

 

 廊下を歩いていたら、すれちがってすぐに、遠慮がちに、だけど嘲笑をたっぷりと含んだ声が背中に突き刺さった。
 その頃には、遠巻きなのに視線には遠慮のないクラスメイトたちのざわめきに、すっかり慣れ切っていた。確かそのときも(聞こえてるわ、ばーか)だとか(最近少なくなってきてたけど)だとか、そんなことを思いながら歩いていた。おそらく傍目に見ても、表情は崩れていなかったのだと思う。

 

 どこか自分とは違うという蔑みに胸が苦しくなるなんていう感性は、持ち合わせていないつもり。新しく着はじめてすこし経った高校の制服は、二ヶ月目にして異様に重く感じた。ひとのうわさは、頬を切る春風のようにはやくて、すこし冷たい。

 

 今思えば、強がりだった。それでも平気なふりをして歩き続けていたそのときだった。

 

 ――ばっかじゃないんですか、きみたち。

 

 後ろから無遠慮に僕の肩を掴んだ大きな手。反射的に振り向いた。明るすぎる窓の光が逆光のように僕の目をくらませた。
高校一年生にしてはすでに成長期に差し掛かった体躯(その後、まだ伸びた)。

 

 肩から全身に、家族以外で久しぶりに感じる、だれかの温度。

 やつが結構周囲から羨まれる顔立ちということに気づいたのは、もっとずっと後だ。

 

 ――きみたちみたいなの、橋立みたいな小奇麗な顔が相手するわけないでしょーよ。

 

 だらんとした冗談交じりのことばには、たしかに棘があった。そう思わないかい、と話しかけられた後ろのだれかがたじろいで、なにかいった気がする。だけど、覚えていない。

 

 当時から目線は僕の斜め上。

 おいさわるなというように、目を眇める。

 

 ――肩どかして。

 

 当時から人より浮いていて、それを自覚しつつも自分を繕えなったすこしひねくれ者の僕に、その男は「あ、そう」といって腕を引くだけだった。そして、さりげない所作で僕の横に並んだ。

 

 その距離は、まるで普通のともだちのようだった。

 

 ――俺、古屋隆春。橋立の席の、いっこ後ろ。ヨロシクね。

 

 ああ。という、歯切れの悪い声。自分の声なのに、自分のものじゃないくらい、かっこ悪い小さなそれ。隆春は気にした様子もなく、ふふん、と鼻を鳴らした。

 

 知らないわけがない。高校生の一ヶ月なんて、クラスをグループに分けてヒエラルキーを確立するのには十分な期間だ。古屋隆春はいわばクラスの指揮者みたいな存在だった。騒ぎになるのは古屋隆春のまわり、みんなを巻き込んで騒ぎを起こすのは古屋隆春かその周辺。女の子の熱視線、男子のちょっとした羨望。背中越しにひしひしと感じつつ、席替えを待っていた。

 

 そして、すこし意地悪っぽい三日月の笑みを浮かべたその男との付き合いがはじまった。

 

 僕は知っている。

 

 あの日をさかいに、隆春が僕のカーストを引き上げてしまった。僕をさりげなく輪の中に入れて、いらっとするようないじり方をして、そして普通のクラスメイトにした。器用な社会性と、それを大っぴらにしない人の良さがあった。

 

 欠陥だらけの僕と違い、隆春は最初からいいやつだった。

 

 小さい頃は些細だった違和感を、中学も半ばになるとはっきりと自覚するようになっていた。そして当時は周りの雰囲気に溶け込みながらも、ひしひしと肌で感じていた。僕はきっと、他の人間とは違うと。

 

 そして特になにをしたわけではないのに、中学三年生になってすぐに、僕の根も葉もないうわさは中学校全体に伝わった。普通ではない――マイノリティが、格好の餌食だった時期だ。噂には尾ひれやら背びれやらついたらしいが、正確なところまでは僕自身も把握していなかった。

 

 否定はしなかった。少なくとも半分くらいはおそらく事実だったから、というよりは、既にその頃から僕は周りの空気に合わせる自分の不器用さに、辟易していたから。

 

 中学二年間で築き上げた友達関係は、最後の一年でドミノ倒しのように、笑えるほどあっけなく崩れ落ちた。心機一転遠くの高校を受ける――なんてこともしなかったおかげで、ご丁寧に僕の噂は入学当日から広まり、注目の的だったわけである。

 

 隆春はそんな僕の想像していたひとりきりの高校生活を、百八十度変えた男だ。

 ゲイだ――なんて噂を持つ僕に、マイノリティに対する興味を隠そうともせずに近づく、失礼千万な男。

 

 ――へえ、砂月は付き合ったことないんかあ。うわさとちがうじゃーん。
 ――砂月は男役なの? 女役なの?
 ――やっぱり体育の着替えとかドキドキしたりする?
 ――トイレは個室に入るタイプ?
 ――なあなあやっぱり抜くのはゲイビか?

 

 遠慮もへったくれもないその質問に僕は答えた。面倒だけど放っておかないのは、放っておいたときのしつこさを知っているからゆえ。

 

 ――中学のときのうわさ、多分僕がゲイっていう以外ほとんど嘘だと思うけど。
 ――別に、考えたことない。おまえらみたいに頭ん中年中ポヤってないんだよ。
 ――しない。興味ない。
 ――んなことしない。……んな繊細じゃないし。
 ――知らないよ。十五でR指定買えるわけないじゃん。ばかじゃないの。

 

 隆春は少々面食らったようで、神妙な顔つきをして、ピュアなんだなあと呟いた。その後余計なおせっかいで(また半分は自分の興味本位で)R指定のゲイビデオを入手し、見ろと無理矢理貸しつけられたのは、また別の話ではあるが。

 

 隆春は不思議な男だ。時に僕を質問責めにしながらも、からかったり小突いたりするのは普通のともだちのよう。好奇心以外の、普通と違うという侮蔑を受けたことがない。だから、どう、ということはないけれど。

 

 僕はそんな生活がいつまで続くのだろうと思っていた。どうせ好奇心だ、すぐに飽きて普通の世界の人間たちの方へ戻っていくだろうと。そうして三ヵ月経って、半年たって、一年、――高校三年間が終わる頃には、さすがに質問のネタはなくなっただろう。隆春はさぞかし思春期の“ホモ”に関する生態に詳しくなっただろう。

 

 なぜか奇妙な関係は続き、それは二十歳になった今でも変わることはない。隆春は僕のそばに、いや、僕は隆春のそばにいる。それは大学が同じだったからとか、たぶん、そういう簡単な意味合いだけではないのだろう。

 隆春は驚くほど自然に、僕を隣に置き続けている。だから僕は、十五のあの春から、いつのまにか身動きが取れなくなってしまった。

 

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